これからの書店

大型書店に足を踏み入れ、あの膨大な数の本を目の前にした時の高揚感は誰でも体験したことがあると思う。
しかし目につくもの・欲しいものが全て買えるわけではないし、情報量が多すぎて途中でお腹いっぱいになることも。
そこで、自分は“色々な本"が見たいんじゃなて、“ワクワクする"本が見たいんだということに気づく。
そこにセレクト本屋・個人書店が現れた。
私にとって初めてのそれは『本とコーヒー』
その後『恵文社』『ホホホ座』などを知り、もう大型書店には戻れない身体になってしまった。
しかし「国語辞典が欲しい」「漢字ドリルが欲しい」「NHKの趣味の園芸が欲しい」という人を満足させるものはそこでは手に入らない。
私が楽しい本屋は、私のような人間が楽しい本屋なのだ。
例えば、ファミレスにはオールジャンルのメニューがある。
大型書店はいわばファミレス。
それならセレクト書店は、ラーメン屋、パン屋、イタリアンレストラン、という1つのジャンルに特化した店。
ラーメンが食べたかったらラーメン屋さんに行くように、消費者が本のジャンルや傾向を選んで特化した書店に足を運ぶ。
「取次など卸も変化してきた。入場料制にしたり、ただ読書をするだけのカフェができたり、多様化もしてきた。さあ、これからは個人書店の時代だ!」と楽しみにしていた矢先、コロナ禍がやってきて普通のお店の経営も難しい世の中になった。
リアルのお店が開けられないからと、オンラインショップに切り替える書店もでてきたが、私の中ではしっくりこなかった。
私は、本はアートだと思っている。
アートの本ではなく、本自体がアート。
装丁のデザイン、写植(フォント)、紙質、時代、イラスト、写真、言葉。 
見てるだけでワクワクするもの。
オンライン上で好みの本が並んでいても、アートに触れた時のあのワクワク感が足りなかったのだ。

ある日、以前訪れたことのある古本屋さんが空き巣被害に遭い売上金を盗まれたことをSNSで知った。
一生懸命お店をやって、考えて本を選んで、売っている本。それを買ってもらえるなんて奇跡に近いことだ。その結果としての売り上げを盗まれたという店主さんの暗澹たる気持ちを思ったらたまらなくなって、何か自分にできることはないかと考え、予算と好みを伝えて選書をしていただき送ってもらうことにした。
オンラインで選書サービスをやっている人はいるけれど、その店主さんは「初めてですがやってみます」と仰っていた。
1週間後、本が届いた。
ドキドキしながら箱を開けて、1冊ずつ丁寧に取り出して本に触れる。
「この表紙好きだー!あ、これ持ってる(笑)すごい!箱入り!綺麗な藍色の布装丁!高そう!自分じゃ買わないだろうな〜、わー、この写真いい!」…と、いちいちコメントしながら表紙をめくる。
湿度を帯びた古い本の匂い。布装丁の手触り。少しだけ不揃いの印刷。
ワクワクした。
久しぶりにあのワクワクが戻ってきた。
同封されていた手書きのお手紙を読んでいたら、まるでレジのカウンター越しに店主さんとお喋りをしているような気分にもなった。
その時、私の中にキーワードが浮かんだ。

『本を届ける』

しかしAmazonでポチッとしたものとは一線を画している。
箱から現れたのは誰かが私のために選んでくれた本だからだ。
そこにはちゃんと選んでる“人”がいて、
そこにはちゃんと喜んで欲しい"気持ち"がある。

ありがとうございます。
私のためにこの本たちを選んでくださって。
本当にありがとうございます。
心からそう思った。

これからの書店は、きっと愛に溢れている。


※こちらは別のsnsで書いたものの転載になります

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