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視点ならぬ聴点

うたの中に「歌詞」いうものがあると最初に気付いたのはいつだろう。幼少の頃からうたはうたであり、歌詞やメロディなんて概念を知ったのはずいぶんあと。

5つ上の兄がいるから音楽は身近にあった。でもゲッワイエンダンとかビーマイベイベーとか小学生の私が理解するにはちょっと難しかった。何となくカッコいいなぁとは思っていたから、ただ耳に残ったところを真似して口ずさむだけ。このワードだけで曲名にピンときた人とはいつか飲みに行きたい。

歌詞の存在を認識し始めたきっかけは忘れたけれど、初めてそれに「美しさ」を感じた瞬間は覚えている。

GLAYのBELOVEDに出会ったときだ。


当時の私はミスチルが好きだった。特に「Atomic Heart」を手にして以降は、彼らならではの妖艶さや哀愁がある歌詞にもどっぷりはまっていた。ちっともわかっていないくせに、さもわかったような体裁で聴いていたあの頃。GLAYがヒットチャートを賑わせ始めたのはその少し後ぐらいだろうか。

グロリアスの「恋に恋焦がれ恋に泣く」もずいぶん印象的だったけれど、BELOVEDは初めて聴いたときから格別の美しさを感じた。レンタル屋さんで借りたCDの歌詞カードを追う。作り手はリーダーのTAKURO。物語みたいだと思った。普段は使わないような言葉の数々が私の心を踊らせた。

恋心
泡沫
木立


ロックな見た目の彼らとのアンマッチ感が言葉の美しさを際立たせる。GLAYの歌詞はメロディなしで文章として読んでも素晴らしいのだ。


聴き取って模写をしてみる。

忙しい毎日に溺れて素直になれぬ中で
忘れてた大切な何かに優しい灯がともる
(ーBELOVED)
単純な心のやり取りを失くした時代の中で
三度目の季節は泡沫の恋を愛だと呼んだ
(ーBELOVED)


美しい。

このあとに発売されたHOWEVERを聴いて、TAKUROが書く歌詞はもはや文学であるという方程式が私の中で確立され、以後しっくり根付いた。

孤独を背負う人々の群れにたたずんでいた
心寄せる場所を探してた
「出会うのが遅すぎたね」と泣き出した夜もある
二人の遠まわりさえ一片の人生
傷つけたあなたに今告げよう誰よりも愛してると
(ーHOWEVER)


美しい。

うたの中に伝えたい相手の存在を感じられる。絶対に実在する誰かを想って書いているでしょう。「あなた」に向けた、優しくて温かい眼差し。まるでラブレターのようだ。そこにたどり着くまでに苦悩した時間が透けて見えるのもよき。

幻想的でありながら、人間くささもある。二つのバランス。意識的にやっているんだろうか、それとも無意識なのだろうか。出身地は函館だそうだが、雪に囲まれて育つと情緒的な側面に影響があるのかもしれない。
TAKUROは2003年にエッセイを出している。タイトルは「胸懐」。きょうかい、と読むんだって。使ったことないこんな言葉。ほらやっぱり感性が違う。


ねぇ、そう思わない?

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ドライブ中、こんなことを脈絡もなくつらつらと話す私に、夫は相槌を打ったり打たなかったりしながら最後にはあっさりと言う。

「俺、歌詞とかあんまり気にしないんだよな」


そう、夫はメロディ派。歌詞に一切の興味なし。気になって調べるなどやったことないらしい。でもカラオケって歌詞知らないとうたえないでしょ。あれってどういう心持ち?


「音や響きとしかとらえたことない」


うたの中に描かれる世界観や物語性はどうでもいいという。不思議。とても不思議。だから彼は同じ音楽を聴いていても「このリフが…」「今のベースラインが…」「あの転調が…」とそんなことをよく言っている。逆にその辺りは私にとってサッパリな部分。

けれど、夫と私の音楽の趣味は割と似通っていて。ひとつの曲をお互い別の角度から聴いて楽しんでいる。


以前のコンテストで音楽レビューに真っ正面から向き合った結果、私の中に「楽しい」が生まれた。もう少し書いてみたいと思うのだけれど、どこか怖いという気持ちが拭えない。
「もっと詳しい人がいくらでもいるだろうに」「こいつ全然分かってないと思われるのでは」
そういう恐怖心。

じゃー私は誰かのレビューを読んでそう思ったことがあるのか?と聞かれれば、答えはNOだ。

本や映画のレビューはそれぞれ書き手の「視点」を知るのが面白い。大体の場合において自分にはない物の見方を示してもらえるから。
きっと音楽も同じで、それぞれ聞き手に「聴点」があるはず。どこに重きを置くかは自由であっていいはずなのだ。

レビューを書く心構えなんて私にはわからないけれど、一つだけ思うのは「作品に対して誠実であれば、悪いようにはならない」ということ。もちろん読んでくれる人に対しても。


話はGLAYに戻る。

TAKUROの歌詞が美しいなんて、20年以上前の楽曲だけを持ち出して語るのも失礼なんじゃないかと不安になり、ここ最近はどうなのか探ることにした。リサーチの相手は我が弟。彼はライブのために他県へ遠征するほどコアなGLAYファンなのだ。

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(話を振っておきながらあっさり寝落ちする姉)


1位の「pure soul」は知ってる。めっちゃいい曲。あれ、姉ちゃんも好き。

一方「つづれ織り」「誰もが特別だった頃」は初耳だった。もうタイトルから良さげな雰囲気がぷんぷん漂う。早速聴いて、歌詞を調べることにした。

アナタに会うまでの道のりは暗くて
街の灯を独りきり遠くで眺めていた
自分らしさなんて言葉は嫌いだった
生き方が上手な人の台詞だって
(ーつづれ織り)
真冬の街並みに君は踊り出して
両手を冬空に捧げている
「悲しみはどこまで続いてゆくのだろう?」
侘しさに顔寄せて雪に聞いた
(ー誰もが特別だった頃)


おおお。

……あの頃から変わらず、TAKUROが描く歌詞はやっぱり美しかった。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。