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【短編小説】恋と呼べない恋は不思議な関係のまま続くのか〜その3 愛してるから…〜

 狭い通路を抜け扉を開けると、楽屋になっていた。そこには彼女のバンドメンバーである4人がいた。
「連れてきたよ」
彼女が照れ臭そうに小声で僕の事を紹介した。
「知ってるよ」
一人の女の子が言うと、他の子が続けて
「あれ〜、彼といるとそんな可愛らしい顔になるんだ〜」
茶化されて彼女はより一層照れながら、僕の顔を見ていた。その時僕の目に入ったのは唯一の男子メンバーだった。思わず
「あれっ、なにしてるん?」
「何してる?って今日ライブだよ」
「そういう事は先に言っておけ」
彼女はキョトンとしていたが、彼は同じクラスでしかも、この前まで隣の席だった。
「いやっ、言うタイミングなかったし、教室だと彼女の話とかしないから…」
「だからって知ってたろ?」
そこで状況がわかった彼女が入ってきた。
「えっ!同じクラスなの?ぜんぜん言わないじゃん。言ってよ」
「だから言うタイミングがなかったろ!それに知ってるもんだと思ってたから」
周りから収めるように、
「まぁまぁ、いいじゃん」
話しているとあっというまにスタートの時間になった。
「じゃ、フロアで見てるから」
「うん、後でね」
そのやりとりだけで他の子から
「まぁ、可愛い!見た事ない!」
とツッコミが入った。
フロアに出ると人で埋め尽くされていた。僕は壁際に陣取ってステージが開くのを待った。なんとかステージからも見えるか?と思いながらその時、ステージが開いた。彼女はツインギターの一人、コピーの為か観客の盛り上がりも早かった。

 ライブも終盤に差し掛かり、更に観客を煽るMCでベースの彼が突然
「今日はね、ギターのあのポニーテールの方の子の彼氏が来てるんだよ。ほら彼氏そんな後ろにいないで彼女の一番そばにいてあげなよ!」
観客がキョロキョロし出す。彼女はメイクの上からでも分かるほど真っ赤な顔になっていた。更に彼は彼女に
「ほら、見て欲しくて呼んだんだから一番近くに来てって言わなきゃ」
その言葉に彼女は思わず後ろ向きになってしまった。そんなやりとりをただ見てだけの僕の前が少しずつ開く?なんで?と思って見ると、フロアにいた彼女の友達が僕を見つけ、通してもらうように促していた。
「余計なことを」
独り言だった。隣の人にも聞こえていない様子で胸を撫で下ろしていると、突然引っ張られた。気がつけば彼女の真正面まで道が出来ていた。それを見たベースの彼が
「ありがとうございます。ほら〜皆んなが協力してくれたんだから…」
僕は彼女の方へ目をやると、彼女は照れながら手招きしていた。僕も照れながら歩き彼女の目の前まで出た。
「はい!ありがとうございます。あっ!いつも学校で良く見る光景になった。良かった良かった」
周りからも茶化すような歓声が上がる。その時彼女が僕に
「ごめんね」
と耳打ちしてきた。それを見逃すはずもないボーカルの女の子が
「はいはい、近くに来たからって〜、いちゃいちゃしない!まだライブ終わってないよ!終わったら許すから…今日はイブだもんね!」
「しょ〜がない!じゃ〜二人の為に歌っちゃおうかな?」
と言って始まったのはラブソングだった。彼女は演奏中ずっと僕を見ていた。それが分かるということは僕も彼女をずっと見ていた事になる。その様子はしっかりと曲終わりに報告された。ツインギターのもう一人の子だった。
「はい!はい!」
ボーカルの子が急に予想外のところから声を上げられて、驚いたように
「えっ!はい!何!」
「はい!私やってられないです」
「えっ!なにかあった?」
「だって隣でカップルがずっと見つめ合ってるんだよー!やってられない!羨ましい!私も彼氏が欲しい!」
「そっちかい?そりゃ私も欲しいさ」
「も〜…二人も終わるまで我慢して!」
そんなやりとりにベースの彼が
「だ〜から〜、ライブ中だし、いないものはしょうがないでしょ!それに歌う前に二人の為って言ってたじゃん。そりゃ二人はそうなるよ。ギター弾いてただけ良かったじゃん!」
「随分優しいじゃん!なんか弱味でも?」
「そんなんじゃね〜よ!ただ羨ましがっても、ただ悲しくなるだけだから…」
妙な空気が会場全体を包んだ。その空気を嫌った彼女が、
「はいはい!次、最後の曲なんだから、盛り上がっていくよ〜!」
と皆んなが
「お前が言うな!」
とツッコミながらも演奏が始まった。

