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気持ちが熱いうちにキーボードを打つ

鉄は熱いうちに打てとはよく言うけれど、文章を書くのも同じことが言えると思う。

今は忙しいから時間ができたら書こうなんて思っていると、数週間はおろか数日でも出来上がりに差が出てしまう。臨場感や切迫感が明らかに足りない。

後からでも、感情や状況をできるだけイキイキと書くため、最近はメモを癖づけている。ひとりで考えているとき、誰かと話しているとき、音楽を聴いているとき、本を読んでいるとき。頭に思い浮かんだことをキーワードとしてNotionに書きとめて、こんなテーマでこんなことを書こうなんて考える。

でも、しばらく経ってからでは、やっぱり遅い。思った、感じた、その日を起点にしてどんどん鮮度が落ちてしまうのだ。

Notionにこんなメモがあった。

ホームがホームじゃなくなる寂しさと嬉しさ、日本→両親と兄弟がいる暮らし、アメリカ→夫と子どもたちがいる暮らし

昨年末から2月中旬にかけて日本帰省していたときのものだ。

わたしはアメリカに8年住んでいて、渡米して以降、日本に帰省するときは「帰る」と言っていた。逆にアメリカへは「戻る」と言っていた。

でも、子どもを産んでからというもの、いま住んでいる場所に家族ができて、それが逆転しつつあるな、と感じた。あれ?実家がホームじゃない?って。

30年も地元に住んでいたのに僅か8年で変わるんだという寂しさや、子どもの存在ってすごいんだなという感心や、父や母よりも安心感を得られる存在ができたんだという嬉しさ。

そういう気持ちを文章として残したかったのだけれど、メモした当時とにかく時間がなかった。

アメリカ生活がまた始まってから、文章化しようと試みたのだけれど、何度も書きかけてはやめた。これは日本にいる間に書かなければならないテーマだったのだ。

夫は仕事があるので、わたしと子どもたちだけ日本にしばらく残っていた。彼と離れて不安な気持ちや日常を恋しがる感覚を含めると、あのときしか書けない。

ゆるっと始めたnoteの毎日更新は、もうちょっと、もうちょっと、と思いながら40日になった。

もともと質より量のフェーズだとは思っていた。でも、よーし365日やるぞ!なんて意気込んだわけじゃないし、どこまで続けるかも決めていないので「どうして毎日書いているのか?」という問いに自分でも答えられなかったのだけれど。

いまは、思考や感情の鮮度を大切にしたいから、という理由が一番しっくりきている。ちゃんと形にしておかないと、いつのまにか姿を変えてしまうのが惜しいから。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。