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追悼・松田勇治

 今年、網膜中心静脈閉塞症で右目を失った。真っ暗闇ではないが、ぼやけて視線が定まらない。左目だけで世界を見ているので、疲れる。こうやって、ぼろぼろの中古車は、ひとつずつバンパーが外れ、タイヤが傷つき、それでも人は走り続ける宿命にある。

 今年6月に、恩人である子ども調査研究所の高山英男さんと近藤純夫さんの二人を失った。僕が社会に出てからの、社会的な父親であり、兄貴であった二人だ。そして、11月、僕の社会的な弟である松田勇治を失った。何かとても寂寞感が半端ない。55歳、何、急いでいるんだよ。

 松田勇治(松田融児、まつぐ)と出会ったのは、1979年だと思う。彼は、青山学院中等部の生徒だった。当時、SONYの盛田昭夫さんが、「若者たちが本音で話すテレビ番組を作りたい」と、「レッツボイス」という若者を集めたテレビ番組を企画して、スポンサーになり放映された。記憶が薄いが確か、日曜日の18時くらいからテレ東でやっていたのではないか。盛田さんは、若い人が好きで、それからだいぶ先だが、高校生だったフリービットの石田くんにわざわざ会いに行ったぐらい、若くて才能のある人に関心を持っていた。

 松田は、その番組に出て、好きなことを勝手に話したのだが、その内容が盛田さんの逆鱗に触れて、「こんなの若者ではない」と、一方的にその番組をつぶしてしまった。僕は当時、「ポンプ」という投稿だけで作られた雑誌の編集長をしていて、突然、編集部に現れた松田に事情を聞かされ、盛田さんへの抗議活動に協力してくれと頼まれた。ポンプは投稿誌だから、個別の活動を支援したり応援したりするつもりはないが、松田の意見を投稿してくれれば、読ませてもらうよ、と言った。

 そこから松田との付き合いが始まる。松田は、青学の高等部に進んだ。一つ下に尾崎豊がいて、松田は「あいつ生意気なんで、体育の授業で柔道があったので、思いっきり投げ飛ばしてやりました」とか言ってた。尾崎くんも、またポンプに投稿していたらしい。

 松田の実家は世田谷でタクシー会社を経営して、本人も小学生の頃からゴーカートを乗り回していた青学のボンボンである。ポンプの初期の投稿者たちはロッキング・オンの読者から流れてきた子が多かったが、松田のような独特のキャラは目立った。岡崎京子たちとも、よく遊んでいた。

 やがて、彼は自動車関係のライターになり、あちこちの雑誌で文章を書くようになった。しかし、根っからの世間知らずのお坊ちゃんで、そのくせ、気性だけはイケイケなので、よくトラブルを起こした。一度、かなりひどいトラブルを起こして、何度も相談に来たことがある。そういう奴だけど、なぜか僕にはなついてくれて、時折、顔を出してくれた。

 90年代のはじめ、確か、坂本正治さんのところでだったと思うが、僕が運営していたCBネットという草の根パソコン通信に、坂本さんも、松田もメンバーになり、また、ロッキング・オンの後輩である四本淑三もいて、松田と四本が出会った。二人は来歴はまるで異質だが、なぜか、気があった。ふたりとも生意気なガキだったが、どうやら、自分以外の人間で、同質な匂いを感じたのは初めてだったのではないだろうか。これはあくまで僕の推測。

 松田の思い出を書いていると、あいつの、口とんがらして話す顔が思い浮かぶ。最近、あんまり会ってなかったなあ。彼のモータージャーナリズムでの師匠は、たぶん、大竹オサムさんだろう。大竹まことさんの双子の弟で、ミスターバイクの編集長として業界では有名な人だ。横浜のバイク集団ケンタウロスを描いたマンガの原作者でもある。オサムさんが奥沢でレストランやっているので行こうと松田に誘われて行ったら、休みの日だった。ぶらぶらと自由が丘の方に歩いて、中華屋でメシを食ったことが、なぜか思い出す。

 僕は、今でも、新しい社会的な息子や娘と出会うことが多いが、それでも自分が若かった頃に出会った、社会的な弟や妹は、とても大事だ。ちきしょう、マツグとまた会いたかったな。よくオレの家にも来てメシ食っていった。

 あっちの世界に会いたい奴がどんどん増えていくなあ。賑やかにやっているだろう。マツグ、またな。

●ニュー・ウェイヴとカフェ/クラブ 松田勇治が語るナイロン100%からGazioまで

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 2019/12/07、マツグとお別れしてきた。葬儀場は、蓮井の場所と同じ、代々八幡葬儀場。遺影はロン毛のいつもの笑顔。55歳。ということは、マツグとは、40年間、同じ時代の空気の中でお互いを意識して生きてきたんだなあ。もちろん、普段は意識なんかしてない。でもお互い、なにかの拍子に意識して、飯でもしないか、と声かける。そういう同時代の同志。50歳過ぎたら、死はみんな同じタイムライン。ロシアンルーレット。だから僕はそれまで出会ってきた、たくさんの時代の仲間を、意識したりしなかったりして生きていく。さよなら、マツグ。たまには、遊びに来いよ。もう、こっちからはもう声かけられないから。合掌。

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