「自分がされて嫌なことを他人にしないようにしよう」について思うこと
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「自分がされて嫌なことを他人にしないようにしよう」について思うこと

めぐみ

「自分がされて嫌なことは相手にしないようにしよう」という言葉、とてもよく聞く言葉ですが、必ずしも万能じゃないよね?と思うのでそのことを書きたいと思います。

「自分がされて嫌なことは相手にしないように」という言葉って、「人間関係を良好にするための言葉」として、子供のころから当たり前のように教わってきた気がします。子供に言い聞かせるのにはものすごくわかりやすい言葉だと思います。

例えば、

・暴力をふるわれるとか
・物を盗まれるとか
・目の前で悪口を言われるとか
・理不尽な要求をされるとか
・濡れ衣を着せらせるとか

そういう「あからさまにいやなこと」をしてきた相手と、その後仲良くなれるか?関係性が良好になるか?と言ったら、もちろん、ならないと思います。

私は、子供のときに教わって以来、特に何も疑うことなく素直に「自分がされて嫌なことを他人にしないように」と思って生活してきたと思います。

ところが、ある程度大人になって、ありとあらゆる場面でその考えを念頭においていると「なんで、この人は私に対してこんな失礼なことをするんだろう?」と他人に対してイライラする回数が、やたらと増えるのです..
しかも、当の相手は全然悪気がなさそう、むしろ好意を持ってやってるのかしら?ということもあったりするのです。

考えてみたら、この「自分がされて嫌なことを他人にしないようにしよう」という言葉って「自分の感覚」と「相手の感覚」が「同じ」だという前提の上に成り立っているんですよね。


自分がされて嫌なことは、相手にとっても、おそらく嫌なことなんだろう。だからしないようにしよう。

って、相手の気持ちを聞いてもいないのに、一方的に決めつけて勝手に判断してしまっていることになり、考えてみれば、なかなかの傲慢な考えかもしれません。

理想としては「相手がされて嫌なことを、わたしが、相手に対してしない」「わたしにとって嫌なことを、他人が、わたしに対してしない」ということが実現できたらそれが一番いいよね..とは思うけれど
でも、「相手がされていやなこと」が何なのかは、わたしにはわからないし、おそらく他の人もそうでしょう。適切なコミュニケーションを取らない限りは。

エスパーじゃないから他人の本当の気持など黙っていたら知りようがないし、人の気持ちを想像するのにも限界があるので、もしかしたら、自分が「相手のために」と親切のつもりでしていることが、もしかしたら相手には不快かもしれないわけです。その場合、その「想像力」というものは、残念ながら不要な気遣いってことになってしまうんですよね。

たとえば、私はお菓子をもらうとうれしいですが、ダイエット中の人はお菓子をもらっても困るかもしれない。「わー、こんなカロリーの高そうなものもらっちゃったけど、どうしよう?こっそり捨てるか..」って思うかもしれない。

たとえば、私はお花をプレゼントされたらうれしいですが、花に興味がない人や、家に花瓶がない人がお花をもらったら「あらら..これ、もらっちゃったけど、どうしようかな」って思うかもしれないわけです。

というわけで、「自分がされて嫌なことを他人にしないように」に付け加えて、
自分がされて嫌なことは、必ずしも相手にとって嫌なことじゃないのかもしれないし、私が他人にされてうれしいことでも、相手にとっては別にうれしくない場合があるので、たとえば相手に何か提案したり誘ったりするときは、相手の気持ちは自分と違うかもしれないことを前提に「もし嫌だったら断ってね」など付け加えたりするなど、相手と自分が違う感覚を持っていると意識することも大事だなと。

また、想像力には限界があるので「相手の気持ちを想像しすぎず、自分の気持ちを大事にすることも同じくらい大事だよね」と思った、という話でした。



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めぐみ
1983年生まれ・2児の母です。文章と音楽が好きです。noteには感情のメモのようなものを書いていく予定です。はてなブログ: https://www.megumi-log.com