「勉強」はじめました

冷やし中華始めました。

そんなノリで

高校講座を聞き始めました。



 講座の初めには、りんごとみかんの分け方を話していました。これから続けて聞くと、4人の先生が「倫理」のお話をしてくださいるようです。



 「より良い生き方とは何か」それは、私の追いかける疑問です。その答えが少しでも掴めたらいいなと希望を持って勉強をしようと思います。



 私は、私が天才だと信じて疑いません。そして、あなたも、天才なのです。
 いまそう感じないのであっても子供の頃は、赤ちゃんの頃は天才でした。歩けない身体を巧みに動かして、二足歩行を学び、ものを掴む、食べる、飲むできなかった事ができるようになりました。
 
 凄まじいスピードで吸収する赤子は誰もが皆天才なのです。


 それが、天才でなくなるのであれば、大人になる過程で、天才である資質を投げ出してしまったからです。


 生きていくために、必死に身につけたあの毎日。

成長するという事は、
「出来ない自分と向き合う事」


 成長痛。痛くて痛くて、時に逃げ出したくなることもあったでしょう。掛け算九九を覚えた日も、自転車に乗れた日も、漢字を書けるようになった日もその日急に出来るようになったのではありません。

 その後ろには、何百何千の失敗があったのです。



 どうやら人は失敗を挽回させてもらえず、time up時間切れ、またの機会はありませんとなってしまう事が少なくない。

 
驚きなことにそれを恥として、みたくないものとして処理している人が、かなりの多数を占めているのです。いやまて、そもそも恥はかき捨てでしょうに。



もう一度いいます。
 成長は、「出来ない自分と向き合う事。」


 痛み無くして成長はできません。失敗や悩みこそが、成功の入り口にして、必要不可欠なものです。

 大人になったら、余暇は自分で選択できます。失敗したからやめるのも、粘るのも自由。失敗を成功まで繋げるのは本人の意思です。



昨日、チームメイトがひとり、成長痛に耐えきれず、辞めていきました。いままで、痛んだこともないというのです。はじめての挫折に、心が折れたと言うところでしょうか。

 なにか、お土産として、自分も凄い人なんだと思ってもらいたい一心で接してきましたが、彼女の目には、別の人生が写っていたのですね。なにか生きるヒントが与えられていたらいいなと思います。



 恥をかいてからが始まり。そもそも失敗は恥でもなんでもない。

 いま、天才でなくても、天才になり得ると信じています。
 
 大人になると、一日が短く感じる、一年が短く感じると思うようですね。
 私は違います。それは、きっとこの勉強を続けてやるぞという気持ちに他ならないのです。毎日失敗。各駅停車。



成長には痛みが伴う。


 これを信じて、自分がなぜ生きているのか、なぜこの人生を歩んでいるのか。悩んで悩んで、これからも意味を追いかけていきましょうか。

より良い成功体験の話はまた、今度。

ぷりんマップ作成のための資金に充てさせていただきたく存じ上げます🍮てお