見出し画像

【東京巻き込み育児 #09】次女の「ぶっころす」事件と、5年後の再会で感じたこと

太陽の国・カリフォルニアから一転、予期せぬ“東京生活”。サンタモニカと違い、ママにとって苦しい“東京の子育て環境”の中、周囲を巻き込むことで4人の子どもを育てた私の経験からお届けする【東京巻き込み育児】。
前回は新米ママである私に対して、数々のショックと啓示をもたらしてくれた、“ベテラン先生のエピソード”をご紹介しました。

今回は、次女を介して起きた、“ママ友とのトラブル”をご紹介します。

前回はこちら ↓

■ 一匹狼だった次女

次女は小さい頃、観察する人でした。

友だちが“あぶくたった”をしているときも、“鬼ごっこ”をしているときも、仲間に入らず、遠巻きにじっと観察する。幼稚園に入園してしばらくは、好んでそんな過ごし方をしていました。

遊びに入らず、1人ぽつんと園庭を眺める次女。そんな彼女に対して勝手に不安を覚えていた私は、友達ができるということが、何か奇跡のように思えたものです。

そんな風に、お友だちと関わりの薄い一匹狼少女だった次女が、いつからか、同じクラスのMちゃんという子と仲良くなりました。それも、ものすごく仲良く、です。次女とMちゃんは幼稚園でも、帰り道も、放課後も、ほとんどいつも一緒に遊ぶようになりました。

■ ところが…「はじめてのケンカ」


2人が年中さんになったある日のことです。

お迎えに行くと、Mちゃんに対して次女が激しい口調でまくしたてています。

Mちゃんは困った顔で次女を見つめ、Mちゃんママと私も、どう入ったらいいか分からず、困りながら、遠巻きに眺めるばかりでした。

しかしながら実は、このときの私は、内心、嬉しい気持ちでいっぱいだったのです。1人でじっとお友だちを眺めていた次女が、ケンカするほど仲のよい友達ができるなんて……!

Mちゃんママも同じ気持ち……だったかは分かりません。が、ケンカの後も後腐れなく、引き続き、同じ母としての立場から、子ども達の関係性を温かく見守ってくれていました。

そんな風に、子ども同士の主張が衝突するという当たり前のことを、大人が余裕を持って見守ることの出来る環境ではありましたが、いつもそう上手くいくとは限らなかったのです。

■ 「ぶっころす」事件


年長さんになったある日のことです。

次女が男の子に混じって、Aちゃんという女の子に「ぶっころす」というひどい言葉を投げつけたことがありました。

次女に「殺す、という意味を知ってる?」と聞くと、「知らない」とのこと。さらに、「どうしてそんなこと言ったの?」と問うと、「他の人も言っていたから」と。

どうやら周りの子と、深く考えずに言ってしまったようです。私はとくとくと、それはひどい言葉で、友だちに言ったりしちゃいけないのだということを説きました。

次女は、Aちゃんに謝りました。私もAちゃんママに謝りました。

心を傷つけるに十分な攻撃力を持つ、強い言葉です。心から申し訳ないと思っていました。

しかし、ことはそれでは終わらなかったのです。

Aちゃんママは表面上は「子どもの言ったことだから」と理解を示してくれましたが、実際はひどく傷ついたようで、この事件を消化しきれない様子が垣間見えました。それからしばらく、私達は妙な雰囲気になりました。

どんなに申し訳なく思っても、相手が“この傷を持ち続ける”と選択してしまえば、何もできません。私達はそのまま仲直りできずに卒園を迎えました。

■ 5年後の再会

一時帰国したある夏、私は古巣が懐かしく、住んでいた家や周辺の商店街、それに幼稚園を子ども達と訪ねました。そこで、なんとAちゃんのママに会ったのです。

私は心から懐かしく、会えて嬉しい気持ちになりました。私達は園庭でおしゃべりを楽しみました。そしてAちゃんママは、「実はね」とあることを打ち明けてくれたのです。

今、Aちゃんの弟が、かつての次女の立場にいるのだと。そして今だからこそ、私の気持ちが分かる、と言ってくれました。

なんとも言えない気持ちになりました。私は5年の年月を経て、やっと許してもらえたのです。

あの時、許してもらえなくて悲しくて、腹を立てもした、醜くかった自分。当時のもがいていた自分を、私自身が許せた瞬間でもありました。

子どもも大人も、深く関わっていれば衝突することもある。でもそれも含めて、なんて贅沢で幸せなことなんだろう。目の前に友だちがいることは、ほんとうに、奇跡のようにすばらしいことなのです。

そんな思いをもたらしてくれた、素敵な再会でした。



サポートは、あってもなくても、どちらでも。