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帰る場所がある、そう言ってくれる人がいる

ワンルームの部屋から、代わり映えのしない外の風景を眺める。

小さなころは窓を開けたらそこには草木が茂り、季節の花が顔を出し、小学校の入学と同時に植えた梅の木が時の流れを教えてくれていた。

ちょっと遠くをみれば山々が見える。アルプスはどれだっけ、あの白くみえる山はなあに?そんな会話が日常的に繰り広げられていた。

気になったことを口に出す、そこには好奇心旺盛な私の唐突な質問に答えてくれる母がいたから。

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大学進学とともに始めた一人暮らしも、6年目に突入。

帰省という言葉を当たり前のように使うようになり、一人暮らしを寂しいと思うこともなくなった。

今はおうち時間が増え、誰かと暮らすっていいなと思う日もあるけどね。

今日は母の日

世界中の人たちが母親を想い、1日を過ごす。私はてっきり昨日だと勘違いをしており、1日早い母の日を過ごした。

久々に電話でもしようかなと、思うままにかけてみる。

近況を話し、いまの暮らしについて悩んでることを相談し、「いつでも長野帰っておいで」という一言で締めくくられる。帰る場所がある、そう言ってくれる人がいる、そんなちょっとしたことだけどなんだか嬉しくなって、昨日は電話しながら涙目になった。

心配性で、なにかあるごとに連絡してくる私の母。あんたの好きなアーティスト明日番組でるけど予約した?、今度そっち行くけど何か必要なものある?そんなLINEが突然送られてくる。

それをめんどくさいと思い、返信を放置する私。返信を放置しすぎて、生存確認をされたことも。さすがになにか送らないと、と返事すると怒るわけでもなく、「元気そうでよかった、安心したよ」とだけ送ってくる母。

いつもあんな態度とっちゃって申し訳ないなと思いつつ、どうしても後回しにしてしまう。家族という関係性。近すぎると離れたくなってしまう。これは家族に限らず、恋愛や友情でも同じことが言えるけど。

以前、遠距離恋愛がうまくいかなかったことを母に話したことがある。そのときに言われた言葉。

私は親だから、あんたがどこにいても見守ってるし、どこにいても大丈夫と思っているから安心して送り出せるのよ。彼氏くんはあなたがどこか行っちゃうんじゃないかって心配だったんじゃない?
あなたから連絡がこないっていうことは、生活を楽しんでるってことだから。充実してるならそれでいいの。

県外の大学に進学させてくれて、北京に交換留学もさせてくれた。若いときはやりたいことをやりなさいと、私が決断を迷っているときはいつも背中を押してくれる。

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私の性格かちょっと敏感すぎる性質が関係しているのか、学生から社会人になった現在までで何かと悩み、その度に情緒不安定になることが多かった。

そんな私を常に支えてくれた母。「ムリしなくていい、休んでいいのよ」と、いつも安心感をくれた。そのおかげでいま私は生活できているし、人間としてちょっとずつ強くなれている。

母の存在ってこんなにも大きかったんだな。当たり前のようにいるから、自分がこんなにも母という存在を頼って生きてきた、ということに気づけなかった。その重要性を軽視してたんだろうね。

一人暮らしを始めてから6年が経ち、私は今年で24歳になる。

実家で暮らしていた高校生から現在まで、親元を離れたからこそ、さまざまな出会いがあり、そして価値観が広がり、今の私ができあがった。

でも今の私があるのは、ずっと見守り支えつづけてくれた母のおかげだ。ちょっと大人になった今の私だから、そう思う。

今日は、お母さんに日頃の感謝を伝える日。

いつもいつも想っていてくれてありがとう。いつまでも健康でいてください。

母には感謝しなきゃいけないことが多すぎて、言葉にしようとするとありきたりなものになってしまう。だから今後は、日頃から感謝の言葉をちょっとずつ小出しにしていこうかな。

p.s.
今年はコーヒーとお菓子のセットをプレゼントしました。

喜んでくれたようで、娘は嬉しいです。

日々の楽しみに使わせていただきます!