呼び名とジェネレーションギャップと

呼び名に悩む瞬間がある。

私が好きなプロ野球チーム、福岡ソフトバンクホークスの本拠地"福岡PayPayドーム"。ここは1993年の開場から現在までで3回名前が変わっている。

名前の遍歴は以下の通り。
1993年〜2004年 福岡ドーム
2005年〜2012年 福岡Yahoo! JAPANドーム(通称:ヤフードーム)
2013年〜2019年 福岡 ヤフオク!ドーム(通称:ヤフオクドーム)
2020年〜 福岡PayPayドーム(通称:ペイペイドーム)

最近この球場の呼び名を迷っている。

私にとって一番馴染みのある呼び名は"ヤフードーム"である。

ちょうどヤフードームに改称した2005年が私がプロ野球観戦に本格的に目覚めたタイミングであるからだ。

当時小学生だったからかもしれないが、"福岡ドーム"と呼び続けるのは、同じく2005年に"ソフトバンク"になったホークスのことを"ダイエー"と呼び続けるのに近いものを感じた。

当時はホークスのことをダイエーと呼び続けてる人は少なからずいた記憶がある。

少し横道に逸れるが、地元に"新山口"という私が新幹線で帰省するときに使う駅がある。

ここは2003年まで"小郡"という駅だった。ここの事を小郡と呼んでる人も地元にいた頃結構多かったような。

ダイエーも小郡も馴染みがあるだろうから、そう呼び続けること自体は全く否定しないけど、改称から時が流れれば流れるほど、そう呼んでいる人を見ると、ハンドルを手で回して窓を開けるタイプの車を見る時の感覚に近いものを感じた。

話を戻して、ヤフオクドームに改称した2013年に私が山口県から東京に引っ越してしまい福岡を訪れる機会が減ったこと、それと改称当時「ヤフオク!ドームってなんかダサいな」と思ったこともあり、ヤフオクドームに改名した後も何年か"ヤフードーム"と呼んでいた。

"ヤフードーム"と"ヤフオクドーム"だとなんか響きも似ていて、ヤフードームのことを"福岡ドーム"と呼ぶより古い印象がないような気がしていた。

ただ2018,2019年あたりからいい加減"ヤフオクドーム"と呼ぶようになってきた。

この頃から元祖の名前である"福岡ドーム"と呼んでいるならともかく、仙台の球場みたく2,3年おきに名前が変わっているならともかく、改称から5年くらい経っても2番目の名前で呼び続けている自分の中途半端な頑固さが嫌になったからだ。

今の小中学生が物心ついた頃には既に"ヤフオクドーム"だったくらいだろう。こういう一つ一つの積み重ねがダイエーおじさん、小郡おじさんになるかならないかの道だと思った。

時代と分かり合おうともせずに自分に馴染みのあるものを絶対視して、最終的には若い人にジェネレーションギャップをひけらかす大人に私はなりたくなかった。

こういう人は未だに大山のぶ代のドラえもん以外認めていなかったり、憧れの人のメールアドレスを聞くソワソワ感を知らない世代のことを勝手にかわいそうがっていたりするのだろう。きっと今はLINEで違う種類のソワソワ感があるだろうに。

こういう人は携帯電話が無かった時代のソワソワ感には思いを馳せないし、今はスマホならではのコンテンツを満喫していたりするのだろう。

"こういう人"の人格を好き勝手に膨らませているけど、特に具体的なモデルがいるわけではない。

それにしてもこれを書いていて思ったけど、私が高校生の頃のゴールデンボンバーの曲『また君に番号を聞けなかった』って、もしかしたら今の子供たちからすると私たちで言うとこの『ポケベルが鳴らなくて』感覚か。

そんなこんなでようやっと"ヤフオクドーム"を受け入れてから1,2年でヤフオクドームは“ペイペイドーム"になってしまった。

福岡PayPayドームへの改称が決まったときは、その名前の間抜け感からネットが騒然としていた。

ヤフオクドームをヤフードームと呼ぶことと比べて、ペイペイドームは語感が全然違うのでそれをヤフオクドームと呼び続けるのは気持ちが悪い。

大人しくペイペイドームと呼ぶのがいいのかなと思いつつ、ネタ枠として以外で呼び名にいまいち馴染めてはいない。

そんなことを思いながら一昨日ペイペイドームまでタクシーに乗った時のこと。

私「ペイペイドームまでお願いします」
運転手おじさん「ん?………えっヤフードーム?」
私「あっ…はい…」

なんだ呼び損じゃないか。

一体あそこのことを幅広い相手に分かりやすく伝えるにはどう呼ぶのが良いんだろう。コアな野球ファン以外にはどう呼ばれているのだろう。5大ドームであんな名前変わってんのあそこだけだぞ。だから最近呼び名に迷っている。

呼び名って結局伝わるか伝わらないかだ。

"ウィダーinゼリー"が実は2年前からウィダーではなくなっていることをご存知だろうか。2018年からウィダーが外れて"in ゼリー"という商品名に変わっていたらしい。厳密に言うと元々も"ウィダー"じゃなくて"ウイダー"だったらしい。

私は最近そのことを知ってしまった。

そう、知ってしまった。知った瞬間からあれの事をウィダーと呼んでいることは間違いになってしまう。実はウイダーだったこと、そして今はウイダーでさえないこと。

ただインゼリーと呼ぶのに違和感はあるしたぶん幅広い相手には伝わらないだろう。

会話の中で何気なくあれを飲んだ話をしたい時にあれのことを"インゼリー"と呼んだら、きっと"インゼリーって何?"って話から"ウィダーって今ウィダーじゃないんだよ"っていう本筋を外れた話題に向かっていくだろう。

とはいえ商品としてのインゼリーは今後もあるだろう。

そうするとウィダーを知らない子供たちが出てくる。その子たちが大人になっていく。そうすると我々はウィダーおじさんになってしまうってことか。

ジェネレーションギャップって時代に追い付く云々というよりこうして生まれていくのか。

よくよく考えたら私はプロ野球のクライマックスシリーズ制度(CS制度)のことが未だに好きではないというか嫌いだ。認めきれていない。長いレギュラーシーズンを根本から否定するような仕組みだと思っているからだ。

でもCSが両リーグで導入されたのが2007年、もう13年経っている。そうすると下手したら今20歳くらいより下の人はCSのないプロ野球なんて知らないくらいか。私がFA権のないプロ野球を知らないのと同じように。

なのに未だに自分が気に食わないという理由だけでぐちぐち言ってんのは、"時代と分かり合おうともせずに自分に馴染みのあるものを絶対視して、最終的には若い人にジェネレーションギャップをひけらかす大人"に一直線じゃないか。

時代といい感じに分かり合っていくのは難しいなってお話。

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