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一人の人を撮り続けたい

「撮影中は、全世界で私が一番被写体のことを愛している」というヌードメインのカメラマンさんが過去いましたが、個人的には割とナンセンスかなと思っている今日この頃です。

いや、彼氏とか彼女とかいる被写体さんなら、それ聞いたら結構良い気がしないなぁなんて浅はかなことを思っています。

閑話休題

タイトル回収で、具体的なことをいうと「ポートレート分野で一人の被写体さんを撮り続けたい」になります。

自分は兵庫という土地柄そこまで被写体さんが多くない+オープンな性格ではないため(昔のあだ名は隠キャのヤリチンでした)、ガッツリ営業しまくってという性格ではなかったのですが、より強く思ったのがこちらの写真集を見てから。

青山氏の写真集はこれしか見たことなかったのですが、「2年間モデル経験のない少女を撮影、この少女は、年齢も名前もわかりません。一切の情報がない『記号的な少女』」というパワーワードに頭殴られて見てみました。

中身について、氏は有名な方なので満足度高いです。本のインタビューに少女性とかの記述がありましたが、個人的にはそちらより、1人をここまで追求して撮るという行動が、単純に「良いなぁ」と思えました。

言語化しにくいのですが、「普遍性があるのに、変化もある」という見える側面によって見え方が違って、すごい刺さるコンセプトでした。

僕はある時から、ヌードも撮影する機会がありましたが、基本的にはポートレートの延長線上にあるつもりです。(それを本職にしている方は申し訳ない発言なのかも)

ヌードも服というと意味不明ですが、ぶっちゃけポートレート撮影と切り分けて考えてないという感覚です。特別な服と特別な環境がプラスにされている。なのでもちろん特別なんすけどね。

特別理由がない限り、ヌードを先行してお願いすることはないのですが、良識の範囲内で好きになったこの人撮り尽くしたいなという感覚になった先がヌードなのかもしれないですね。

なんでヌードの話をしたかというと、1人の人の傷も過去も裏も面も全て撮っていきたいという環境ではどうしてもその話も影響してくると思っています。多分なかなか実現はしないでしょうけど、そういう気持ちの人少なからずいるのではないでしょうか。複数の被写体さんに懇意にしてもらうのもそれはそれで最高ですが、個人的には前者が憧れのカメラ持ってる人像。

かっこいいな、いいな、単純に好きだな。という感覚や目標を持ってないとそこで進むのは止まっちゃいそうなんで、叶わないとしてもいつまでもこういう気持ちは持っていようと思ってます。


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