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再読

 小田嶋隆(さん)のブログなどを読みだしてから結構長いお付き合いになる。昨年、日経ビジネス電子版に連載中のコラム「ア・ピース・オブ警句」が有料になり疎遠になっていたが、つい最近、彼のツイートを何気なく見ていたら、一日だけ公開で読めるのを知り読みだした。下手に感想など書きこむと鮮度が落ちそうなので、一部だがそのまま掲載することにした。近況の心境に近いものを感じている。
 
○○界に残る「ホモソーシャル」
 4月にはいってからこっち、ウクライナのことで頭がいっぱいになっている。
 困ったことだ。
 で、日常の些事について、落ち着いて考えることができなくなっている。
 
 インターネット内をウロついていても、テレビのニュースを渡り歩いていても、どうかするとウクライナのことばかり考えている。
 といって、このたびの戦争について何かを書く気持ちになるのかというと、それはしたくない。むしろ、書くべきではないと考えている。
 
 自分なりに思うところはあるのだが、あえてその感情なり見解を書き起こそうとは思わない。理由は、自分の頭の中を行ったり来たりしている考えが、果たして公表に値するものなのか、自信が持てないからだ。
 
 じっさい、このひと月ほどの間、ウクライナ関連について、無価値な情報を垂れ流す論客が大量発生している。無価値なだけならともかく、彼らは、明らかに有害な感情を煽る粗悪な情報を発信している。
 戦争が始まると、一部の人々が興奮状態に陥ることは、あらかじめ想定できたことで、そのこと自体は、特に驚くにはあたらない。
 
 しかしながら、戦争と興奮の組み合わせは、大変によろしくない。私はそう思っている。
 
 戦争のニュースに興奮する気持ちは、任侠モノの映画を見て、やや凶暴な気持ちで映画館を出る時の心境に似ていると言えば似ている。
 スポーツの試合や娯楽映画を見て興奮するのは、必ずしも悪いことではない。しかし、生身の人間の命のやりとりである戦争を眺めてエキサイトすることは、無益であるのみならず、有害だ。
 
 というのも、戦争が拡大する理由のひとつは、戦時報道を眺める人々が、平静さを失い、興奮してしまうことの中に求められるからだ。
 
 戦争は、それを眺める人々の中に、あらかじめ内在していてふだんは封じ込められている、さまざまな感情を呼び覚ます。
 
 それは怒りかもしれないし、差別感情であるかもしれない。闇雲な敵意や無目的な処罰感情であるのかもしれない。いずれにせよ、組織的かつ計画的な殺人である戦争は、そうしたネガティブな感情を増幅してしまう。
「オレが司令官だったら、こういう作戦で戦い、こんな戦争指導をする」
 と、兵隊や非戦闘員をチェスの駒みたいに思い描きつつ、作戦行動を自分に引き寄せて考える向きもあるだろうし
「自分がウクライナの大統領だったら国連でこんな演説をするだろう」
 てな調子の妄想にふけって自己陶酔する男もいるはずだ。
 
 もっとも、
「なんということだ。幼い子供たちが地下室の暗がりで怯えている」
「ああ、ミサイルが都市を破壊している」
 と、避難民や犠牲者の身になって、ひたすらに心を痛めている人々も少なくない。というよりも、大多数の一般人は、心を痛めているはずだ。
 
 とはいえ、どんな角度からどんなふうに見ているのであれ、戦争を眺める時、われわれは、多かれ少なかれ、興奮してしまっている。
 
 興奮することそのものがいけないと言っているのではない。
 おそろしいのは、戦場の思考を常識化してしまうことだ。
 
小田嶋隆(さん)のコラムを読んでいて、なぜか内田樹(さん)を思いし。以前のファイルを開いてみたら、現在の状況下でもう一度考えてみたいと思われるものが目に留まったので、ファイルから引用する。
 
