まほこ
日常に、心が震えるほどの感動を【ABDのススメ&イベントのお知らせ】
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日常に、心が震えるほどの感動を【ABDのススメ&イベントのお知らせ】

まほこ

突然ですが皆さんは、日常生活で「感動」することはありますか?

毎日楽しく、小さな喜びと感動であふれているなら、とっても羨ましい!
聞いた私はどうかといえば、間違いなく、あまり多くない方です。

それなりに楽しく豊かに暮らしていますが、むしろ今は感動よりも、ニュースなどでがっかりしたり悲観的になったりすることの方が多いような気がしています。

だから、映画を見るとか、美術館に行く、スポーツを見るなどして、たまには心を動かさないと、心が硬くなって、折れやすくなる気がするのです。

こもりがちな時こそ感動が欲しい!

私の場合、感動を欲する傾向は、地方に移住してからより顕著になりました。

東京は、街歩きや美術館めぐりが週末ごとにできる環境です。
もともとそうした場所に行くのが好きだった私は、長野に移住した当初は頑張って地元のカフェや美術館を発掘していたのですが、残念ながら数やアクセスの良さに関していえば、地方は東京の比ではありません。

情報も特にネット上でまとまっているとはいえず、次第にお店やスポットの新規開拓は億劫になっていきました。

買い物にしても、東京時代によく利用していた店が長野県には1つも出店していないことはざらです。
加えて冬季の長野県は、寒さによって街歩きどころではなくなるので、街は閑散、どうしても家にこもりがちになります。
さらにここに、昨今の移動自粛生活が加わりました。夏冬関係なくこもることが多くなると、やっぱり多少は悲観的にもなるというものです。

ここ数年で、日常生活で心動かされる体験を継続的に得ることは、私の生活のテーマになっていました。
今も本屋として活動しながら、その方法を模索しています。

移住したての2018年冬。とても寒い年でした。

ABDとの出会い

これまで私は、感動によって心の状態をよくする作業を、カフェや美術館といった「自分の外」に外注していました

それが上手くいっているうちはよかったのですが、移住に加え、この度の移動自粛生活で、外に出ることが難しくなった今となっては、このまま外に求め続けるわけにいきません。

となると、感動や心の体操も、外注ではなく、自作することが必要になってきます。

数年前、出かける先がないなら自分でイベントを作ろうと悪戦苦闘する中で私が出会ったのが、ABDという読書会でした。

ABDはアクティブ・ブック・ダイアローグ®︎の略です。
この読書会では参加者で本を分担して読み、その後にダイアローグ(=対話)を行うのですが、この対話のプロセスが、読書と同じくらい大切にされています。

仮に20人の参加者で一人10ページずつ読むと、200ページの本を読み終えることができます。
すると、2〜3時間で本1冊が読めるだけでなく、共通の本の知識を前提にしたメンバーでダイアローグするので、その場がかなり盛り上がりやすいのが特徴です。

私はもともと人と話すよりも、自分の世界に入る方が好きなタイプでした。
最初はABDもファシリテーターの方にお願いして実施してもらっていたのですが、結局自分で資格まで取ってしまうほど、かなりハマっています。

なぜそんなことになったかいえば。
もちろん、地方に来て知的好奇心をそそられる体験に飢えていたからというのも多いにありますが、今思えばそれだけではないように思います。
ABDで得た発見には、感動すら覚えるほどでした。

対話で人が感動するとき

要は本を読んで人と人が話すだけの会であるABDで感動したというと、ちょっと大袈裟に聞こえるでしょうか?

今回は実際に、私がABDで体験した話を紹介させてください。

あるABDが滞りなく進行し、最後のチェックアウトを迎えていたときのことです。
チェックアウトでは、一人ひとり、今日の振り返りをひとことづつ話します。
私の順番は最後の方だったので、ひたすら人の話をじっと聞いていました。

その時の参加者は嘘偽りなく、本当に心から思ったことを話していたように思います。ただ他の人の話も熱心に聞いていると、その話を受けて思い浮かぶ感想もあって、実際に前の人を受けて「〇〇さんが話していた△△についてだけど・・・」といったように引き継いで話す人もいました。

すると、一人ひとりは自分が得られた学びについて話しているだけなのに、それが言葉になった瞬間、まるで水紋が広がるみたいにその場で拡散していくのがわかりました。

きっかけは、最初の一人の感想です。ただそれが連続していくと、心から発せられた言葉は、他の人に影響して形を変え、その場にいる全員の学びや血肉となっていたのです。

「あー、これが学びが深まるということなんだな」とぼんやり思いました。
人の熱量は他の人にも伝播するといいますが、学びもまた然り。
それを実感した瞬間、本当に心が震えたのです。

