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そんな季節ですね 2022

今年もこの季節がやってきましたね。
(って、1年放置していた私笑)
報道機関の方から、ちらほらと着信が入ってくるようになりました。

そして、ほとんどの方にこのように言われます。(もちろん、みんなじゃないです)
「福島から島根県に避難した方を紹介してほしい」と。

毎年毎年、同じ思いにさせられます。
福島県の方だけを取材することで、あの災害の本質が伝えられるのかな…と。

当時、ひとりひとりが悩み考えて決断し、動いたり、動かなかったり、それぞれの選択をしたんだけど…
福島から来た人の声のみが、報道に必要とされていく。

島根県には、福島県だけでなく、関東からも移動してきている人がいます。

島根だけじゃなく、あの震災で、北海道から沖縄まで、全国各地に広域避難している人が沢山いて、しかも、避難元も、東北から関東まで広範囲で。
これは原発事故を伴った東日本大震災だけの特徴で、原発事故が起きたとき、こういうことが起きる、ということです。

人の感じ方は人それぞれだからこそ、
強制避難と自主避難者、
福島の人とその他の人、
同心円や県境の、見えない線を挟んで、
内側の人の言葉だけ拾うことが必要なのか
モヤモヤと考えます。

あの当時、起きたのは、人の心の分断でした。違う行動を選んだ相手を批判する。
動いた人を、残った人が…
動かなかった人を、避難した人が…
考え方はひとそれぞれなのに。

今ここで福島から来た人こそ避難者さんだ、という扱いをする事に、
福島から来た人もそうでない人も
複雑な気持ちになるような気がして、
簡単に人を紹介なんてできないな、と感じています。


ここ数年、年にほんの数回ですが、県内の大学の医学や看護関係の学生さんに、
「311の見えない被災者」
というお話をさせていただいています。
遠く離れた島根だと、テレビのセンセーショナルなシーンからしか震災をイメージ出来ないかもしれないけど、もっと近くにあの震災で暮らしが変わってしまった人がいるかもしれないよ、というお話。

島根に来たその人が、どうしていま島根にいるのか、その人たちを知ることは、今後の想像力に繋がるような気がしています。
「なんで関東から?」
「普通に暮らしてる人がいるのに」
不用意な言葉を投げ掛けなくて済むことは、きっとこれから医療の世界に入って行く人たちにとって大切な事だと思っています。
心のお医者さんになる方もきっといると思うから。

経済的な支援は自主避難者には始めからほとんど皆無ですが、
想像し、尊重していく事は出来る。

「あなたはそうしたのね、大変だったんだね。」
11年前、島根に帰ってきた時、地元の農家のお母さんがそう言ってくれて。
当時は涙が出たなぁ。

今、すっかりこちら側で地域に暮らす人になっていますが、大事に考えてるのは、地域に暮らす人の多様性。
多様性のある地域は生きやすい。
自分のものさしにはめずに相手を尊重する。
あの時のお母さんの言葉がキッカケになった気がしています。

一年に一度の打ち上げ花火ではないので、
この時期でなくても、想像力を持って粛々と生きていきたいなと想う、あれから11年の春です。



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