 いろいろあったライブは盛り上がったまま終わった。僕は彼女をフロアの片隅で待っていると、他のメンバーが先に出て来た。
「来てくれてありがとう。どうだった?」
「盛り上がったし良かったよ!」
「いじってごめんね」
「いいよ別に、いつもの事だし」
そこに、メイクを直した彼女が出て来た。
「やっぱりイブだよね」
「私もライブのメイクじゃなくて、普通のメイクでデートしたい!」
「はいはい、いつかね!今日はほらっ皆んなで行くよ。二人っきりにしてあげないと…」
「じゃ〜な〜」
騒がしいまま4人は夜の街へ消えていった。
「行こっか?静かになったし」
「うん」
興奮していた空気がいつもの空気に戻った。駅まで歩き電車に乗る。彼女が行きたいというお店へ向かう。
「どうだった?ライブ」
「良かったよ!可愛いかったし…」
「ありがとう、でも緊張した〜!」
「緊張してた?」
「うん、まさか目の前で弾く事になるなんて思ってなかったもん」
「あっ、ここだよ」
そこは、こじんまりとした、ログハウス風のレストランというよりはカフェというイメージのお店だった。
「へぇ〜知らなかった〜、こんなとこにあったんだ〜」
「美味しいよ。混んでるかなぁ?」
「イブだしね」
入ってみると、テーブルは空いていた。店内のほぼ中央のテーブルに案内され、メニューを見る。クリスマス用のメニューが目を引いた。やっぱりクリスマスのセットかな?と思って彼女を見ると彼女から
「ねぇこのセットとこっちのでいい?両方食べたい!」
「そうしよう」
オーダーをして料理を待つ間に
「これ…クリスマスプレゼント…気に入ってもらえると良いんだけど」
彼女は笑顔で受け取ってくれた。
「ありがとう。開けていい?」
「どうぞ」
「あっ!素敵…」
手袋を手に嵌めて見せた。
「少し大人っぽい方が似合うと思って、選んだんだけど…けっこう手 冷たい事多いみたいだから」
「優しい…ありがとう」
彼女は手袋を外し、足元のバッグの中からプレゼントの包みを出した。
「あっ、私からも…これ…」
「ありがとう。開けてみていい?」
「うん」
マフラーだった。手編みではない事もわかった
「良いじゃん!あったかそう」
「うん、あったかいよ」
「ん?…あっこれっ、あれっ?」
「うん、私のと色違い」
「ありがとう」
料理が運ばれてきた。高校一年生にしては、少し生意気なデートなのかもしれないが、二人とも見た目が大人っぽいせいか、いつもこんな感じの事が多い。
「美味しい…」
「うん、美味しいね」
比較的静かな店内にクリスマスらしいBGMが流れて、初めて来ても普段と雰囲気が違う事はわかる感じだった。過去クリスマスに彼女と呼べる子がいた事はあったが、こんな風に過ごすことはなかった。その為、新鮮な異空間にいるような気がしていた。最後のデザートが運ばれてきた。
「かわいい!」
思わず彼女が言ったそれは、大きめのお皿に、まるでクリスマスオーナメントのように飾られたケーキだった。
「こういうの良いよね」
彼女は興味津々の様子だった。子供のようなその笑顔は夢の世界にいるかのようだった。二人交換しながらデザートを食べ終え、余韻を楽しんだ。
「そろそろ、送るよ」
「もうそんな時間?」
「うん」
「じゃ、しょうがない…か…」
会計を済ませ、彼女を家の前まで送った。
「じゃ、また」
「うん」
見上げると星が降ってきそうなくらい、輝いていた。雰囲気にながされた訳ではないが、二人にとって初めてのキスを交わした。そのまま彼女は照れ臭そうに、小走りに家の扉の中に入っていった。