たまの休日
 養老孟司先生と半藤一利さんのジョイント講演「司馬遼太郎記念学術講演会:日本人のゆくえ」にご招待いただいたのである。
 最初に養老先生のお話が1時間。それから半藤さんが1時間。休憩をはさんで二人の対談が1時間。
 ひさしぶりに時間を忘れて楽しんだ。
どちらも日本人論なのだが、二人とも「私らはもうすぐあの世に往くので、この先日本がどんなになろうともう与り知らぬ。このあとさらにろくでもない国になったとしてもそれで苦しむのは夫子ご自身であるから、まあ勝手にされるがよろしい」というたいへんクールなお立場から論じられている。
浮世離れしていて爽快である。
 たしかに死者の立場から生者の世界を眺めるのは批評性を担保する最良の足場である。
 でも、そのデタッチメントの立場からお二人はクールにかつユーモラスに「悲憤慷慨」しているところが可笑しい。
 いわば隠居目線から小言を述べられているわけなのだが、これが養老先生たちの世代に特有の「愛」の表し方なのだろう。
 昨日の話でとりわけ興味深かったのは、半藤さんが話した司馬遼太郎はどうしてノモンハンを書かなかったのかという話。
 ノモンハン事件に登場する軍人たちのなかに司馬遼太郎が「共感できる人物」が一人もいなかった、というのがその理由であるというのが司馬さんの担当編集者としていっしょにノモンハン関連の取材に数年同行した半藤さんの推理である。
 半藤さんは少し前の『文藝春秋』でも、参謀本部に集まった陸大出の秀才たちの一人として国を誤った責任を取ろうとしなかったことを痛罵していた。
 ノモンハンに関東軍は56000人の将兵を投入し、うち18000人が死傷した。戦力の逐次投入という最悪の戦術、彼我の戦力差の過小評価、敵がつねに「こちらにつごうのよい用兵」を選択するはずであるという無根拠な信憑、物量の差は「必勝の精神」で補うことができるという精神主義・・・これらはノモンハンでの悲劇的敗北から日本陸軍が致命的欠点として学習すべきことであったが、結局参謀たちはノモンハンから何の教訓も引き出さなかった。
 このときの関東軍参謀服部卓四郎と辻政信はその後参謀本部で太平洋戦争の作戦指揮をとることになり、やがて日本の全戦線を「ノモンハン化」することになる。
 村上春樹も『ねじまき鳥クロニクル』のときにノモンハンを取材し、調べるにつれてその作戦のあまりの拙劣に言葉を失ったと記している。
 失敗から学習することができず、どのような破局的事態に遭遇しても「想定内である」と言い逃れる癖はどうやら今に至るまで日本人のDNAのうちに書き込まれているようである。
 
比較敗戦論のために
 自分たちの国には恥ずべき過去もある。口にできない蛮行も行った。でも、そういったことを含めて、今のこの国があるという、自国についての奥行きのある、厚みのある物語を共有できれば、揺るがない、土台のしっかりとした国ができる。逆に、口当たりの良い、都合のよい話だけを積み重ねて、薄っぺらな物語をつくってしまうと、多くの歴史的事実がその物語に回収できずに、脱落してしまう。でも、物語に回収されなかったからといって、忘却されてしまうわけではありません。抑圧されたものは必ず症状として回帰してくる。これはフロイトの卓見です。押し入れの奥にしまい込んだ死体は、どれほど厳重に梱包しても、そこにしまったことを忘れても、やがて耐えがたい腐臭を発するようになる。
 
