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「何もしない」は悪ではないが毒にもなる

神奈川に来てから早いもので6ヶ月が経ちました。

先週、友達と夏ぶりに会って「今年もあっという間に終わっちゃうね」という話をしました。
もうそんな時期なんだなあ、と思いながら、この半年のことを振り返ろうと思います。

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1.珈琲のお店で働いています。

こちらに引っ越してきてから2回目の就職活動を始めました。
と言っても、なかなか一歩が踏み出せず ( この理由はあとで ) 税金やら保険料やらの支払いに追われ、ひとまずアルバイトを始めました。

働いているのは、商業施設の中にテナントとして入っている、焙煎所が経営するカフェ。
前までカフェで働いていたけど、コーヒーのことはあんまり分からないから、ちゃんと勉強してみたいという動機で始めました。

普段のお仕事内容はドリップコーヒーなどのドリンクの提供、豆の量り売りやギフト提案など。
お客さまと一緒にお好みの豆選びをしたりもしますが、スタンドタイプのカフェなのでテイクアウトが多く、基本的には受け身の接客です。


と言いつつ、実はこのカフェで働くのは、12月末まで。
次の仕事は決まっていません。

それなのになぜ辞める決意をしたかと言うと、この6ヶ月であまりに得るものが少なすぎて、これ以上長く働く意義が見出せなかったからです。


・1日の客数が少なく、作業も全てやり尽くしてしまい、空白の時間が多すぎる。
・その時間で客数を増やす施策を考えても、店長のモチベーションが無いため実行に移すことができない。
・社長は他にも工業や福祉の会社を運営しており、意見を出しても反映に時間がかかりすぎる。また他のことに手を出しすぎて、プレイヤーになってしまっている。


福利厚生など整っていない部分が多すぎるのは小さい会社だから仕方ないにしても、やはりこの社長と店長の下では働けないと思ったのが1番の理由です。
言い方はキツいですが、こんなに尊敬出来ない年上っているんだ、とかなり衝撃を受けました。

当初の契約期間は3ヶ月の予定でしたが、一方的に12月までと言われ、さらに1月以降もと言われましたが、その一言できっぱり辞める決意が出来ました。

ある意味では、いい社会経験をしたな、と笑い話にするつもりです。


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逆に言うと、この期間で分かったこともあります。

・社内に尊敬出来る人がいることがかなり重要
同じモチベーションで動ける仲間がほしい
・自分の意見を正しく伝えられる力が乏しい
周りを動かす力や企画力が必要
安心して働ける環境を求める( 福利厚生など )
空白の時間を有意義にする行動力

特に最後の項目については、アイドルタイムが長すぎて、この時間で何が出来るだろう、こんなに無駄に時間を使ってしまっていいのかと思うことが多々ありました。
仕事においては暇よりも忙しすぎる方が丁度いい私にとっては、何もしない時間が何よりも苦痛でした。


そして、このアルバイト期間でもう一つ分かったことが、就活に踏み切れない大きな理由。

またうつ病になるかもしれない恐怖。

またうつになったら周りに迷惑をかける。
体調を崩した時でも簡単には休めない。
でも自分のやりたいことを仕事にしたいから、事務はちょっと… など。

でも働いてみなきゃわからないよね?
もしかしたら、そういうことにも理解を示してくれる人がいるかもしれない。
思ったよりも心配せずに働けるかもしれない。
だって6月まで体調を崩すことはあっても、しっかり週5日働けてたじゃない。

もしかしたら、これに気付けたのが大きな収穫だったかもしれないな。


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2.うさぎさんのこと

わたしには2010年5月から一緒に暮らしている大事な家族がいます。

ネザーランドドワーフの男の子です。
12/9で我が家に来てちょうど9年と6ヶ月になりました。

中学3年生の春にうちに来て、高校・大学と一緒に暮らしていました。
9年も経っているので、居るのが当たり前の存在です。


そう思い込んでいたのが悪かったんでしょうか。
11月の上旬から呼吸がしづらいような表情になり、病院に連れて行くと、肺腫瘍と胸水貯留と診断されました。

うさぎさんの肺ってもともと小さいのですが、胸水が溜まることで十分に膨らむことが出来ず、呼吸困難に陥ってしまっているそうです。

何度も胸水を抜く手術を受け、ついに6回目の先週、先生にもう出来ることはないと言われてしまいました。
岩手にいた頃にお世話になっていた先生に連絡しても、ただ側にいてあげてください、と。

今までうさぎさんがいなくなるなんて考えたことがなかったので、理解が追いつかないまま、ただずっと泣いていました。
医療用の酸素室を借りてその中で過ごしてもらっているのですが、帰ってきて2,3日は苦しそうなままで、撫でてあげるだけで何も出来ず。
いつその時が来てもおかしくないと覚悟を決めていました。


しかし、帰宅後4日が経った頃から呼吸が落ち着いてきて、食欲も全く無かったのに、少しずつまた食べ始めるようになりました。

座ると息苦しくなってしまうので、寝ることも出来ずずっと立ちっぱなしだったのが、今は元気だった時のように目を細めて眠っています。


病気の完治は難しいのですが、まるで治ってきたかのように振る舞っているその姿を見ると、小さな体で一生懸命生きようとする強さに私たちが圧倒されてしまいます。


**諦めて未来を悲観しているのは私たちだけで、うさぎさんは"今"を一生懸命に生きている。 **

うさぎさんの「介護」と言っていたけど、「介護のために」側にいるんじゃなくて、側にいることなんていつも当たり前のことだったじゃない。

それに対して自分は毎日を消費するだけで何もしていない。
「今年もあっという間だったね」なんて言って、中身のない日々を送っていることがとても恥ずかしくなった。

出来ないからと言って何もしないのは正解じゃない、何もしていないままだと「自分は生きている!」と自信を持って言えないのではないか。


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最近うさぎさんのために夜も何度か起きて、ずっと家の中にこもりっきりだったけど、昨日久しぶりに外を散歩して気づいた。

何かで息が詰まりそうな人が「何もしない」をするのはとてもいいこと。
でも、いつも「何もしない」をしている人にとっては、いいこととは限らない。

カフェで働いている時間とうさぎさんの勇姿のおかげで、「何もしない」との付き合い方を見直そうと思い、久しぶりにnoteを開きました。

きっと今後、何度も読み直すべき記事になるはず。



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