 年が明け、気がつけば3学期が始まっていた。冬休み中、ほぼ毎日会っていた二人には互いの制服姿が不思議な位だった。それも馴染んできて、日常の『学校生活』に戻れた頃、いつもの仲間達とエントランスホールで放課後の僅かな時間を過ごしていると、あの『ライブ』でベースを弾いていた彼が、慌てて飛び込むように入ってきた。
「やっぱり、ここにいた!」
「慌ててなに?!」
僕は驚きと共に嫌な予感がした。
「早く帰れ!早く!」
「待て!待て!意味がわからない」
その時、あの時のメンバーに囲まれて彼女が連れてこられてきた。その姿を目にした瞬間駆け寄って彼女の腕を掴んだ。彼女は泣いていた。
メンバーの一人が僕に向かって、
「ごめんね。理由を話してあげたいけど、今は時間がないの。この子連れて早く帰って」
優しい口調だった。僕の胸で泣いている彼女を抱きしめながら、心の中に嫌な予感と困惑と苛立ちと彼女への想いが全て入り乱れていた。
「悪りぃ!多分細かいことは、落ち着いてから話すから彼女の為だから…」
一緒にいた仲間達まで、ただならぬ空気に僕のカバンを持って来てくれた。その空気に押され胸の中の彼女に
「大丈夫だよ。帰ろう」
出来る限り、わざとらしい程に優しく話しかけた。彼女は言葉は無く、ただ小さく頷くだけだった。その間メンバーが後ろを気にしている様子も気になってはいたが、胸の中の彼女が最優先だった。
「ありがとう」
僕は良く分からないけど、彼女を僕のところに連れてきてくれたお礼を告げ、彼女を抱き抱えたまま玄関を出て、自転車置き場に向かった。その途中振り返ると見送ってくれているメンバーの姿…視線の隅、玄関とは離れている校舎の窓、あの『軽音の先輩』がいた。やはり明らかにこちらを見ている。がしかしその時の僕には、何も考える余裕もなく、ただそれだけだった。

 その日もバスで来ていた彼女を自転車の後ろに乗せた。彼女は僕に抱きつき泣いていた。声を上げて…少しでも学校から離れようとペダルを漕いだ。彼女の手をしっかりと握りしめたまま。彼女も僕の手を目一杯握っていた。ただこのまま家に送って行くことはできないと思った僕は、途中の少し大きめの公園に寄り道をした。あまり人気のない所のベンチに彼女を座らせ、隣で彼女を抱きしめるように座った。彼女は、何かを話そうとしながら話せないという様子だった。
「今は何も言わなくていいよ。今は聞きたくないし…」
彼女は俯いたままだった。風が冷たかった。僕は彼女のマフラーを巻き直した。彼女も僕がしているお揃いのマフラーを掴んでいる。僕は出来る限り関係ない話を彼女に話し続けた。ただ彼女に笑って欲しくて…。どの位時間が経ったのだろう。オレンジ色の太陽がすっかり見えなくなって、空に星が浮かんでいた。二人の真上を新幹線が何本も通り過ぎていた。彼女はやっとほんの少しだけ笑顔を見せてくれた。
「やっと、笑ってくれた」
思わず僕が泣きそうになった。何か話そうとした彼女に
「今は何も言わないで…言ったらきっとまた泣いちゃうから、泣かれるのは、心が痛いよ…笑ってよ。キミの笑顔が大好きだから」
彼女は僕の胸に顔を埋めた。でも今度は泣いてなかった。
「何があったのかは彼にでも聞くよ。安心して案外強いんだから…大丈夫」
彼女が静かに顔を上げた。精一杯の笑顔だった。その精一杯の笑顔で掠れた声で
「……キス…し…て…」
一言だけだった。

