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奥野田美宵のルーツの面白さ/東方酔蝶華1巻読んだ【ネタバレ有!毎日更新#37】

 ほぼ日更新37日目。漫画やアニメを30分で視聴し、興味のある1~2か所を文章にして、最後に絵を模写する日課。


 まずは特にネタバレにならない紹介を。
 今日は東方酔蝶華の1巻を読みました。厳密に言うと数日前に読んだ内容をまとめなおしています。

 この本について解説すると、2002年(厳密には違うけど)から続いているPC向けシューティングゲーム「東方Project」シリーズを原作とする漫画であり、シリーズの登場キャラクターとその漫画固有のオリジナルキャラクターに関する「異変」を、原作者のシナリオ書き下ろしで送っていく漫画です。
 東方Projectはこの手の原作者原案による書籍(漫画、小説、設定資料集など)が大量に存在しており、東方酔蝶華はその最新シリーズの1つとなっています。

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 Wikipediaより。書籍だけでもそこそこシリーズが存在する。茨歌仙や鈴奈庵のように、10巻程度続いたシリーズもある…。三月精もシーズンまたぎを含めると10巻程度ある。


 若干のシリアスやハラハラを交えつつも概ねコメディ調であるのが東方シリーズの書籍における定番ですが、酔蝶華も例に漏れずそんな具合。
 ですが、他のシリーズとの違いもあって総じて面白いです。


※以下、作品に関するネタバレを含みます。

 今回のは割と大きいネタバレなので、1巻未読の方は読まない方がいいかも。個人的に、これは情報なしの一発目で読む楽しさを損なうのは致命的だと思う。


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 酔蝶華1巻で一番面白いのは、「座敷童」という妖怪に対して、既存の文献ではなく、それらで語り継がれる一般的な情報と比べ大きな祖語の無い「新しい設定」を生んでいるところだと思う。さらに言うならその設定が、物語を面白くする上でかなり重要な働きをしており、独自の解釈を最大限面白くする工夫がされているようにも思える。

 そのような、座敷童に関する「新しい視点・解釈」は大きく2点あった。


■「容れ物があればどこへでも行ける」とそれが齎すシナジー作用

 まず「座敷童は地縛霊と異なり、場所に縛られているのではなく、容れ物に縛られている」ということ。地縛霊という割と分かりやすい怪異を比較しているあたりも良い。
 さらに、この「容れ物」が結果的にシナジーを起こしていく。
 「容れ物ならば萃香の"伊吹瓢"にも入れるんじゃね?」→「伊吹瓢に入れるということは、中にある鬼の酒の力を借りれるんじゃね?」→「座敷童でありながら、その容れ物酔魔(睡魔)という"酔"わせる"魔"としての側面を持てるんじゃね?」→「正体を明かさなければ、しばらくは座敷童ではなく夢魔の類として読者をミスリードできるんじゃね?」
 こういう思考の順番でこのキャラが生まれたのかは全く持って定かではないけれど、座敷童の独自解釈と伊吹萃香の持つ伊吹瓢の性質が絶妙に連結して色んな仕掛けを作動していくところがめちゃくちゃ気持ちいい。一巻にしてこのタネを明かしたあたり、今後もこの勢いで読み続けられるのかが若干心配だけど、しかし面白い。西尾維新の怪異モノでも読んでる気分で読める。

 ちなみに酔魔(すいま)という妖怪はネットで検索しても出てこない。あまりメジャーでないか、もしかするとこの作品のオリジナルかもしれない。どちらにしてもこの話で面白いのは、睡魔(すいま)と音が同じであることと、「酒に"酔"って微"睡"むことで発動する怪異」という、見事にストーリーの描写と合った洒落の効いた妖怪である。調べた限り既存のアイデアはヒットしなかったから、上手い発想だなあ、と思う。妖怪とか魔法とか血筋とかそういう系の話は特に「名は体を表す」「名前がその存在の強さそのものである」とか、名前に対して強い意味があることが多い。そう思うと、美"宵"(酔い)も掛かってる感じがするな。


■「認識できない」という一般概念を「忘れ去られる」に転換

 座敷童の一般的な情報として語り継がれるのは、「大人には認識できない」「物音を立てるが姿を見ることができない」という妖怪や幽霊らしい不可視性である。
 奥野田美宵というキャラクターは、一般的な座敷童のイメージであるこの性質を受けつつも、少し捻った解釈をしている。その姿を見て会話することはできるものの、それを見た人は誰も彼女のことを覚えることができない。霊夢はこれを「記憶を操る能力を持っている」と解釈している。

