『作文は冒頭の一文が全てだ』と思っていた、15年前のおはなし
「私の一日は、花に水をあげることから始まる」
これは、私が中学時代に書いた、読書感想文の冒頭の一文である。
読んだ本は、当時から大好きだった手塚治虫が書いた”ガラスの地球を救え"。
地球の美しさや環境問題について、幼少期の思い出を交えながら、愛に満ちた、それでいて厳しい文面で書かれている名著である。
作文で、"こやつ、できる"と思わせるかどうかは、冒頭の一文にかかっている、と、当時の青い私は思っていた。
突然誰かの台詞で始めたり、風景描写で始めたり、突然感想から始めたり、色々な工夫をしたものだった。
今回は読書感想文。
読書感想文らしからぬ冒頭にして、インパクトを与えたいと思った。そして、これから環境問題について語るので、私が自然が大好きな事が端的に、飾り気のない何てことない日常の描写から伝わるものがよいと思った。
そこで採用したのが、あの冒頭である。
この読書感想文は、手塚治虫のお陰様で評価され、なんかの賞を取って集会かなんかで全校生徒の前で表彰された。
その後、市の取組みの"弁論大会"かなんかで、学校代表かなんかで、ホールかなんかで発表するよう依頼された。
ただの読書感想文なので、弁論テイストに推敲し、発表した。
市の偉い人が来ていたし、ほかの発表者はなんかもう立派なことを言っていて、すごい人たちがこんなドイナカにもいますねえ、と思った。
もちろん、その発表には親も来ていた。
娘は何を語るのだろうと、ドキドキしていたことだろう。
私はゆっくりと壇上に上がり、すぅっと息を吸う。そして、中学生女子とは思えない、落ち着き払った低音ボイスで語り出す。
「私の一日は、花に水をあげることから始まる」
──娘の一言目は、あざやかな大嘘だった。
そんな風に私の一日が始まったことは、一度だって無かった。親はよく吹き出さなかったなと思う。ありがたい。
それから家族ではこの冒頭の大嘘がテッパンになった。今思い出しても、あの大嘘は笑える。
あの作文を評価してくれた大人の皆さん、本当にすみませんでした。
──あれから15年。
私の一日は、花に水をあげることから始まっている。
朝、小松菜の小さな芽に水をあげていると、頭に浮かんだこの一文。それから当時のことがぶわあっと蘇った。
私は当時から、このような生活に憧れていたのだろうと思う。15年を経て、真実になった。
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