「天気の子」感想(ネタバレ極力なし)《大人になってよかったなーって》

仕事の帰りにレイトで新海誠監督の「天気の子」を鑑賞した。
そしてとんでもない感情の原液を飲まされた私は、中和のために重ねドルチェのコーヒーゼリー的なものをこんな時間(23時過ぎ)にむさぼっている。

あまりにも率直な感想だが、「私、大人でよかったな」と思った。
ド田舎の平日レイト、レディースデイにしてもまあまあ入っていたお客さんの内、半分くらいはもしかして、私と同じことを考えたんじゃないだろうか。
私(俺)、大人でよかったなーって。

「天気の子」の112分を通して私たちが執拗に見せられ続けるのは、「子供が子供だけでできることは、こんなにも少ない」という事実だ。
それでも登場人物たちはかなり頑張っている。子供なりに、もがいてあがいて自分の世界を生きようとしている。
主人公の帆高くん、ヒロインの陽菜ちゃん、陽菜ちゃんの弟の凪先輩。
全員、夜に自由に出歩くことすら叶わない子供だ。
ともすれば大人は終始彼らの邪魔に見えて、でも、彼らが子供たちの間に割って入るのは彼らを守るためだ。子供は守られていないと、すぐに世界からいなくなってしまうからだ。

守られるからこその心細さや歯がゆさは、いつか自然に忘れるものである。そういうふうに、機能している。
例えば初めてスーツを着て仕事してお給料を貰った時、すっからかんの8畳間に布団だけ敷いて寝た時、自動車税を払った時。
子供を抱えたまま大人になったら、いつか心が耐え切れなくなるからだ。晴れの日だけではない世界を生きるために、大人は鈍くなるしかない。
「天気の子」はそういう「子供」と一緒に置いてきた鋭い寂しさやひたむきさを、もう一度丁寧に刺してくれる映画だった。痛い、ぶっちゃけ要らない、でもこの手に抱きしめてしまう。元々は自分の大事な一部だったから。

誰も彼もが気がつけば「子供」から逃げ切り、無事に鈍くなっていく。東京なんて街はきっとそういう子供から逃げ切ったやつの集まりみたいなところなんだろう(これはド田舎から出られないまま大人になった者の偏見)。
しかしこんな世界でたった一つの愛を貫き、途方もない偉業を成し遂げるのはいつだって子供の役割だ。
子供を脅かす脅威、大人が盾になろうとするもの。それは外の世界だけではなく、子供自身の大きすぎる「世界を生きる力」なのかもしれない。

これは本当に率直な、そしておそらく適切ではない感想。
「私は大人でよかった」
「大人になれて良かった」
世界に直接触れる痛みを伴わずとも、好きな人の「大丈夫」になれるのだから。




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