 記憶を操るなんて文言を聞いても、座敷童であると直感することは難しい。これも、奥野田美宵の正体が何なのか?を上手くミスリードしている。今まで自分が抱いていた座敷童は「人に話しかけることさえできない、人と話すことを嫌う、姿を見せることを嫌う(鶴の恩返し的存在)」というイメージだったが、奥野田美宵はかなりニュアンスが違う。「人と話すことができるし、店番として看板娘として人と関わることは嫌いでないにもかかわらず、誰にも覚えてもらうことができない(タイムリープものの最終話で主人公が登場人物全員から忘れられるシチュエーションを毎日繰り返す的)」。これが面白い。「本当は誰にも姿を見せないのではなく、姿を見た者が覚えていないのではないか」。この解釈は、座敷童の一般的概念を崩さないにも関わらず、座敷童の一人称視点のイメージを大きく変えるものである。これが、めちゃくちゃ面白いと思った。


 他にも色々ある。夢の中で出てきた猩々は、日本では赤い姿で狂い踊ることから「大酒飲み」を表しているとか、奥野田美宵の人間に対して孤独な設定とは裏腹に「妖怪となら全然普通に関われる」というあたりについて、小鈴にベッタリだった鈴奈庵霊夢と同じように美宵を「ちゃん付け」で呼んでいる霊夢とのかかわり方が鈴奈庵とは違うものになりそうだとか…。
 既存の妖怪変化や神話をそこそこ汲んだうえで、東方シリーズとして似たようなキャラクターの雰囲気を演出しつつも、こうも「似ているけど違う」ような作品を創り続けるあたりがすごく面白い。

 カセンチャンの正体を探るような話である茨歌仙を、今の歳でリアルタイムで読んでいたら、酔蝶華を読んだ今と似たような反応をしたんだろうか…とも思うが、今味わっている面白さは「過去作品に比べてこういう似たところとこういう違いがあるから面白い」という知っているからこそ面白い要素であるので、たぶん茨歌仙初見と酔蝶華初見はまた違う感想なんだろう。

 とにかくめっちゃ面白いです。かわいいなーとかは今まで思ってたし、鈴奈庵もすごく面白かったけど、話としては今までの書籍の中でトップレベルに面白いかも。ネットで毎月最新話更新しているので、今月末が待ち遠しい…!


■絵の話

 昨日までヴァイオレットエヴァーガーデンの模写をしていたのはいったんおいて、今日は奥野田美宵を描きました。本当はすぐ終わるはずだったんだけど、全然終わらなくて今日これしかできなかった。というかこれも完成しなかった。なんで…???

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 奥野田美宵、模写4h30min(未完)
 色々迷った過程は以下

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 1h時点 この時点ではあんまり何にも気付いてない。なんか髪の毛難しいなーくらいしか思ってなかった。

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  2h30min時点 ここまでで「なんでこんなに元絵と合わないんだ…顔の向きはまず違う、頭はなぜかコマに収まらない、なんか顔が髪含め横に長い、顔のパーツの修正回数エグい、終わらん」とかなっていた。

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 3h30min時点 修正を加え顔を回転させとあの手この手でやるがやっぱりなんか変。というわけで横にある元絵と並べて先に赤ペンを入れてやった。その後変形とか拡大縮小を使いまくってなんとか形にはする。線は繋がってない。「ペン入れしたい」とか抜かしてたけどとりあえず時間はない。
 あと、このへんで「自分顔を液タブに近づけ過ぎだな」と気付く。元絵と編集中のキャンバスを画面いっぱいに広げて書いているが、画面と目が近すぎて横並びの二つの絵が歪んで見えている。お陰で横幅が広くなったりバランスが狂ったのかなあと反省。
 というわけで、次工程の背景は席から立って、液晶から目を離して描いた。割と効果あった気がするので、液晶と顔の距離は気を付けたいところ…。

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 4h30min時点 なんとかざっくりしたものは終わった。線画は汚いし色はロクに塗ってないので青線画のままだけど、とりあえずなんとか、寝る時間には形にはなった……


 ヴァイオレットエヴァーガーデンの模写も完成させて明日からは原稿に戻るぞとか息巻いてたのに全く終わらんくて草や。精進します


 それではまた明日