死にかけた自分と巡り合わせの妙

入院した年には、いや年が明ける前から体調はすこぶる悪かった。
すぐに息が切れたり、お客様との会話の途中に息があがって呼吸困難になったり。
通勤途中、車から降りて数メートル歩いただけで心臓がザワついて立ち眩んだり。
酷い時は家の前のゴミ捨て場にゴミを出しに行っただけでブラックアウトしていた。

もともと喘息持ちだったし、それに合わせてここ1年、2年色んな事が重なって疲れが出たんだろう。
そう思っていた。

しかし
その日は突然やってきた。

家の2階に上がることさえ困難になっていたのだ。
わずか13段の階段を登るのに何度も立ち止まらなくては行けない。
呼吸が落ち着くまでしばらく苦しさと戦わなければならない。

夜寝ていれば、姉からいびきの凄さを指摘された。
心配してその音を録音したものを聞かせてくれた。
成人女性のいびきとしては明らかにおかしかった。

あまりまともに食事を取らなくなっていたのに、体重はみるみるウチに増えていった。

大人しくしていれば症状はほぼ出ないからと、布団の中で数日を過ごした。

自宅で安静にしていれば大丈夫だろうとタカをくくっていた私を、同居の姉が病院に連れていった。

元々喘息でかかっていた総合病院に行き、予約の日よりも早いけどそこじゃない所がおかしいので見てくれと言って見てもらったところ………

「即、入院してください」

そう、先生に言われました。

喘息の治療の時に撮っていたレントゲンと、当日撮ったレントゲンとの比較画像を見せられて。

「心臓が肥大しています。両肺の下3分の1まで血栓が詰まっています。この、血栓が飛べばあなたは今ここで死にます」

そう、言われました。
入院か、でも仕事があるしな、なんて頭のどこかが覚めていた。
詳しい検査をするのにそこの病院では装置の予約がちょっと先まで取れないといわれ、姉が激怒していました。
今すぐに死ぬかもしれないと言われて検査の予約がすぐに取れないというのはどういう事かと。

結局主治医と姉との言い合いがきっかけで、近くの総合病院に転院することとなってしまった。
でもそちらであれば詳しい検査がすぐできるとの事で、主治医も紹介状を書いてくれたようで。

仕事の関係で今すぐに病院に入るということが難しかったために一旦その日だけ家に戻る許可を頂いた。
が、自分で歩くことは一切禁止された。
車椅子で車に向かい、姉の車で勤務先に向かう。
そこで車椅子を借りて事務所と職場に入院する事を報告してその場で色々な手続きと書類を提出して。

その日は家ですぐに床にはいり、朝一番で病院へ向かった。

転院先は友人が務める病院。
まだコロナ騒ぎがはじまるほんの少し前の事。

案内された病室はナースステーション(今は違う呼び方なのかな?)の目の前で。
ベッドの枕元に下げられた札には、何段階かに分けられた安静度表。
見れば上から2番目に危険な扱いだった。

ベッドの上だけ行動自由。

いや、じみにしんどい。

部屋のトイレも使えない。
トイレに行くにはナースコールで看護師さんを呼んで車椅子で移動しなければならないのだ。

鼻から酸素チューブをつけられて、腕に入った点滴の管は24時間投薬が続けられて。
それも3時間おきに薬剤を交換にくるのだ。
夜寝てから朝起きる間だけでも下手をすれば3回交換がある。
その度に目を覚ませば、申し訳なさそうに看護師さんにごめんねと謝られて。
いやいやあなた達のせいじゃないですよ。
こんなんなった自分が悪いんすから。

毎日何度も検温と血圧と酸素濃度を測るのと、これまた24時間心電図系をぶら下げて。

心臓肥大と肺血栓を起こしているから、体、特に足の浮腫が半端なかった。
2~3日して投薬のおかげで浮腫が収まってきた頃には、なんと4キロ体重が減っていた。

ご飯は食べていたしベッドからは降りられないから痩せるはずがないのに、
つまりその4キロは浮腫によるものだったのだ。  

何だかんだで色んな機械がついたままの入院は10日程度で投薬がきき、肺に溜まった分の血栓は溶けてとりあえず家に戻ることが許された。
しかしながらしばらくはお仕事禁止、おうちで大人しく療養する羽目に。
体重はというと、結局その10日の入院中になんと10キロ落ちた。
10日で10キロはなかなかですよコレ。

血栓防止で血が固まりにくくなる薬を服薬。
もう飲み始めてから2年目になるが、今でも服薬は続いています。
血が固まりにくくなる、すなわち出血したら止まりにくい。
ケガだけは絶対にご法度。
ぶつけたり何だりした時の内出血がすごいのはもう仕方がないと思う他ない。
また血栓が出来たら死へのロードまっしぐらだからだ。

入院したのは去年の2月終わり、コロナが蔓延する少し前。
ひと月に1度、数ヶ月に1度といった感覚で通院していく中で、今年の3月にまた入院する羽目に。

今度は極度の貧血、鉄欠乏性貧血というやつだった。
どういうことやねん。


長くなってしまったので一旦ここで投稿。

この1年であった心境やお笑いの事などはまた次の記事で。

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