 だから、「南京虐殺はなかった」とか「慰安婦制度に国は関与していない」とかぐずぐず言い訳がましいことを言っているようではだめなんです。過去において、国としてコミットした戦争犯罪がある。戦略上の判断ミスがある。人間として許しがたい非道な行為がある。略奪し、放火し、殺し、強姦した。その事実は事実として認めた上で、なぜそんなことが起きたのか、なぜ市民生活においては穏やかな人物だった人たちが「そんなこと」をするようになったのか、その文脈をきちんと捉えて、どういう信憑が、どういう制度が、どういうイデオロギーが、そのような行為をもたらしたのか、それを解明する必要がある。同じようなことを二度と繰り返さないためには、その作業が不可欠です。そうすることで初めて過去の歴史的事実が「国民の物語」のうちに回収される。「汚点」でも「恥ずべき過去」でも、日の当たるところ、風通しの良いところにさらされていればやがて腐臭を発することを止めて「毒」を失う。
 その逆に、本当にあった出来事を「不都合だから」「体面に関わるから」というような目先の損得で隠蔽し、否認すれば、その毒性はしだいに強まり、やがてその毒が全身に回って、共同体の「壊死」が始まる。
 
 靖国参拝問題が、あれだけもめる一因は靖国神社が官軍の兵士しか弔っていないからです。時の政府に従った死者しか祀られない。東北諸藩の侍たちも国のために戦った。近代日本国家を作り出す苦しみの中で死んでいった。そういう人々については、敵味方の区別なく、等しく供養するというのが日本人としては当然のことだろうと僕は思います。
 
 ノモンハンを書こうとした作家がもう一人います。村上春樹です。『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社 一九九四~九五年)で村上春樹はノモンハンについて書いています。でも、なぜノモンハンなのか。その問いに村上は答えていない。何だか分からないけれども、急に書きたくなったという感じです。でも、ノモンハンのことを書かないと日本人の作家の仕事は終わらないと直感したというところに、この人が世界作家になる理由があると僕は思います。日本人にとっての「タフな物語」の必要性を村上春樹も感じている。  それが今の日本に緊急に必要なものであるということをよくわかっている。
「美しい日本」というような空疎な言葉を吐き散らして、自国の歴史を改竄して、厚化粧を施していると、「国民の物語」はどんどん薄っぺらで、ひ弱なものになる。それは個人の場合と同じです。「自分らしさ」についての薄っぺらなイメージを作り上げて、その自画像にうまく当てはまらないような過去の出来事はすべて「なかったこと」にしてしまった人は、現実対応能力を致命的に損なう。だって、会いたくない人が来たら目を合わせない、聴きたくない話には耳を塞ぐんですから。そんな視野狭窄的な人間が現実の変化に適切に対応できるはずがありません。集団の場合も同じです。
 国力とは国民たちが「自国は無謬であり、その文明的卓越性ゆえに世界中から畏敬されている」というセルフイメージを持つことで増大するというようなものではありません。逆です。国力とは、よけいな装飾をすべて削り落として言えば、復元力のことです。失敗したときに、どこで自分が間違ったのかをすぐに理解し、正しい解との分岐点にまで立ち戻れる力のことです。 国力というのは、軍事力とか経済力とかいう数値で表示されるものではありません。失敗したときに補正できる力のことです。それは数値的には示すことができません。でも、アメリカの「成功」例から僕たちが学ぶことができるのは、しっかりしたカウンターカルチャーを持つ集団は復元力が強いという歴史的教訓です。僕はこの点については「アメリカに学べ」と言いたいのです。
 
