見てるようで、見てない
「見てないようで見てる」とかつて歌ったのはTHE YELLOW MONKEYでしたが、逆のお話(?)。
これまで何度か書いたけれど、アメリカに旅立つと決めたとき、わたしは29歳だった。
仕事をしていたこともあって、準備はひっそりと進めてきた。ほとんど誰にも話さずに。両親にすら打ち明けたのはインターンシップ先が決まってからだった。
なぜ内密に計画を進めたかというと、もともと自分がやりたいことに関して人に相談するタイプじゃないのもあるし、やっぱり反応が怖かったというのが本音だ。
実際、友達に、同僚に、上司に、家族に、打ち明けたときのリアクションはさまざまだった。心からの応援や激励をくれる人がいる一方で、
「もう30歳なのに今さら?」
「帰ってきたらアラサー終わるよ?」
「結婚はどうするつもりなわけ?」
「子どもを産む気はないの?」
というネガティブなニュアンスを含む反応も少なくなかった。もちろん何の前触れもなく急にそんなことを言い出すのだから面食らったというのもあるだろう。理解が追いつかない的な。
でも、これらの質問を集中して浴びせられたとき、いつもざわっとした居心地の悪い寂しさを感じていた。長らくその正体がわからなかったのだけれど、あるとき気付いた。
多分この人たちは目の前にいる私のことを見ていないんだなぁ、と。
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テンプレート化された田舎の30歳女性
彼らが見ていたのは、あくまでも「田舎で生まれ育った30歳女性」だった。
わたしが住んでいた福岡において、結婚・出産ラッシュのピークは25歳〜30歳にあたる。昔から全国的にある意味定説化されている「28歳までに結婚、30歳までに第一子」という価値観を地でいくパターン。
それ自体は、ひとりの女性として考えると、一般的でもあり理想的でもあると思う。そうしたい人はそうすればいい。特段なにか感じたりもしない。
でも、押し付けるのはいかがなものか。
「もう」30歳か「まだ」30歳かは自分で決めることだと思ったし、計画当時わたしには彼氏もいなかったから結婚、出産と言われてもピンとこなかった(そんなこと言われたってない袖は振れないよ‥)。
何より、今から目標を持って海外挑戦してくる!とせっかく打ち明けたにも関わらず、それをまったく無視した質問をぶつけられるのは、とても悲しかった。
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過去の自分というフィルターを通す人たち
もうひとつ。マイナスのリアクションをする人たちの一部は、わたしをそのまま見るのではなく「過去の自分」を通して見ていたように思う。
「自分も本当はやってみたかったけど諸々の理由であきらめた」「実際にやってみたけど何らかの要因でうまくいかなかった」というもの。年齢的にはわたしより上の人が多かった。
「一年行ったからって何も変わらない」
「若いうちに行くべきだったよ」
「仕事をやめてまでやることじゃない」
もしかしたら正しいのかもしれない。でも、この言葉って全部その人自身が考えたこと、感じたことにすぎない。
たった一年でも劇的に変わるかもしれない。30代だからこその学びがあるかもしれない、仕事より何倍も人生経験が積めるかもしれない。
全部これからの自分次第なのだ。
だから本来は相手にぶつけるべき言葉じゃないと思う。もし言うのであれば「あくまでも私自身の意見ですけどね」という前置きがあったらいいのかも。
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目の前にいる相手と話しているようで、本当はちゃんと向き合えていない、ということは少なくない気がする。
いまリアルタイムで進行中の子育てもそうだ。
「男の子だから」「3歳児だから」「イヤイヤ期だから」と勝手にテンプレート化していることはないだろうか。もしくは過去の自分を投影して、何かをむりやり押しつけたり、我慢させたりしてないだろうか。
まずは相手自身を理解することから。幼い子どもは注意深く見ながらコミュニケーションを取る他にないけれど、大人だったら会話をして、背景を知って。
そう考えると、相手のことをそのまま見るって、けっこう難しいことなのかもしれないな。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。