その日の自分の感想は、まさに今見たことを言葉にしてみました。
すると、その言葉にさらに感動してくれた人がいて、その方は終了後に私に声をかけてくれ、握手を求められました。
それがとても嬉しく、今でも忘れられない記憶となって残っています。

自分の解釈に名前をつける

人の話を熱心に聞いていると、自分の考えが深まるのは、なぜなのでしょうか。

私は、自分と他人の解釈が異なることで、自分の解釈に名前がつくのではないかと思っています。

ダイアローグは、その日読んだ本の知識を自分の言葉にすることから始まります。
その際何を話すかは、主催者が事前にテーマとして決めていることもあるし、その場の参加者が決めることもありますが、本を読んで浮かんできた感想や疑問、自分の考えなどを話すのが主な流れです。

この時、同じ本の知識を前提としているのにもかかわらず、自分の考えと他の参加者の考えは、微妙に、時には大幅に異なっているのです。
これをそのまま出すことが一番のポイントのように思います。

人の考えと自分の考えが異なるのは当たり前のことのように思えますが、対話の時に出すのは意外と難しいことがあります。
なんの覚悟もなくいきなり話し始めると、声の大きい人に影響されて、なかなか自分の意見が言えなかったりもするからです。

私がABDを企画するとき、よくダイアローグでは、まず自分の意見をふせんに書き出してもらい、それから模造紙にそれを貼り付けていく作業をします。すると、最初は他人の意見に影響されずに自分の考えを出すことができます。
それから模造紙にはることで、共通点もしくはズレたポイントを起点に話の流れを見える化していきます。全体を俯瞰して見ると、自分から見た他人、他人から見た自分の視点を考えられるようになります。

ABDで使用した模造紙

こうしたプロセスは、読んだ本の知識をより深めるだけでなく、その場にできた小さな社会の中での自分を冷静に見つめることにつながります。

他人の視点を含めて話すことで、自分が悩んでいたことの原因や、自分の立ち位置が明確になり、思考がクリアになって、今後の方針が見通せる。
自分のもやもやした思考が言語化され、「名前がつく」ことで、なんとなくですが、明日がんばろうと思える。

ABDにはそんなふうに、人を前向きにする力があると思っています。

他人の視点の力を借りて、自分の思考を言葉で整理できるという意味では、私が今勤めている「本屋」という仕事にも通じるところがありますね。

【イベント告知】そして今日も企画は続く

ABDは、どんな業種のどんな人でもできます。
はじめたての頃は、同年代の若い人たちと実施しました。その後、年代が違う人や、初めて会った人たち同士、今年は中学生とも実施し、その度ごとに新しい発見があります。

今日も今日とて、私はABDの企画をしています。
年明け早々に読む本は、本屋さんになったばかりということで『本を売る技術』です。

この本の帯には、こんな言葉があります。

本屋の仕事にはすべて道理がある。
これまでマニュアル化不可能、口承・口伝、見て盗む、あるいは独学で行なわれてきた書店員の多岐にわたる仕事が、今はじめて具体的・論理的に語られる。

WEB本の雑誌社より https://www.webdoku.jp/kanko/page/4860114388.html

私の勤める本屋にも、マニュアルと言えるものはまだありません。
そんな中「本屋というのはどういう仕事なのか、全体を知りたい」というのが、私がこの本を最初に手に取った理由でした。

実際読んでみて納得した部分もあれば、やはり大きい本屋さんとは規模の面で違うこともありそう・・・と思った点もあります。

なので、この点をいろんな立場の本屋さんに聞いてみたく、「新米本屋のセルフ研修」として、ABDを企画しました。

このイベントでの「本屋さん」の定義は割と広めです。
つまり、本を売る人だけでなく、貸す人、贈る人、好きな人など、さまざまに本に関わる人が気軽に話せる「本と人との偶然の出会いを楽しむイベント」にしたいと思っています。

とはいえ、ABDの面白さも伝わるように頑張りますので、読書会が初めての方も、ABDって何?という方も、興味あればご参加ください!

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まほこ
長野県在住。学校の外から「教育」と「自分らしく生きる」を考えているひとです。本と本のある場所が好きです。ライター/ABD認定ファシリテーター/kintoneアプリデザインスペシャリスト/ときどき本屋