邪悪さについて
 私は「邪悪な」人間である。
 自分を「邪悪な人間だなあ」としみじみ思うことがよくある。
 他人が苦痛に歪む顔を見ているときに、爽快感を感じることがある。
 嫌いな人間については、その人が見苦しく死ぬさまを想像して愉しむことがある。
 自分を信頼している人間を「いま、ここで裏切ったら、どれほど苦しむだろう」と想像すると、気持ちが高揚することがある。
 などなど。
 こういうことを公言すると、心優しい人々は憂い顔になって、困ったように私を見る。
 しかし、これは大事な情報だと私は思う。
 「この先危険、カーブあり」とか、「この先、熊が出ます」とかいう標識と同じで、「この人は邪悪なところがあります。この先、取り扱いに注意」という看板を、私はおでこに貼っているのである。これはヤクザが「いかにもヤクザみたいな格好」をして街を歩いているのと同じで、ある意味ではたいへんにコミュニカティヴな態度といえるのではないだろうか。
 私が言いたいのは、もし「邪悪さ」の程度や性質が適切に表示されているならば、周囲の人たちは「邪悪さ」の被害というものを最小限度に抑えることができるはずだ、ということである。これは逆の場合の、「自分は善良であると信じこんでいる人間」のもたらす迷惑に比べると、ずっと管理しやすい。
 経験的に言えることは、おのれの「邪悪さ」について適正な評価を行っている人は、おのれの「邪悪さ」を自覚していない人よりも、社会的に与える被害が少ない、ということである。
 さて、もし「邪悪さ」というものを「他人に及ぼす被害」という外形的なデータに基づいて計量するとなると、ここに「邪悪な人間はあまり邪悪ではない」というパラドクスが生じる。はたして、「邪悪さ」というのは、「人間のある種の本性」なのか、それとも「それが生み出す社会的効果」なのか。
 「増殖する物語」と題したこの短いテクストで私が言いたかったのは、物語を語るものはほとんど宿命的に自分の起源について嘘をつくということである。しかし、それは「真実の物語」がどこか別のところにあるという意味ではない。
 嘘をつくこと、経歴を詐称すること、物語をそれと知らずに語ること、それは「何かを伝える」ための行為ではなく、何かを「知る」ための行為だからである。
 私たちは何かを知ろうとしたら、それについての「物語」を語ることから始める他にやり方を知らない。
 「自分」について知ろうと望むものは、「自分」についての「物語」を語ることになしには一歩も身動きできない。「私の真実」を知るためには、「私についての物語」を紡ぎ出す作業から始めなければならない。「真実」は「物語」を経由してしか主題化されえない。
 ある日、私は「邪悪さ」というキーワードで、自分についての「物語」を編制してみようと思いついた。
 そうすることで「私は善良である」という「物語」によって編制された自己史の文脈にはうまくおさまらない事実や「説明」できない経験を説明し、合理化することができるかもしれないと思ったからである。
 
戦争の被害者である「戦中派」
 先の戦争で最も多くの戦死者を出したのは大正生まれだったとよく言われます。先ほども言ったように、大正生まれは敗戦の年に33歳か19歳までにあたりまず。この年齢層の人たちは「若すぎる」という理由で戦争にかかわる政策提言をする権利は持たされず、「十分に成人である」という理由で前線に立つ義務だけは課されていました。戦争の帰趨についての決定権はないが、戦う義務からは逃れられない。このはなはだ理不尽な立場に置かれた人々のことを僕は「戦中派」と呼びたいと思います。
 
「主権国家の国民である」という意識
 僕たちの世代が少年期に吉本隆明や埴谷雄高や谷川雁のような「戦中派」に対してすがるようなまなざしを向けてしまったのは、彼らは少なくとも前半生においては「どこの国にも従属していない国民」である経験を持っていたからです。
 
 「愚劣な指導者たちのせいで、私たちはこれからは従属国民になるのだ」という絶望と痛みを感じていた世代と、生まれてからずっと従属国民であったので、「従属国民でない」というのがどういう心的状態なのか知らない世代の間の落差はほとんど乗り越えがたいものだと僕は思いまず。
 
安倍政権と米朝対話
 ナショナリズム、レイシズムの克服は原理的に困難だと思います。人間は精神の安定を得るためには、ある種の集団に深く帰属しているという政治的「幻想」をつねに必要としゼいるからです。人間のこの本質的な「弱さ」を受け容れた上でしか、ナショナリズム、レイシズムの批判は始まらないだろうと思いまず。
 いま、世界中でナショナリズム、レイシズムが亢進しているのは、人々が「ある種の共同体に深く帰属している」という実感を持ちにくくなったせいです。家族も地域共同体も、疑似家族としての企業共同体も、すべてが解体のプロセスにあります。その中で原子化・砂粒化した個人が、「国家」や「人種」という幻想に必死にしがみついている。
 
 

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