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これまでSNSをがんばれなかった理由

昨日投稿したnote、たくさんの方に読んでいただけているようで、とても嬉しくありがたく思っています。

知人から「結構セキララに書いていたね」と言われて、たしかに、自分のことも現在の悩みだったり目標だったり、鬱陶しいかな、削ろうかな、と迷いながらも「えい!」と意識的に表にしました。

コンサル時に「声に出さないと伝わらない」ことに改めて気づき、また「葛藤すらコンテンツになる」ことを教えていただいたからです。

実は、ずっと「SNSをがんばる」ということを泥臭く感じていました(唯一更新していたのがブログで、それも孤独なワードプレスだからよかった)。

世の中にはたくさんのノウハウがあります。ご多分に漏れず、わたしもこれまで有料・無料問わずいくつもの商材を読みました。にも関わらず、あんまり活用することができていなかった気がします。

人の目も気にしすぎていた。

がんばるんじゃなくて、マイペースに好きなことだけ書いて言って、それで誰かが自分のことを好きになってくれたら、どんなにいいだろう。そんな気持ちがどこかにあったからです。

簡単に言うとカッコつけてたんです。

でも現実は、そんな器はなかった。何より、今はSNS界でスーパースターに見えるような方々でも、実直に一つ一つ発信してきたから今の位置があるわけです。

いや、そもそも論点がズレているかもしれない。

フォロワーを増やす。ファンを増やす。とても大切なことですが、SNS上で有名になることがゴールじゃない。

自分には言葉で応援したい人たちがいて、果たして届いたところで力になれるかどうかは分かりませんが、いずれにせよ遠いところまでボールを投げられる力は持っておきたい。

以前、知人のライフコーチのセッションを受けたときに「今後の目標を一言で表してください」との問いに、自然とこう答えました。

「誰かの心を動かす文章を書いてみたい」

ポジティブかもしれないし、ノスタルジックかもしれないし、どちらにせよ前向きな気分になれるものを。

だからいま書く練習をしています。ライターとしてではなく、ひとりの人間として。

いくら泥臭くても誰からも注目されなくても発信し続けること。そうじゃないと、いつまで経っても同じ場所で足踏みしているだけ。筋力はつかない。

それと同時に、ツールとして自分のSNSを発展させることからも逃げたくないなぁと思っています。

noteが好きなのは、見ている景色は違えど、書き手のみなさんが「言葉」を大切にしているからです。

誰と特定するわけじゃなくとも「一緒にがんばろう」そんな空気が漂っている気がします。

話は変わりますが、昨日の投稿ではコンサル時に水野さんからアドバイスいただいたように、タイトルの解像度を上げることも意識してみました。

「続けていくために大事なこと」と「フォロワーを増やすために大事なこと」で迷いました。もしかしたら後者のほうがもっとクリックされたかもしれません。どちらでも本文の内容はほとんど変わらないんです。

でも前者のほうがnoteの美学には合っている気がしました。

二日連続でちょっと暑苦しい投稿になりましたが、また明日からゆるっと日常の気付きを綴っていこうと思います!

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