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国外移住をすることで、問題は解決するのか?

クィア・アイというネットフリックスで配信中のリアリティーショーがある。
ダサい男性をインテリア、美容、ファッション、カルチャー、料理のプロ5人で内側と外側と環境からイケてる人間に大変革する番組だ。

この番組に出ていた、ある1人の男性をピックアップする。彼は何となく、流されるままに40年ほど人生を生きていた。
彼は、バーニングマンというネバダ州の砂漠で1週間開催される、芸術のお祭りが大好きで、このために生きていると言っても過言では無い。

その男性は、年に一回あるバーニングマンのために、リノの近くに住みたいらしい。
場所を変えれば、自分が生まれ変わることが出来るからだと。

しかし、改造のプロたちは口を揃えて言う。「今の君のままで、住む場所を変えただけで、本当に自分が見つかるの?」と。

自分探しは国外に行かないと出来ないのか?

人生は楽しんだ方が良い。移住や国外に行く事も良いと思う。しかし、その前に考えて欲しい。「日本にいるときに出来ない事が、海外移住したら突然出来るのか?」という事だ。

結局、この男性は、移住をやめた。長い付き合いの友人達を関係を再構築し、考えを見直し、自分に自信を取り戻した。そして、彼は移住をする必要がなくなった。

私は自分で選択してドイツのベルリンに来たが、「生まれ変わる」ことを期待して来た訳では無い。
ちょっと冒険をしたかっただけだ。海外に来たら何かが変わるなどは思っていない。

ベルリンには、沢山の人が住んでいる。私は日本という安全な国から「冒険」をしに来たが、やむなく国を捨てざるを得なかった人も大勢いいる。

価値観は少し変わったと思う。しかし、自分探しと言う意味では何の影響も無い。

前の会社で、デザイナーの先輩(国外在住歴20年以上)が

「よく、国外で長い間旅している人の理由で【自分探し】って言う人がいるけど、自分なんて海外で探しても無いよ。」

と言っていたことを鮮明に覚えている。

私はそれを聞いて、私はストンと理解した。自分は自分の中にしか無いのだから、外を見回したって無いのだ。人生を変えるような出会いはあるかもしれないが、少なくとも自分探しという点では、見つかる可能性は低いだろうなと今でも思う。

日本人は海外で働くべきなのか?

よく言われるのが、「日本人は海外で働いた方がいい。」と言う事だ。私は、出来るならやった方が面白いと思う。とはいえ、もっと長く国外と仕事をしてる人からの意見が欲しいところだ。

その答えは、以下のブログに書いている。
私がベルリンでお世話になっている矢野さんのブログだ。
非常に興味深い内容で、よく大人が言う「海外に行け!」の意味が分かりやすく書かれているので、海外に出たい!と思っている方は是非読んでほしい。

日本人が海外で働くということ
https://medium.com/@kayyano/日本人が海外で働くということ-986d1cb7d95f

ここで興味深い文章文章をいくつかとりだすことにする。

結論からいうと、日本人が海外で”働くメリットは”無い”。メリット・デメリットで考えがちだがこれがそもそも間違っている。
もっというと国の事情というより、すでに世界のマーケットが”ローカル”と”グローバル”の主に2つに2分されているということ。
日本人で、ベルリンにいてもヨハネスブルグにいても、シンガポールにいても、サンパウロにいてもハッピーに働けるひとと、地獄を味わうひとと両方がいるだろう。
文化が合うとか、言語がとか、そういうものの相性で考えるのは、自ら”ローカル社会”に入っていく選択肢を意味する。ローカルというのは現地の人と同じ言語能力、コンテクスト把握能力、思考回路を身に着けていないと話にならないということだ

ベルリンの生活環境は日本よりも抜群に良い。具体的には、強い同調圧力が無いこと。なのでストレスフリーではあるが、仕事に関して言えばまだデメリットは大きい。そこをどうカバーするかをいつも考えている。

日本の仕事を国外でするのはどうなのか

私はドイツで日本の仕事をしながら半年ほど生活しているが、少し前まで「正直この方法はデザイナーというキャリアを積む上であまりメリットがないのでは?」と思っていた。(ビザはワーホリなので仕事可能です)

また、この状況を恥ずかしいことだとも思っていた。現地企業の仕事を探せないと言うことは、言語能力がやはり劣っているという事だし、現地の人から見てずば抜けた才能がないと公に言っているようなものだと考えるからだ。

しかし、上記のブログでは、ロケーションを以下のように考えている。

マーケットはローカルと必ずしも結びつかないのである。このアタリマエのことが日本人がいざ海外で仕事をすると忘れてしまう。その国に来たのだからその国の仕事をしないといけないようなバイアスにかかってしまう。これは、わりかしよく見るパターンだ。

この文章を見たときに、少しストレスが軽減された。90%日本語で生活していて、周りに日本人の友だちしかいない。と言う状況だと「何でドイツきたの?」となるだろうが、仕事に関してはどうやらそうでは無いらしい。

私がベルリンに来てよかったと思うことはとにかく「環境が私の生活と合っていてストレスが少ない」と言う事だ。何か問題が起こっても大抵ある程度お金があれば解決する事ができる。

色々考えていたが、最近ベルリンの人と仕事の話をしたりしてるので、可能性は見えて来たのでよかった。やるかはまだわからないが、一歩前進と言ったところだろう。

「フリーランス」という主語が大きすぎる問題

最近「フリーランスで日本の仕事をとって、海外に移住しよう」という言葉を耳にする。これについては目標として良いと思うし、出来る能力があればやれば良いと思う。(ただしデメリットをワザと隠して勧める人が多すぎるので、そこに対してかなり怒っている。デメリットを本当に知らないのかもしれないが。)

正直、「フリーランスとして」という主語は今の時代に必要がない。これはただの安全ロープのうちの一本に過ぎない。

上記の矢野さんのブログにも書かれているが、国外に住むことは「分散投資」と考えた方が今ではしっくりくる。

もちろん、日本を捨ててなんて考えているひとは今時いないとおもう。日本も日本人にとってはローカル思考回路が理解できる有力なポートフォリオとして考えるべきだ。僕の考えでは海外に移動して仕事するというのはただの”分散投資”にすぎない。そして国なんかにとらわれず仕事してるひとの多くはそう考えていると思う。
いまどき一つの国なんかに人生預けるのはリスキーという、それだけだ。

そう。繰り返すが、一つの国に人生をかけるのはリスキーという、ただその一つに尽きる。

日本人は相変わらず「海外」という響きが好きで、事実私もそうだった。
しかしながら、実際住んで見るとわかるが、お金がある程度あれば(150万ぐらいあればできる)、ビザが取れれば海外は移住できる。実際に誰かの助けを借りれば難しい事では無かった。あと、勢いは必要である。

英語で生活をするのも、何となく分かれば一応生活が出来る。(アメリカやイギリスなどの英語ネイティブ圏だと、多分馬鹿にされるので心が折れるかもしれないが、ドイツは英語が第二言語なので何とかなっている)

結局、移住に関しては「やるか、やらないか」の選択だけなので、ビザが取りやすい国であれば、みんなが思ってるほど大変では無い気がする。

私は、仕事が完全に取れなくなってお金が尽きるか、日本に戻っても大丈夫そうだ。と思ったら日本に戻ることも考えている。

分散投資が出来そうだと考えたとき、日本人であることもかなり武器となる可能性が出て来ているので、色々な選択が出来ると思っているからだ。

とは言え、まだあまり日本帰りたいとは思っていないので、あと半年どうするかをゆっくり考えたいと思う。

Photo by Artem Bali on Unsplash

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