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「The Nightly Show with Larry Wilmore」はおもしろかった

4年も前に終わったテレビ番組のことを取り上げても仕方がないような気がしなくもないが、今でも折に触れて、この番組の最終回について考えることがある。

ラリー・ウィルモアは日本ではほとんど知名度がないと思うが黒人のコメディアンで、最近ではBlack-ishやInsecureといったドラマのプロデューサーとしてのほうが有名かもしれない。ウィルモアは2015年から翌年にかけて平日夜中にテレビ番組を持っていたことがあって(スティーヴン・コルベアの出世作となった「コルベア・リポート」の後釜)、それが「ナイトリー・ショー・ウィズ・ラリー・ウィルモア」である。

コメディアンが司会を務める、笑いや風刺の要素を多くしたニュース風番組というのがアメリカのテレビでは近年一大カテゴリを成していて、ウィルモアのもその一つだったが、この番組は「Keep it 100」(忖度抜きで100%真っ正直に、とでも訳せようか)を旗印に、黒人をはじめとしたアメリカのマイノリティの問題など、センシティヴな話題を果敢に取り上げたことで異彩を放っていた。

ただ、往々にして内容の良さと視聴率は必ずしもリンクしないわけで、番組は比較的短命に終わる。打ち切りの直後にドナルド・トランプが大統領として浮上し、レイシズムや社会の分断が前景に押し出されたことを思えば、ちょっと早すぎたとはいえるかもしれない。いずれにせよ番組の最終回には、ウィルモアも出演していた「The Daily Show」の元司会者で、この種のコメディ・ニュースショーのフォーマットを確立したといえるジョン・スチュワート(ウィルモアの番組のプロデューサーでもあった)が乱入し、以下のようなことを述べたのである。

「番組の打ち切りを失敗と取り違えちゃいけない。君は君がやるべきことを成し遂げたんだ。それも見事に。」

「君は、社会の目が行き届いていない人々に、メディアという場で声を与えた。君の番組は、生々しく、痛烈で、おもしろくて、スマートで、とても良かった。それを君は無から作り出した。」

「君は、『対話』を始めたんだ。それは君がこの番組を始めたときには、テレビの世界には存在しなかった。君は人々を対話に招き入れて、協力し、対話を磨いていったんだ。」

「君はまだ気づいていないが、君がいなくなったあとも、君が始めた対話が終わることはないんだよ。ずっと続くんだ。」

何かを主張し、対話を始めることは、人間にとって最も重要な行為だと私は考える。率直に言って私自身は、対話で相互理解が深まるとは思っていない。しかし、誰かが声を上げれば、少なくともそこに問題がある(と誰かが考えている)ということは明らかになる。最も重大な問題は、往々にして、問題があるにも関わらず誰も問題があることに気づいていないというところにある。問題は、解決よりも発見が難しいのである。

運が良ければ、そこから議論を始めることができるかもしれないし、できないかもしれない。それはある意味どうでも良いことなのだ。たとえ議論が成立しなくても、そこに断絶があるということは可視化される。すべてはそこからだ。ゆえに、右派だろうが左派だろうが、どんなに愚かで不勉強で間が抜けた主張であろうが、誰もが声を上げることを妨げてはならないと思うのである。もちろん反論は自由ですよ。

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