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【追憶のエッセイ】オーストラリア・ラウンド編

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旅人一年生としてオーストラリア大陸をぐるっと一周、ラウンドしました。そのときの記録です。
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記事一覧

【追憶の旅エッセイ#1】バスはいつも真夜中に着く。

“新しい土地へは、明るいうちに到着する” これは、私が旅の中で自分の身を守るために決めているルールのひとつだ。 ただこのルールは、比較的安全なオーストラリアや北米の旅の際には適応されていなかった。 なぜならこれを守っていては、特にオーストラリア西部ではなかなか目的地にすら辿り着けなかっただろう。2000年当時(2001年だったか)、オーストラリア西部を縦断するバスは1日に1本のスケジュールで週3日、しか走っていなかったのだから。 おかげでひやひやする経験をいくつもする

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【追憶の旅エッセイ#2】本当は泊まってはいけない部屋。

ひとつ前の記事にも書いたけれどその頃、私は1日に1本のスケジュールで週3日しかバスが走っていない地域を縦断していた。 暗くなってから新しい土地に到着する、これほど旅人の心をすり減らすことはない。しかも、田舎だとなおのこと。 一番のトラブルはとにかく、宿へのチェックインだった。 何度もあります、「予約が取れていない」「入った部屋のベッドがフル(full)」。西オーストラリア旅のほとんどが、結果そんな感じだった気がする。思い出そうとすると、チェックイン時の記憶が全てがだって

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【追憶の旅エッセイ#3】ナミとの時間、フリアコの日々。

そこに一人の女性がいた。 女性というにはあまりにもあどけない顔をした、可愛い人。でも当時ハタチそこそこの私にしたら、アラサーの彼女は大人の女性だった。 オーストラリア、パースのその宿に初めて飛び込んだとき、彼女の笑顔に会った。 私はそのときまだ泊ってもいなかったその宿のレセプションで、「フリアコがしたいのだけど、ポジション空いてますか。」と聞いた。 『フリアコ』というのはフリーアコモデーションの略で、ワーキングホリデーのある国やバックパッカーが多い国では特に多い。オー

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【追憶の旅エッセイ#4】灼熱のサイクリングとデズリー。

誰にでも、五感に紐づいた記憶、というのがあると思う。 私にとって、デズリーのアルバム「Supernatural」のサウンドがそれだ。「Life」が流れ始めると一気に、目の前には色彩の濃いオーストラリアのとある景色が広がる。 それは明らかに日本とは違う高く真っ青な空と、どこまでも続くアスファルトの車道。そして「Best Days」「Down By The River」と頭の中で続いていく。その中で私は、果てしない気持ちで自転車を漕いでいるのだ。 こういう記憶って、五感を使

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【追憶の旅エッセイ#5】1,159km分の愛情。

一緒にいる時が満ちて、私が「帰る」と言い出して、彼が「送る」と言ってくれた。まるで「ちょっとそこまでだから送るね」、というような自然な感じで。 南オーストラリアのマリーリバー流域から、洗練都市メルボルンを有するビクトリア州を越えて、シドニーのキングスクロスがあるニューサウスウェルズ州まで。 走行距離・約1159km、約12時間のドライブ。 その距離と時間分、彼の私への想い、愛情。 数時間ごとに車を止めて、ドリンクを買ったり軽食を食べたり、ただ自然の空気を吸って休憩した

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【追憶のエッセイ#6】突然現れて旅に連れ出してくれた人。

旅をしていると、物ごとが起きるタイミングの絶妙な加減や完璧さに驚くことがよくある。 全てが終わってから、そうかあのこともこのことも全てこのために起きたのね、とそのクライマックスに感動するような、そんなできごとが。 オーストラリアの南、メルボルンからフェリーやフライトで簡単に訪れることができる場所に、タスマニア島がある。 島の約20%が世界遺産に登録されているという美しい自然は、太古の鼓動を感じる手付かずなものも多い。 旅のほぼ最後に訪れる予定にしていたタスマニアを、私

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【追憶のエッセイ#7】肥大化する冒険心を満たしてくれたオーストラリアの辺境の地

子供の頃から、冒険という言葉に弱い。 命を懸けて自然に挑むとか、アルピニストや冒険家を名乗る人々に。いつもそういった人たちの存在を目の端に認めては、ひとり密かに胸を焦がすほどだった。 いつかの前世で私はきっと、どこかのピーク(山頂)を登りそびれたに違いないと、心のどこかで本気で信じている。 そんな私の野望をほんの少しだけ、形にして叶えてくれたのがオーストラリアだった。それもNorthern Territory(ノーザンテリトリー)やWestern Australia(西

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【追憶の旅エッセイ#8】オーストラリア一美しい都市でベッドバグに蝕まれる

