『仕事のために生きる』か『生きるために仕事をする』か。

一年前に留学から帰ってきて、さてどうしよう?と色々試行錯誤の末に、フリーランスデザイナーとして生きる、と腹を決め、現在に至っています。

留学前にもデザイナー、ディレクターとしてやってきましたが、音楽プロダクションのインハウス・デザイナーとしてやってきたため、Web〜DTPと幅広くやってきたものやはりスキルが偏っていたため、改めてデザインの学校に通い、去年末に卒業しました。

現在、ロゴを中心にデザインの仕事を請け負いながらも、学びの日々は続いていて、デザインすることの楽しさを再発見しているという、そんな感じの日々を送っています。

正直、めちゃくちゃ楽しくて。
一流のデザイナーの良き作品に触れたときの興奮ったらないです。

感性の感度が上がっているのか、アート作品や映画、音楽も、ティーンエイジャー来の刺激を感じています。


すると、どうなるかというと。
やっぱり憧れてしまうんですよね、一流に。

もちろん、それ自体は悪いことではないと思います。
そこを目標に日々切磋琢磨すべきだとも思います。


しかし、向き合いすぎるのもまた毒かな、と最近実感しています。

憧れるがあまり、比べてしまうんですよね。
すると、ある種の嫉妬心だったり、自尊心が削られたり…最悪、「俺とかいなくていいじゃん」と、めちゃくちゃネガティブな方向へ感情が走り出します。


一流に憧れながらも、自分は自分という確固たる"わきまえ"が必要です。

では、どうその"わきまえ"をつくるのか?

意識すべきはフィールドです。

自分が戦うべきフィールド…というより、自分が勝てるフィールドを探し、ポジションを得ることが、その"わきまえ"をつくってくれると思います。

"諦め"のようで、格好がつかないと感じるかもしれません。

が、自分は何をしたくて、何が好きなのか?を掘り下げ、冷静に考えてみたとき、「憧れている世界」と「自分がしたいこと」、の間に実は乖離があったりします。


もしくは、「自分にできること」では全然届かない。

こちらの方がほとんどかと思いますが、補足的に書いたのは、スキルの他に、対外的な評価による、自尊心やアイデンティティの確立が必要となってくるから。

自分が勝てるフィールドで、ポジションを得ることにより、それがついた後で、また景色が変わってきます。

なので、今の自分にできなくとも、一流を目指すことを辞めるとは少し違うような気がしたので、今自分が伝えたいこととは少し違うかなと。


話が膨らみましたが。

僕としては、デザイナーとして一流になることは、掘り下げて考えてみると、やりたいことではないのです。

本当にやりたいのは、つまらぬシガラミに縛られず、自分の裁量で全てを判断し、ちゃんとお客さんと向き合った仕事をすること。

それができれば、極論、デザイナーでなくても良いのです。
めちゃくちゃ極端な話ね。

「甘い!」なんて声も飛んできそうな話ではありますが、要は、『仕事のために生きる』か、『生きるために仕事をする』か。

その価値観の差だと思います。

僕は過去の会社員生活では『仕事のために生きる』の価値観の下、10年間歯を食いしばってきて、それはそれで大きく成長もさせてもらい、得られるものも多かったのですが、続けるうちにどうしても拭えぬ違和感があり、現在に至っています。


とりとめのない話となってしまいましたが、今日はこの辺で。
今日も聴いていただき、ありがとうございました。
よい一日を。

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