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幻想2022

貨幣
紙幣は軽いからもち運びがしやすい
紙幣から電子になり空中を飛び回っているという
でも、わたしの眼には見えない
ある人には色がついて見えているらしく
バブルの時、地べたに金が落ちていたと聞いたことがある
 
金貨は重くもち運びに苦労する
地球の磁場との拮抗で
10㎏がよいとこだろうか
スポーツジムで鍛えたら30㎏はいけるかもしれない
 
幻想は、軽く
身体は、重い
LPレコード・本・楽器・絵画・彫刻・・・そして建築
重さと不自由さ
それに終わりがある
 
ウサイン・ボルトは金のネックレスをして100mを疾走していた
戦争のとき、金はどんな風にもち運びされるか知っています
密輸の運び屋と同じ手口と聞いたことがあるが
友人がいないので本当のところは判らない
きょうも世界が株価で大騒ぎしている
 
前近代的でアナログ
悲劇というよりは喜劇
物調ずらした悲劇
実は喜劇
 
世界は
幻想と重力の葛藤
愛憎のアンビバレンツ
いまでもなお
宗教戦争
民族戦争
 
国民国家は擬制
家族制度も擬制
わたしたちは虚構で生きている
 
お金持ちは今日も
アンエイジングでスポーツジムへ
そこには、それなりのエビデンスがある
わたしにそっと教えてくれた人がいた
「軽いものしかもたないから体力や筋力が落ちているからさ」
世界がグローバルで成人病になる日も近い
 
幻想
 幻想は丁寧に扱わないと、気まぐれで怪我をする。
 ときどき悪さをして害を及ぼすこともある。
 それは、直接的な身体への害ではなく、身体の手の届かないところで、日に日に身体を蝕み、気がついた時には身を滅ぼすまでに恐ろしい。
 幻想は、わたくしたちの病であり、誰もが遺伝子として組み込まれている。病を病としてなだめながら一緒に生きていくしかない。
 
老女のセーラー服
 現在の住宅事情は、老女のセーラー服姿に似ている。
 制服は価値や制度であり幻想である。
 そういう意味で、現在の幻想を身につけた商品を買うというシステムは、住宅は一生歳をとらず(空間)、住んでいる人たちだけが歳(時間)をとるということです。
 
なぜ仮面をつけるのか
 多くの民族は仮面をつけ、舞踏をする。
 言葉がまだなかった太古でも仮面はあったように思われる。
 日本の型とは、仮面の原初的な名残ではないかと個人的には思っている。この頃、若者たちが(中高年も)俳句に興味があるらしく、事情は、詳しくは知らないがなんとなくわかるような気がしている。
 
生活者の常識
 「フランスにおける反ユダヤ主義」は私の研究テーマの一つだったが、研究を通じて骨身にしみた教訓は「発言の責任を取る人間がどこにも存在しない妄想やデマでも、強い現実変成力を持つことができる」という歴史的事実であった。だから、私は空語や妄想を軽んじない。(内田樹)
 
戦争正当化のための「悪しき自己」を投影
 想像力が人間の持つ能力であるとすれば、その人間の能力こそが敵のイメージを生み出しているのではないか
 「敵のイメージは、いまだ知らぬ自己を映し出す鏡」
 
家族 
 家族は、おそらく人間が歴史にのこす最後のものである。
 モダニストは家族を桎梏としておもいえがく。そして自由な男女の性愛が可能であると錯覚する。しかり、家族はたしかに桎梏である。しかし、この桎梏なるものは家族からくるのではなく、つねに家族外から、つまり経済社会構成から、つまり政治的国家からやってくるので、家族そのものの本質からくるのではない。そこで、ただ本質的にのみ語れば、家族は人間が性の現実的場面を喪わないかぎり存在することを続ける。自由な男女の性愛という概念は、自由な差別なき社会あるいは世界という概念とけっして等価ではないが、後者は前者の必須条件のひとつである。(吉本隆明)
 
 人間の個体が性(セックス)として現われざるをえない場所である。つまり、人間が男あるいは女として現れざるをえない場所である。
 
 

 


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