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大人になって初めて会った私のおじいちゃんとおばあちゃんの話

会ったことが無かった

私は大人になるまで、父側の祖父母と会ったことが無かった。

子供の頃、「なんでパパの方のおじいちゃんおばあちゃんには会えないのかな?」と疑問に思うことはあったものの、触れてはいけない気がして家族に聞くこともしなかった。

でも、高校を卒業したあたりだっただろうか。私は大人になって自分のおじいちゃんおばあちゃんに急に会いたくなって、父に勇気を出して聞いた。

「パパの方の私のおじいちゃんおばあちゃんっているよね?会ってみたいなあ」

そしたら父はおじいちゃんおばあちゃんが住んでいるであろう住所をメモに書いて、「手紙書いてみな」と言って私に渡してくれたのを覚えている。

初めての手紙

私は初めて父の実家の住所宛てに手紙を書いてポストへ出した。

返事が来るまではとにかくドキドキした。

その手紙には、〝会いたい〟というストレートな内容を書いたし、私の趣味や好きなことなども沢山書いた。

そしてしばらく経って、達筆で丁寧に書かれた私宛の住所の白く長い封筒が届いた。

緊張しながら中を開くと、縦の線だけがある白い便せんに、同じように達筆でなめらかな丁寧な文字でこう書いてあった。

〝嬉しいです〟

正直、なんて書いてあるのかと届くまで想像できなくて、怖かった。だから安心したし、私は嬉しかった。手紙は4枚くらいで文字がたくさん書いてあった。おじいちゃんおばあちゃんそれぞれ4枚だったから、計8枚くらい届いたと思う。

手紙をポストに出す前は、父に「手紙を急に送って怒らないかな?嫌じゃないかな?」と何度も聞いていたし、出してから返信が来るまで、父に「返事来るのかな?大丈夫かな?」と何度も聞いたのも覚えている。

その度に父は、「優しい人だから大丈夫だよ、来るから待ちなって」そう言ってくれていた。

父の実家へ

そして、私は初めておじいちゃんおばあちゃんと会うことが出来るのである。

大人になって初めて、父の方の私のおじいちゃんおばあちゃんと会って、話して笑うことが出来たのだ。

初めて会ったあの日、新幹線で3時間以上かけて長い長い、遠い遠い道のりをドキドキと緊張を増やしながら進んだ。父は20年以上実家に帰ってなかったもんだから、おじいちゃんには若い頃の父の記憶しかなかったのだろう。私たちを駅に車で迎えに来たおじいちゃんの第一声は、「こ、肥えたなぁ……」で、一番最初に父のふっくらした体をみて驚いていた。

父は私が小学生の頃にうつ病になったりして休職して療養する時期もあって、筋肉質だった体は一気に変化していた。そして、私の両親は離婚してこの頃には父が私や弟を一生懸命育ててくれていた。私の家庭はとにかくいろいろあった。大変なことがとにかくあった。そのせいか、会うことも連絡を取ることも、話すことも実家としてこなかった父だったから、おじいちゃんもおばあちゃんも父の状況を何も知らなかった。

私が産まれる前に父と母の両家が喧嘩をしたりして、いざこざがあったのもあるのかもしれないが、母と結婚してから家庭環境が悪化したせいで、父は実家と関わることが出来なかったように思える。多分、気が付いたら20年という歳月が経ってしまったのだろう。時間が経つほどきっと帰りにくくなってしまったのかもしれないし、今更帰ろうと考える余裕も生まれてくれなかったのかもしれないけれど、私が言った「会ってみたい」の一言で状況は変わったんだと思う。

田舎のご飯

父の実家はとても田舎の山奥の、猿や鹿が日々出てくるような大自然の真ん中にあって、静かで気持ちの良い場所だった。自分の住んでいる場所も割と田舎ではあったが、ここまで田舎に来たのは初めてだった。

コンビニなんてないし、駅までは車で相当な時間がかかるし、スーパーなんて車でたくさん走らないといけないし……スマホは圏外になるし。でも蛍は見られて自然は豊かで素敵な場所。

そして、出迎えてくれたおばあちゃんは優しい顔のしっかりとした人だった。方言のせいできつめに聞こえる言葉だったけれど、礼儀正しく真面目な人でもあった。

おばあちゃんの料理は初めて食べる味がほとんどだった。おばあちゃんの土地の畑で作った野菜がたくさんで、味付けも食べたことが無いものばかりだった。ハンバーグとかオムライスなどの洋食を作ることはないおばあちゃんで、煮っころがしだとか赤飯だとかおひたしとか、鰆の西京焼きだとか……どれも珍しく美味しくて幸せだった。でも、ひとつだけいつも食べる味があった。それはみそ汁だった。父が作る味噌汁には何故かいつも卵が丸ごと入っているのだが、おばあちゃんが作る味噌汁もぐつぐつと温めている味噌汁に卵を割って入れていた。そして父と同じ味がした。父が作る味噌汁の味はおばあちゃんの味だったんだとここでやっと知った。正直、なんで卵をうちだけそのまま入れて作るのだろうと疑問に思っていたから(笑)

おばあちゃんの味を思い出しながら、父はみそ汁を作ってくれていたのだ。

厳しかったけど

それからは、お盆や父の仕事の長い休みの度におじいちゃんおばあちゃんのところへ連れて行ってもらった。おじいちゃんは静かな人だったからそんなに会話をしようとせず、父と同じように黙っていることが多かったけれど、おばあちゃんは常に厳しく、しっかりと話をしてくれた。

だからか、少しおばあちゃんのことが苦手になってしまって、会いに行くことが疲れてしまう自分がいた時期もあった。「おばあちゃんなんだから甘えたっていいじゃん、そんなに厳しくしないでよ」そう思ってしまった時期もあった。でも、そんな自分を今ではバカだなと思う。