「Welcome to Australia(オーストラリアへようこそ)」と目の前のドクターは言った、にやりと笑いながら訛ったオーストラリア英語で。 オーストラリア滞在10か月目、私はとうとう洗礼を受けた。 インドで洗礼と言えばお腹を激しく下すこと、というのは周知のこと(多分)だと思うが、オーストラリアでの洗礼といえばそう、これ。 ベッドバグにやられる、ということだ。 ベッドバグ(南京虫/トコジラミ)を知らない人のために、簡単に説明しておくと、小さくて2つの牙で穴をあけ

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【追憶のエッセイ#9】西オーストラリア一怖い場所!? 大人の木登りは自己責任

木登り、というと聞こえはわんぱくな子供の遊び、のようで微笑ましい。 でも、私の中で木登りといえば幼少期のそんな思い出ではなく、西オーストラリアでの高さ52mの木登りが思い出され、足がすくむ思いが蘇る。 オーストラリアを一周する、つまりラウンドする旅人にとって、「ペンバートンの木登り」は、ぜひ目指したいもののひとつだろう。 ただペンバートンは、日本からだとまさにオーストラリア大陸の最果ての地、と表現しても過言ではない場所にある。だからこそ長期の旅行が許された旅人たちはこぞ

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【追憶の旅エッセイ#10】辿り着けなかった目的地に馳せる思い

長い旅路の間には、行きたいと切望しても叶わなかった場所がいくつかある。 人数が集まらないだとか、天候だとか、カードがスキミングされ金銭的なトラブルで、とかさまざまな理由で。 例えば西オーストラリアのカリジニ国立公園。 この国立公園は、日本人の間では“仮死に(カリジニ)”とも呼ばれ、ゴージ(渓谷)クライミングなどの冒険ができると人気のスポットだった。 冒険に目覚めたばかりの頃の私は、もちろん行きたくて行きたくて、最寄の町ポートヘッドランドまで行ったのだけれど、宿から出て

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【追憶の旅エッセイ#11】「チーズケーキorアップルパイ?」宿選びはその土地の経験を選ぶこと

「アデレードはさぁ、チーズケーキ派?それともアップルパイ派?」 オーストラリアをラウンドしたことのある人なら、この質問に答えられる人は多いはず。もちろんそうでない人には、とんちんかんな質問だろう。 これはアデレードの滞在宿の選択肢のこと。この町で当時、バックパッカーが泊まる宿は大きく2派に分かれていた。 Tという宿とBという宿。 それぞれが宿のメリットのひとつに「食後のデザート無料!」というのを謳っていて、当時は旅人を2分する宿で恐らくライバルだったのだ。 それが冒

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【追憶の旅エッセイ#12】リバーランドで人生初のファームジョブを経験する

できるなら、できるなら避けたかった。 でも他に選択肢がなくとうとうその仕事に手を出した、旅を始めて8か月目。 ファームジョブ。 ワーキングホリデーの場合、オーストラリアではファームジョブ、要は農場などでの季節労働を3ヶ月ほどしたら2年目の滞在が認められる、らしい。 らしい、というのも私のいた2001年前後、そんなシステムはなかったのだから。 当時は、英語は自信がないけれどジャパレス(日本料理店)より稼ぎたいワーホリが、世界の旅人たちと限りなくフェアに肩を並べて働ける

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【追憶の旅エッセイ#13】海外生活初の難関、同居人から存在を消されるということ

ハタチとか21とかでオーストラリアに旅立った。 ワーキングホリデー(以後ワーホリ)という、仕事しても勉強しても旅してもいいという、とても便利な1年間の何でもビザを取得して。 それは私にとって、親元を1か月以上離れる初めての経験でもあった。 住む街を自分で選ぶという経験にワクワクが止まらない、そんな私が選んだ街の名はバルメイン。 バルメインというのは、オペラハウスのある半島より西へ2つ目の半島にある。1本しかないメインストリートには小さく可愛いカフェやブティックが立ち並

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【追憶の旅エッセイ#14】慣れ親しんだ1杯に励まされた、異国暮らしの雨の日

私がワーキングホリデーとしてシドニーの街に降り立った頃、南半球の陽気を期待していた私を突き放すように、しとしと雨が降っていた。 すでに夏に片足を突っ込んだような時期であったにも関わらず、底冷えするように寒く雨の冷たさも相まって、私の心もぐっしょりと濡れたバスタオルのような重さに…。 最初の1ヵ月はノースシドニーのさらにノース、というシティからはバスを乗り継いで1時間ほど掛かるファミリー宅にお世話になっていた。 ハーバーブリッジを渡り、オペラハウスを横目に見ながらシティへ

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