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力強い朝日が昇った日に


2022年の終わり、デンマークで留学中の私に会いに、はるばる日本からヨーロッパへ従兄弟が遊びに来てくれた。
年の締めくくりに、久しぶりに会う語りがちな従兄弟と、いつにも増してよく喋った。

「毎日後悔のないように生きたいよな〜、人間本当いつ死ぬかわからんからなぁ」
なんて話してたら彼が突然
「明日死んでもいいと思える?」って。
「明日死んでもいいように今日を生きろ」はよく聞くフレーズだけど、
冷静にそんなことを聞かれると少しこわくなった。



ある時、父とゆっくり話した時に父の独特な死生観を聞いたことがある。

「死ぬってあの世に”帰る”って感じな気がするな〜ただいま〜って(笑)」

そう言われてから
「死」といういつかどうしても訪れること自体に対しては、こわいという気持ちより不思議だなって思うようになった。

それでも「明日死んでもいいと思う?」と訊かれた時に感じたそのこわいの大きな理由は今の私に2つ。
それは、今後やりたいこと、そしてもう一度会いたい人が沢山在ること。


だから、毎日後悔のないように生きてる?って意図で聞かれたであろう「明日死んでもいいと思える?」に、
その意図に対する返事は「思えるよ」って言えると思うんだよな。というか言えるようには目指してる。

いやでも、もちろん
まだまだどうか生きさせてください。と思うけど




日本にいた時から落ち込んだ時によく見ていたyoutuberの方が言ってた言葉がある

死ぬのがこわいんじゃない
ちゃんと生きなかったことがこわいんだ
大愚和尚



今日も日の出が遅めなデンマークでもちゃんと
力強い朝日が昇った

今日もちゃんと、生きていこう
ここで学んだように、心地よく、大切に。

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