私はあの頃、まだ引きこもりで、高校を卒業しているのに働くことも出来ず外にも思うように出ることが出来ず苦しんでいる毎日だった。でも、おばあちゃんはそんな私に対して、厳しい態度を取りながらも優しく接してくれていた。

私は、「なんでそんなに厳しい事を言うの?きつい言葉を言うの?」と思っていたこともあって、嫌になってしまっていた時もあったのだが、それはおばあちゃんなりの優しさだと大人になってから気が付くことが出来た。

だって、私が前に進めるようにと想って言葉を投げてくれているだけだったから。

「ちゃんとせられ。勉強もせられ(ちゃんとしな。勉強もしな)」といつもこんな感じで話をする人だった。「すごいね、頑張ってるね」と決して柔らかく褒めるような人ではなかったけれど、おばあちゃんは否定をするような言葉を私に言ったことが無い気がする。それに、おばあちゃんはあまり言わないからわからなかったけれど、常に私に会いたいと思ってくれていたのだと今は分かる。

私はそれがすごいと今は思う。

おばあちゃんの家系、父の親族達は教員や市役所勤務などの公務員だったり、経営者が多かったりと由緒正しき家系というか、元気でできる人ばかりというか、とにかく私のような引きこもりが~とか、統合失調症やうつ病で~とかは話を聞いている限り遠い話な気がした。でも、精神疾患を甘えなんて言うことは無かったし、むしろ話題に出して話すことも触れることもなかったし、良い意味で全然気にしていなかったので楽だった。おばあちゃんは、良い安定した会社(公務員とかも)へ行くことはいいことと思っている世代というか、実際思っているけれど、私や父をどんなことがあっても否定することは無かったし、むしろ厳しい言葉を伝えながら心配し、支えてくれていた。

働けていないことも気にすることなく、ただただ心と身体の健康だけを心配してくれていた。ちゃんと食べなさい、勉強しなさい、しっかりしなさいと言い続けてくれた。

厳しい言葉を投げながら、良い意味で甘やかすこともなかったのだ。

そして、父が大変な時は、新幹線にのって八十を過ぎてるというのにしんどい思いをしながら父と私の家まで家事を手伝いに来てくれた。

統合失調症で自分でもよく分からないことを毎日叫んでいた私を、「落ち着かれ(落ち着きなさい)」と少し厳しめに言葉を伝えながらも、逃げずに面倒を見てくれた。

いや。それは厳しめではなく、優しい言葉だ。

あの頃は何故か厳しいと思っていたけれど、厳しいんじゃなくて、それが優しさなのだ。厳しい言葉ではなく優しい言葉なのだろう。

だから、感謝しかない。

そして、いつも新幹線でおばあちゃんに会いに行くとおばあちゃんは毎日朝、決まって仏壇に手を合わせてこうお祈りをしている。

「〇〇ちゃん(私の名前)が幸せでありますように……〇〇(父の名前)が元気でいますように……〇〇(弟の名前)くんが楽しく過ごせますように……〇〇が……いつまでも元気でいますように……」

自分の孫や息子、娘の幸せを毎日全員分願っていた。

もしかしたら、父が会ってなかった20年間もずっと毎日手を合わせて願っていてくれたのかもしれない。

大人になって会ったから

私は大人になってからおじいちゃんおばあちゃんに会ったし、幼少期は一緒に過ごすことが出来ず、おじいちゃんおばあちゃんには寂しい思いをさせてしまったとは思うけれど、大人になって会ったからこそ、今大好きでいられているんじゃないかと思う。

子供の頃から会っていたらどうだったかなんてわからないけれど、あのタイミングで会ったから私はおばあちゃんおじいちゃんを大好きになったし、幼少期に会えなかった分会いたいと思えて、毎週電話をしたり、何かを送ったりできている。

小さい頃から過ごしていても、おじいちゃんおばあちゃんに会うことが年に1回とか、電話も年に数回とかの人も世の中に入ると思うけれど、そんな人をはるかに超えるくらい遠くても繋がれている気が今はする。

それに、やっと会えて話せて、喜ぶおばあちゃんやおじいちゃんがいてくれて私はとても嬉しい。おばあちゃんはちょっとツンデレで(笑)あんまりストレートに何事も言ってくれないもんだからわかりにくくてたまに困るときはあるけれど、そんなツンデレにいつも優しさが隠れていて温かいなとも感じる。

ちょっとしたことですぐに怒っちゃったり、厳しい言葉を言ったりする人でもあるけれど、でも、そんなおばあちゃんが大好きだから、私は敬老の日は毎年おばあちゃんが大好きな、おばあちゃんの住んでいる地域ではあまり見ないような珍しい色の花束を贈るのだ。

東京のオシャレなお店でしか見ないような、珍しい色のバラとか、とにかくおばあちゃんが喜ぶような花を贈ると、おばあちゃんは「こんなに多いと花瓶の水を取り替えるのが大変じゃ」と文句を漏らしながら、いつも「挿し木をして育てる」と言ってくれる。

んで、毎週電話でどれくらい育ってるのか嬉しそうに報告してくれて、「庭にまた花が増えたが、育てるのが大変じゃ。もうおくらんでええ(庭に花が増えて育てるのが大変だから送らなくていいよ)」ってちょっといつもより明るく元気な声で嬉しそうに文句を言ってくれる。

本当は嬉しくて、また送ってほしいくせに。

だから、今年も花束を贈った。

田舎の山奥に珍しい色のバラが咲くように。

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※米寿の写真をくれた時の手紙

(玉ねぎ苗注文書の裏に書いてるのが可愛い)

#おじいちゃんおばあちゃんへ

追記:おばあちゃんのYouTube始めました!

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