 次の日から彼女は学校を休んでいた。体調不良が理由だった。三日目ともなると、周りはザワついてきている。当たり前のように、僕の所には質問・確認果ては文句の類までいろいろきていたが、僕本人が一番知りたかった。何があったのか?彼女を何が襲ったのか?知っているであろうあのバンドメンバーさえも、口を閉ざし目を合わせようとしない。ただ、唯一僕がバスケ部にいた頃の先輩が通りすがりに寄って来て
「面倒臭いよな!俺は無視してれば良いと思うけどな、大丈夫だよ。お前達は何も悪くないんだから…」
それだけ言って去って行った。訳もわからず戸惑っていると、彼女の担任までが寄って来て
「ねぇ、様子だけでも見て来てくれない?」
担任は困った顔で更に
「こんな事君に頼むのは、教師としてはどうかと思うかもしれないけど、電話だと良く分からないし、だからって家まで行くのも…って思って、君なら会えるでしょ。ねっお願い」
なんだろう。生徒が一人3日間休むと、これだけ騒ぎになるのか?僕は先日の彼女の泣いている顔が頭から離れなかった。「何かあったのはわかってんだよ!俺だってパニックなんだ!誰か教えてくれよ!…なぁ!」心の中で叫んでた。精一杯何も変わってない顔をしながら…この騒ぎでエントランスホールに行かなくなっていたが、彼女が休んで4日目放課後一人行ってみた。ここまで何もしてないわけではない。毎日彼女の家に通っているが、会ってくれないのだ、2階の彼女の部屋から顔を出してくれてはいるが、やはり周りを気にしていた。だから今日はここにいてみようと思った。誰かが話しかけてくるかもしれないし、何か見かけるかもしれない。ただ、騒ぎになるような事は避けなければと思っていた。騒ぎになれば、彼女が悲しむ事になる、きっと…。何も起こらなかった。吹き抜けの上を見上げる。前にあの先輩が立っていた場所だ。そこに今立っているのは生活指導の担当教諭だった。上から僕を見ている。まさか…そこまでの騒ぎになる話?と頭の中をいろんな事が巡る。そんな事にはならないと自分に言い聞かせる。そこへいつものバスケ部の女の子達が通りすがる、僕は思い切って声を掛けた。
「ねぇ、ねぇちょっと」
女の子達は静かに寄って来てくれた。たぶんこの子達は何か知っている。それも完全な部外者として…
「彼女の事何か聞いてない?」
女の子達は顔を見合わせてから話しずらそうに少しずつ話してくれた。
「本当に何も知らないの?」
「知らない!分からないから悩んでるんだ」
「そっか、私達も全部知ってるわけじゃないよ」
「いいよ、知ってる事教えて」
「なんか〜二人が付き合い出した頃か付き合う前か、良く分からないけど、彼女がある人から告られてたらしいの…」
初耳だった。が素直に聞く事に専念した。
「ただ告ったと言っても冗談っぽかったから、返事もしないで、そのまま二人が付き合い出したみたいなのね」
「うん」
「それが今になって怒り出したみたいで、彼女に詰め寄ったって話だよ」
嫌な予感しかしなかった。だいたい見えてきた。彼女の優しさが仇となってしまっている気がしてならなかった。
「なんかその相手が先輩で…どーのこーの」
女の子達は自分達が知ってるのはそこまでで、しかも正しいのか、どうかも分からないという事だった。
「でもさ、それだけならこんなに休む程じゃないよね〜」
一斉に僕に視線が向けられたがその返事はせずに立ち上がりながら
「ありがとう、部活頑張れよ」
とだけ言って帰り道を急いだ。多分彼女は毎日僕が現れるのを待っているはず。何もなく無事に顔を見せるのを…急に自分が嫌になった。彼女が抱えてしまった事を気付けなかった自分に苛立った。

