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「都市を歩くように――フラン・レボウィッツの視点」はおもしろい

Netflixには優れたドキュメンタリーが多い。ドキュメンタリーというと貧乏くさいものが多いが、さすが儲かっているNetflixだけあって、潤沢に資金をつぎ込んでいるのが見て取れる贅沢な作りのものばかりだ。そんな一本がこの「都市を歩くように」で、なんと巨匠マーティン・スコセッシが監督である。


主人公のフラン・レボウィッツ(Fran Lebowitz)のことは不勉強で知らなかったが、1950年生まれで御年70歳。勉強になじめず高校中退、19歳で移り住んで以来ずっとニューヨーク・シティに暮らし、テロだろうがパンデミックだろうが頑として移るつもりはない。スー・グレアム(後にチャールズ・ミンガスと結婚した)がやっていた雑誌「Changes」の編集を皮切りに、アンディ・ウォーホルの雑誌「Interview」のライターとして名を揚げた。よってコラムニスト、評論家、ユーモリストといったあたりが一応の肩書きになり、邦訳された著作もいくつかあるが、でも最後にまとまった本を出したのは1994年、寡作というか本人曰くなまけものなので、あまり書いてはいないらしい。だから生計は基本的に講演で立てていて、しゃべりにはスタンダップ・コミックに近い軽みと巧みさがある。こういう感じでも、家賃の高いNYCで暮らしていける人がいるんですねえ。

「都市を歩くように」というタイトルは原題Pretend It's A Cityの直訳だが、これにはもう少し辛辣な意味があって、「田舎じゃなくてここは街なんだから、『街だと思って』ぼんやりせずに周りを見て歩きなさいよ」というニュアンスである。このドキュメンタリー・シリーズは7本構成で、ニューヨーク、文化、都市交通、お金、スポーツ・健康(がいかにどうでもいいか)、世代の変遷、図書といったテーマについて、レボウィッツが様々なシチュエーションで、持ち前の観察力を活かし縦横無尽に語っている。

このご時世でもスマホやパソコンは持たず(その割にSNS等のことはちゃんと知っていて、社会の動向に疎いというわけでもない)、相変わらずタバコを吸い、しかし遙か昔から断固としてレズビアンでもあるレボウィッツには、奇妙な若々しさがある。おそらく精神的に若いからで、それは確固とした価値観というか個性がある一方、独善に陥らず柔軟で好奇心が強いからだろう。言いたいことは言うが、決して押しつけがましくはならず、嫌みったらしくもなく、さっぱりとした「引きの美学」のようなものがある。ようするに根っからの都会人なのである。都会に住んでいるから都会人、というわけでもなくて、十年一昔でもやっていける人は都会人ではなく都市生活者だ。泳ぎ続けないと呼吸できない(らしい)サメのように、何か知的刺激が無いと生きていけないのが都会人ということではないかと思う。

最近レボウィッツはアメリカの若者世代に人気があるらしいが、エリック・ホッファーとかと同じで、知的アウトサイダーという枠なんでしょうね。社会が土台から揺れる時代には、彼らのような反時代的存在が求められるということなのではないかと思う。

スコセッシはレボウィッツの長年の友人のようで、11年前にもPublic Speakingという似たような企画の映画を撮っている。このドキュメンタリーでもスコセッシ自身が狂言回しのように登場してレボウィッツの相方を務めているが、結局ただ笑っているだけなので、ラジオ番組で笑い役に徹する放送作家みたいではある。

個人的には、やはりジャズがらみの思い出話が面白かった。特にミンガスに追いかけ回された話は、声を出して笑ってしまうくらいおかしい。

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