見出し画像

懐かしさと愛しさ

 取り立てて記憶に残っている出来事ではないが、なぜかノートに書き留めておかないと、と思えるものがある。普段どこにでもあることで人に語るほどのものではなく、ほとんどは個人的なことで、うまく説明がつかない。いま消去してしまっては・・・と思うと何となくお別れしてしまうようで淋しい気分になり、なにもなかったかのように元のままにしておく。他の人からみたら意味のないガラクタ同然の出来事であるが、ふと何かに触れたようで立ち止まる、空を見上げ雲を眺めていたら不意に思い出がよみがえり狼狽える、などいろんな出来事に遭遇する。無意識で意図がない分、あとから思い返すと何故か懐かしく、愛おしく感じられる。それなりの年齢になり少しずつ身の回りから消えていくことなどが増えて来たからかもしれない。

 19777年(昭和52年)発刊の「詩人のノート」田村隆一を読んで天野忠(詩人)を知った。時々、現代詩文庫など手にすることはあったが、「詩人のノート」を読むまでは天野忠は知らなった。手元には、手に入らなかった詩集など図書館などを調べようやく手にした詩集をコピーし簡易の製本をして手元に置いてある。

音楽を聞く老人のための小夜曲(詩人のノートより)
 ぽくほ、天野忠さんの詩の隠れたファソのひとりである。昭和四一年に刊行された「動物園の珍しい動物」という詩集を、偶然神奈川県大山のふもとにぼくが住んでいたとき読んで、その深いユーモアの感覚と、詩的根底にある絶妙な闇の世界に、ぼくはのめりこんだ。天野さんは、ぼくよりひとまわり年上の京都の詩人である。まったく未知の詩人が、ぼくの心のひだに棲みついて、以来、天野さんの詩集を遡行することになった。詩集「単純な生涯」(昭三三刊)「重たい手」(昭二九刊)くらいまでは入手できたが、それ以前のものは、どうしようもない。ところが、昨年、「天野忠詩集」となって、戦前、戦後の詩集が、さながら天野さんの円形の夢の形をなして、刊行された。昭和七年刊行の「石と豹の傍にて」、昭和九年刊行の「肉身譜」から、最近の未刊詩篇集「音楽を聞く老人のための小夜曲」をふくむ五四七ページの「円形の夢」。

「しずかな夫婦」 天野忠
結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
とくにしずかな夫婦が好きだった。
結婚をひとまたぎして直ぐ
しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
おせっかいで心のあたたかな人がいて
私に結婚しろといった。
キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
ある日突然やってきた。
昼めし代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
下宿の鼻垂れ小僧が窓から顔を出し
お見合だ お見合だ とはやして逃げた。
それから遠い電車道まで
初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
―――ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
―――ニシンはきらいです と娘は答えた。
そして私たちは結婚した。
おお そしていちばん感動したのは
いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
ポッと電灯の点いていることだった――
戦争がはじまっていた。
祇園まつりの囃子がかすかに流れてくる晩
子供がうまれた。
次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
徴用にとられた。便所で泣いた。
子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
ひもじさで口喧嘩も出来ず
女房はいびきをたててねた。
戦争は終った。
転々と職業をかえた
ひもじさはつづいた。貯金はつかい果した。
いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
貧乏と病気は律義な奴で
年中私たちにへばりついてきた。
にもかかわらず
貧乏と病気が仲良く手助けして
私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
子供たちは大きくなり(何をたべて育ったやら)
思い思いに デモクラチックに
遠くへ行ってしまった。
どこからか赤いチャンチャンコを呉れる年になって
夫婦はやっとやっともとの二人になった。
三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
―――久しぶりに街へ出て と私は云った。
ニシンソバでも喰ってこようか。
―――ニシンは嫌いです。と
私の古い女房は答えた。

夫婦 安西水丸
でも、僕は「夫婦って、いやなときでも、やっぱりいい」という感じがしてるんです。

女性 村上春樹
たった一人の女性は僕にとっては、ある場合には、多すぎる。ある場合には、少なすぎる。
なんて言えないから、15年も延々と結婚しているけど

田村隆一「詩人のノート」のノートから

夢 田村隆一
「ときおり山手線の電車や貨物列車が通過する」

ときおり奥羽線の蒸気機関車が貨物列車を引き連れて通過する
午前四時頃、列車の長い、長い連結音
ゴットン、ゴットン
用足しに起きる

話 田村隆一
「時が過ぎて行くのではない
人が過ぎて行くだけ」

吉田君・飯塚君・田中君
菅野先生
祖父・祖母・父・母そして義父
大好きだった菅谷のおばさん
人が過ぎて行くだけ

言葉を書き続けるのは、僕にとっての鎮魂歌
ぼくが消えたら、皆の記憶も一緒に消えていく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?