 彼女の家のすぐ近くのコンビニでジュースを買い時間をおいた。会ってくれるかどうかは分からないけど、多分今の僕の顔を彼女が見たら怖がると思って、落ち着かせる為に時間をおいた。そしてなるべく何も考えないよう、ただ彼女に会いたい気持ちだけを伝えようと思った。コンビニから自転車を押して彼女の家の前に着いた。深呼吸をしてインターホンを鳴らす。いつものようにお母さんが対応してくれた。ただ昨日までとは少し様子が違った。ちなみに彼女のお母さんは僕が自分の娘と付き合っている事は知っている。
「あっ、ちょうど良かった」
とだけ言ってインターホンは切れた。すぐにドアが開いた。お母さんが出て来てくれた。
「毎日ありがとうね。どうしようもない娘を大事にしてくれて…」
「?」
「いつもあの娘、あなたの事楽しそうに話してるのよ」
「何かあったんでしょ。まぁ深くは聞かないけど…あっそう私これから出かけなきゃ行けないのね、で帰りは遅くなると思うし他に誰も帰ってこないから、あの娘とご飯食べってって、ねっ!頼んだわよ」
「?」
圧倒されていた。
「あっあの娘の部屋は階段上がった一番奥だから…よろしくね。私このまま出掛けるから」
そう言うと車に乗り込み出掛けていった。その様子を彼女も2階の部屋から見ていた。僕は彼女と目が合い、思わず笑ってしまった。すると彼女も笑っているのが見えた。ホッとした瞬間だった。僕は彼女の家に入り2階へ上がり彼女の部屋の前で彼女の名前を呼んだ。なんだかすごく久しぶりの気がして少し照れ臭かった。部屋の扉が開き、彼女の姿が見えた。何も言わずに抱きしめていた。
「逢いたかった」
僕の本心だった。
「ごめんね。毎日来てくれてありがとう」
「座って」
部屋の中に入り、ベッドに座った。
「あっ!こんな格好…恥ずかしい」
彼女はパジャマ姿だった。休んでいたら当然と言えるかもしれない。
「かわいいじゃん」
「友達から連絡とかあった?」
「うん、あったけど電話出てないんだ」
「そっか、皆んな心配してるよ」
「酷いこと言われてない?責められたり…」
「ないよ。皆んな優しいから」
「心配かけちゃったね。ごめんね…学校行きたかったんだよ。会いたいし、話したいし…でも朝になると…怖くて…」
「うん大丈夫だから…ねぇお母さん遅くなるって言ってたけど…」
「あっうん、木曜日は習い事やってるから、で終わるとお友達とご飯食べてくるみたい…」
「ふーん、あっ俺に一緒にご飯食べてって、言ってたけど…」
「うそ!知らない!娘に言わないって!どういう事?えっ、用意してあるって?」
「うん、そう言ってたよ」
「まったく、信頼されてるのか?放置なのか?娘が彼氏と二人だけなのに…心配ではないのか?」
「あれっ?二人きりじゃなんか不安?」
「そんな事ない」
「そういえばお父さんは?」
「今単身赴任中」
「そっか〜、寂しいね」
「そんな事ないよ。電話くるし」
「マメだね」
「あなたの事も知ってるよ」
「えっ!そうなの?」
「うん、お母さんが話してた」
「そっか…」
オープンな家庭環境だ。なにより彼女が少し元気になって安心した。
「ねぇ、ご飯食べよ」
「うん」
二人で一階のダイニングへ向かった。
「座ってて」
彼女は一人キッチンで準備をしている。
「ほんとにあなたの分までちゃんと用意してある!お茶碗にお箸に…ほら」
用意が終わり、彼女もテーブルにつくと、
「食べよ」
と笑顔だった。

 食事が終わり、二人はなんとなく彼女の部屋に戻った。テレビを見ながらくだらない話をして、その会話が途切れた時だった突然、彼女が俯きがちに静かに話し出した。
「ねぇ、あの話…どこまで知ってるの?」
「あの話って?」
僕は敢えて濁してみた。
「今回の…あの…」
彼女の様子が明らかにおかしくなった。僕は慎重に話した。
「うん…多分噂程度の話だから…合ってるかどうかもよくわからないけど…でもキミは悪くないじゃん」
彼女は俯いたまま、ゆっくりと話し始めた。
「ちょうど私があなたの事を見つけた頃にね、友達に誘われて軽音部に遊びに行ってたの…ほんとにギターの話ばっかりしてたの…」
「うん」
「それがだんだん先輩達とも仲良くなってきてちょうどあなたから手紙を貰った頃で、私嬉しくて嬉しくて、いろんな話したの…でもあなたの事は話さなかったの、大事にしたいから…」
「うん」
「それがいけなかったのかなぁ?…あの先輩、分かる?」
「あの前に俺が聞いた先輩?」
「うん、あの先輩が、皆んながいるところで『俺と付き合ってよ』って言ったの。私…冗談だと思って…『冗談はやめてください』って言ったんだけど…その後先輩部室から出て行っちゃったから…」
そこまで話したところで彼女は泣いていた。僕は彼女の隣に座ったままそっと抱きしめた。
「優しいね…」
彼女は話し続けた。
「その後は普通にしてたから、やっぱり冗談だったんだって思ってたの…」
その頃から僕があちこちで『その先輩』を見かけ出したんだと思った。彼女は更に言いづらそうに続けた。
「それがこの前…」
「キミが泣いて連れてこられた日?」
「うん、あの日皆んなで部室に行ってからあなたのとこに行こうと思って…皆んなと部室に行ったの」
皆んなとは、イブにライブをしたメンバーの事だ。
「そしたら、部室から先輩の声が聞こえて…何人かいたみたいだったけど…その先輩が怒ってて『あいつブッ飛ばしてやる!』って話してて一緒にいた友達が『先輩、誰ブッ飛ばすんですか?』って聞いたら私を睨みながら…『決まってるだろ!彼氏面したあいつだよ!ムカつくんだよ!』って…私…怖くて…何も言えなくて…そしたら続けて『あいつと喧嘩して勝ったら俺の彼女だからな!』って…私もう訳が分からなくて…逃げたのあなたに逢いたくて…そしたら皆んなが守ってくれながら…『どこにいるの?』って聞くから『ジュースのとこ』って言ったら皆んなが連れてってくれたの…」
彼女は小刻みに震えていた。僕は抱きしめる手を少し強めた。彼女は僕の胸に顔を埋めるようにしながら話し続けた。
「先輩ね、前に喧嘩で問題起こした事があるみたいで…あなたが殴られるのなんか…見たくないし…怖い…」
言葉が出なかった。べつにその先輩と揉めるのなんか、どうでも良かった。それより彼女が感じたであろう恐怖がどれほどのものなのか、許せなかった。恐怖を与えた先輩ではなく、それを4日も放置した自分が…
「ごめんね、もっと早く聞かなきゃだったね。一人悩んでたんだよね。ほんとにごめんね…実は今日、バスケ部の先輩に言われたんだ、二人は何も悪くないんだから、無視してればいいって、話がやっと通じたよ。でもメンバーの態度を見てもそれなりに怖いんだろうね、その先輩。だってこの4日間ほんとに目も合わせてくれないんだから。」
少し明るく言ってみた。少しでも顔を上げて欲しく…
「…私…どうしたらいいの?…分からなくて…怖いよう…」
「大丈夫!俺がついてる!」
横から抱きしめていたのを正面に向き直して抱きしめた。出来る限りしっかりと、出来る限り優しく。

