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2001 同根異種

■2001.12 同根異種

 文中に出てくるフロッピーディスクとは、パソコンの旧式の記憶媒体のことです。
 5インチと3.5インチがあり、2001年当時は3.5インチが主流でした。

 サイト「JUNE-net」の『裏声日記』は小説JUNE編集長・英保未紀氏の日記のコーナーです。
 私は2001年11月25日の「『裏ヴァージョン』、あるいは孤立のススメ?」を自サイトの掲示板でお薦めしようと思っていました。
 『裏声日記』の内容は、松浦理英子氏の『裏ヴァージョン』の書評です。私はこの作品のJUNE的な書評を読んだことがなかったので、この切り口の書評が出てきたのが嬉しかったのです。

 松浦理英子氏の『裏ヴァージョン』は、短編小説とその寸評が交互に出てくる小説です。短編小説を書いている元作家と、小説を批評する高校時代からの友人との屈折した関係が、ワープロの文章のやりとりだけで描かれています。

 以下ネタバレありなのでご注意ください。
 批評者の文章はゴシック体で書かれています。しかし、小説への罵倒に耐えられなくなった作家が質問状を送ったり批評者を小説に出したりすることによって、批評者も作品の世界へ巻き込まれていきます。小説の内容や、それを誰が書いているのかということ自体、実際には判断がつかないようになっています。

 元作家は高校時代にふたりでハマっていた「ホモセクシュアル・ドリーム」の私小説を書き出し、批評者は二十年以上経ってもいまだにそれを引きずっている非現実的な感性を攻撃します。
 この小説はやおいを卒業したやおらーと、その卒業の仕方に疑問を持っているやおらーとの戦いの記録のようにも見えるのですね。少年愛に対する入り組んだ感性が理解できないと『裏バージョン』の本当の意味はわからないのではと邪推したくなるくらい、私には『裏バージョン』が「こちら側」の小説に見えたのです。

 英保氏は、松浦氏がかつて少年愛に嵌まっていたらしいということを挙げ、「〈やおい〉の走り」を巡る「読む者」と「書く者」の関係性について書いています。
 私は松浦氏が少年愛に嵌まっていたとは知りませんでした。
 松浦氏がレズビアンをモチーフにしているのは、セクシュアリティではなく個と個の関係性を描きたいからだそうです。このあたりもある種のやおらーに似ていますね。
 1978年に文學界新人賞を受賞した『葬儀の日』は、それが一番先鋭的に表れていた小説です。
 この年は栗本薫氏が『JUNE』でヤオイ小説を発表し始めた年でもあります。

 松浦氏の『ナチュラル・ウーマン』は、登場人物が女性でなければ成り立たない小説でした。
 しかし、『葬儀の日』は「泣き屋」と「笑い屋」の精神的な絆が描かれた小説であり、登場人物を少年に替えても成り立つ話でした。
 個と個の関係性を描きたいのであれば、それが女でも男でも構わないはずです。
 同時期に同じ影響下にあったふたりの作家が、ひとりは少年愛を書き、ひとりは少女の精神的な妄執を書いた。
 なぜ松浦氏は『葬儀の日』を少女の話として書いたのでしょうか。

 多作なエンターテイメント作家と寡作な純文学作家。
 文壇の異端児と優等生。
 両者の根底にあるものは、異性愛の制度や、異性愛のセックスへの絶望だと思います。
 栗本氏はその絶望を虚構のなかで叶える装置・ヤオイ小説を発明し、松浦氏はその絶望を突き詰めて破綻する方法を選んだ。
 絶望に解決を与えた栗本氏は、その装置が生みだす虚構と自らの作品を区別し、やおらーから離れていっています。
 栗本氏は、自分の「ヤオイ」はほかの「やおい」とは別物であり、社会に最初に投げつけた違和感であったことから、自分の「ヤオイ」はアナーキズムたりえたと述べています。
 絶望を解決せずに破綻させた松浦氏は、結合を望む個と個の距離を徐々に広げながら、やおらーのほうへ近づいてきています。
 『JUNE』が誕生して二十年経った今、どうしてふたりの立場が逆転しているように見えるのか。
 これが現在の私の疑問です。

 ひとつ言えることは、松浦氏が等身大の主人公を書いているということです。
 『葬儀の日』の主人公は少女。『裏ヴァージョン』は高校時代に「〈やおい〉の走り」を迎えた四十一才の女性。
 『葬儀の日』では、主人公は精神だけで結びつこうとしていましたが、『ナチュラル・ウーマン』では身体を媒介とするところまで許容範囲が広くなっています。『裏ヴァージョン』では媒介となるものがフロッピーディスクの文章だけというところまで来ています。個と個のつながりが緩やかで猥雑になっています。
 『裏ヴァージョン』の元作家は学生時代の萌え話を書いているのですが、その内容はやおらーにしてみれば気恥ずかしい、どこにでもありそうな妄想の話です。その陳腐さをわかっていながら、松浦氏はなぜ「ホモセクシュアル・ドリーム」に萌える少女の話を書いたのでしょうか。ある種のやおらーと目指すところは一緒なのだろうという感じは、『葬儀の日』のころからずっとしていたにもかかわらず。
 私は松浦氏に少年愛を標榜するべきだというつもりは毛頭ないのですが、両者の少年愛への距離の変化が不思議だと英保氏の書評を読んで思ったのです。

2002年9月17日追記:
 小説JUNE2002年4月号から、中島梓氏の『小説道場』が再開されました。今の時点では、本当に中島氏がやおらーのもとへ近づいてきたのかはわからないのですが、中島氏の再開は素直に嬉しいです。

2021年10月11日追記:
 再開された『小説道場』がこちらにまとめられています。

小説道場ご隠居編 新版・小説道場
https://www.amazon.co.jp/dp/B076CJQHV4






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