諦めた音と怒ってる音
この前の週末、映画好き(仕事が映像関係なので勉強を兼ねて、映画館で年間100本前後の映画を観る)の夫は夕方映画に行く予定にしていた。その前に2人で子供の歯医者さんの付き添いに行く予定にしてたけど、私は力尽きて行けそうになかった。
かたじけない、、とか思いつつ、夫だけで歯医者に連れてってもらえるか聞くと、了承しながらも、「ポキッ」と音(共感覚)がして、がくーん、と音が重く暗く沈んでいった。
「あー、いま何か諦めたなあ、何を諦めたんだろう」と思っていたら、歯医者さんから帰宅後夫は「やっぱ今日は映画やめとく」と言った。怒ったような悲しいような抑えつけるような、なんというか、真ん中から出ようとしてる音を、周りからぎゅうぎゅう抑えこむような、そういう音の方向性があって、ほんとは行きたいけど我慢してるんだろうなあ、と私は思った。
それで、「ほんとに映画、行きたくないの?さっき諦めた音がしたけど、何を諦めたの?自分?ほんとは映画行きたいんじゃない?」と聞いた。
夫はびっくりした顔をして、「いや、自分まで諦めてはないけど(笑)。君は体調良くない感じだし、子供達の歯医者は連れていけたけど、これから夕飯作ったり大変かな、って、なら、なんか申し訳ないし、今日映画はやめとく方がいいかなと思って」と言った。
私は、「歯医者さんの間に休めたから私はもう大丈夫。映画観るのも、ライフワークとして取り組んでるんでしょ。ただの遊びだとしても、遊びこそ必要なことだし、夕飯の支度してる間行ってきても私はいいよ」と言うと、重く暗かった音が軽く明るい感じに浮上して、ほっとした。
彼は映画に行き、とても良い音(丸くて、ルンルンと明るい、落ち着いた、彼らしい音、さっぱりしたような音)になって帰ってきて、私も同じように嬉しくなった。
「怒ってる音」は、とても大きいからすごく目立つ。爆発する怒りは、花火みたいに大きい音がして怖いし、イライラしたような音は、低音で、漫画なんかでよくあるヘビみたいなうにゃうにゃした線みたいなのも見える(視力で目の前に見えるわけじゃなくて、頭の中にそういうイメージが湧く、その線が自分の周りの空間を漂う感じ)から、すごく気になるし、私も落ち着かなくなる。爆発はしてないけど低音の「怒ってる音」は、急いでるとか焦ってる音にも似てて、見分けがつきにくい。いずれにしても苦手な音のひとつだ。
ある朝、「怒ってる音」がした。夫が怒ってるか焦ってるか急いでるか疲れてるんだろう、と思って、「怒ってるの?」と聞いた。彼は、「いや、怒ってないね」と笑った。それでも、その音はなくならないから、「いや、怒ってるんでしょう?だって、音がするし、形があるんだもん、じゃあなんでこの音がするの?」というと、「僕じゃなくて、君が怒ってるんじゃないの」と言った。それで、それは考えつかなかったなあ、と思いつつも何かしらギクッとして、考えてみると、たしかに自分が怒ってることがある、と思い当たった。
ひとから聞こえる音(共感覚)について、言語化したり、発話して他者に確認したりすることは今までなかったけど、信頼のおける相手とは、こうして尋ねてみれるようになった。
いざ書いてみると、奇妙な感じを持たれるだろうか、と不安にも思いつつ、共感覚だろうとそうでなかろうと、だいたいみんなそんなものだろう、とも思う。
共感覚は、どこまでも私自身の主観的な知覚なので、相手の音を聞き間違えることや全くの私の思い違いであることもあるし、その感覚をきっかけに新しい発見が出てくることもある。相手の音じゃなくて自分の音で笑えることもあるけど、自分と他者の間に境界線を持って、自分も相手も尊重し、相手の役に立つことで自分ができることは何かを考える(同調から共感へ)練習中の私にとっては、興味深くて楽しいやり取りとなっている。