 彼女はひとしきり泣き、少し収まり始めた涙を拭いて、
「私…学校行きたい!あなたと一緒にジュース飲みたい!皆んなで笑って話したい!二人で自転車乗って帰りたい…」
「出来るよ。その先輩だってキミに手を出すわけじゃない!俺の事が気に食わないんだから、俺が無視してたら済む話だよ…」
出来る限り優しく言った。
「そうだよ。私で喧嘩なんて、私嫌だよ!あなたが喧嘩してるとこなんて見たくないよ…」
「うん、分かったよ。喧嘩なんかしないよ」
見つめ合う事がやっと出来た。
「ねぇ」
「うん?」
「私の事愛してる?」
「あぁ、愛してるよ」
「私も愛してる。誰よりもあなたが大切で、ずっと一緒にいたいよう…」
「俺もだよ」
彼女がすっと顔を上げて、優しくキスをしてくれた。とても優しい時間が流れた。彼女はゆっくりと顔を戻し、僕の目を見つめた。
「…ねぇ…  れよ…」
小さな声で聞き取れなかった。
「ん?なーに?」
「愛してるから…別れよ…」
呆気に取られた。理解が出来なかった。
「ダメだよ。こんな女じゃ。あなたの優しさがもったいないよ。それに別れれば、先輩と喧嘩する事もないでしょ」
「そうすれば、学校も行けるし」
「愛してるから別れるのもあっていいんだよ」
「だって別れれば、ジュース飲んでても大丈夫じゃん、一緒に帰っても付き合ってないんだもん、彼氏じゃないんだもん…ね…」
彼女は僕の顔をじっと見つめたまま、その瞳から大粒の涙をこぼしていた。ただその表情にはなんの感情もなかった。僕は何も言えなかった。たった4日でここまで追い詰められた彼女の心が僕の心の奥に突き刺さり、ただ何もしてやれない自分が、悔しくて、情け無くて…自然と涙が出てきた。
「泣かないで」
「愛してるから、ずっと愛してるから…泣かないでよ」
彼女は泣きながら僕の頬を流れる涙を拭ってくれていた。
「ねぇ…明日朝迎えに来てよ」
「一緒に学校行こ」
「先輩は方向が全然違うから、会う事ないし」
彼女は必死に泣かないように、精一杯の笑顔で言葉を絞り出した。
「うん…分かったよ」
何がどこまで分かったのか、分からないがやっと出た言葉だった。
「ほら、そろそろ帰らないと遅くなるよ」
もう夜の9時を回っていた。家の外まで送ってくれた彼女は、どう見ても必死に涙を我慢していた。僕は自転車にまたがると、彼女が寄ってきてただ黙ってキスをした。

 その後、僕はどうやって帰ったのか?いつベッドに入ったのか?記憶がなかった…ただずっと心の中で『愛してる』とつぶやいていた。

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