なんとなくそう思う、それじゃダメなのかな。
うまく言葉にできないけど、なんとなくそう思うんだよね。
なんとなくって便利な言葉だ。
この表現を使ってしまえば、たったひとつの正解を出さなくてもいい。そんな曖昧さを纏っている。
相手からしたら本気で答えを出そうとしてないなこいつ、とか思われちゃうのかな。でも何度考えてみても、心の中に思い浮かんでいる思いを的確に表す言葉が見つからない。
脳内や心の中を「はい、どうぞ。私はこんなこと考えてます」って、見せてあげれたらラクなのに。
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で、なんでこんなことを考え始めたのか。それは、同じ本を読んでいる友人とのとある会話がきっかけだ。
「どこまで読んだ?」「いまね、〇章まできたよ」そんな会話を毎日のように繰り広げていたのだが、つい最近になって私がこの本にどハマりし、一気に読み終えてしまった。
向こうはなんで一気に読み終わるほど私がこの本にハマったのか、具体的に知りたかったらしい。けど、私からでてくる答えは「なんでだろうね」「なんか面白かったんだよね」「んー、分からない」と、曖昧なフレーズだらけ。
考えてもバシッと納得できる答えが出てこなくて、「気づいたらハマってた、読むのが楽しくなってた。それじゃだめ?」と返信していた。
自分と向き合っても、答えがでるわけじゃない
言葉を綴ること、深く考えること、なんでだろうと深掘りしてみること。
悩み事があるとき、私が試してみるものたち。
シャープペンシルを手に持ち、ひとり真っ白なノートに向かう。そんな風に自分と向き合う時間を、最近は無意識のうちにつくっている。
思いついたことをひたすらノートに書き込んでみたり、自分の今の気持ちを言葉や絵にしてみたり。何も考えず、そのときの気分でただただ書き込む。
日記ではない、読者のために書く記事でもない、noteに書くための下書きでもない。でも毎回ノートを閉じるときには、真っ白だったページに1本のエッセイができあがる。構成もなんにも考えていない、ただの殴り書き。
でもそれですっきりする。答えがでてなくても、うまくまとまってなくても、なんとなく満足した気持ちになる。
どんなに思いつめて考えても、答えがでないなんて平凡なこと。わざわざ無理してまで答えを出そうとしなくてもいいんじゃないかな、最近はそう思うようになった。
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なんとなくそう思ったからって理由にならないの?
このままだとたぶんダメになるな、とかこの人とはなんとなく馬が合わないんだろうな、とかたぶんこっちを選んだ方が正解な気がする、とかふと直感的に思うことが多々ある。
それはなんで?と聞かれても、「なんとなくそう思ったから」以外の答えは見当たらない。だって本当にそうなんだもん。
たまに後付けみたいに、答えや理由を付け加えることもあるけど、そのときの自分ってそこまでは考えていないはず。
例えとして私の話を。
私は大学で中国語を専攻し、北京に留学もした。留学といえば英語圏というイメージが一般的だからか、「なんで中国語を勉強しようと思ったの?」とよく聞かれる。
「将来的に役に立つと思ったから」がお決まりのフレーズ。
確かに役立ちそうと思ったのも理由のひとつだけど、当時の自分に問いかけてみたらきっと「なんとなく中国語にしてみた」って言うんだろうな。なんとなく始めたんだけど気づいたら夢中になっていた、そんな経験ありませんか?
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曖昧でいいじゃん、なんとなくでいいじゃん。具体的な理由を述べなくても、伝わる人にはきっと伝わっているから。
何にでも答えを求められる、理由を聞かれる。ちゃんと答えられないと、考えが浅いとレッテルを貼られてしまう。
うーん、言葉って難しい。
日々の楽しみに使わせていただきます!