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34人の名工の肖像

1.夜半の野毛小路

 先日、友人の下中直人のエスコートで横浜の野毛小路に行ってきた。東急線の終点だった桜木町が路線から外され、みなとみらいの方向に進んでしまって、取り残された地域だったと思ったが、賑わいぶりがすごかった。駅周辺の店には昔、何度か行ったことがあるが、その先に、これほど大きな飲食店街があるとは知らなかった。立呑の居酒屋から、ホルモン焼きから中華からJAZZ喫茶からワインバーまで、なんでもあって、それぞれが個性的。レトロな風景の中で大勢の若い人たちが楽しんでいる風景も、新鮮だった。

 この古くて懐かしくて猥雑な賑わいは、僕のよく知っている空気である。それは、戦後社会そのものである。恐らく日本中に、大小は抜きにして、こうした「戦後」を感じさせる空間がまだ残っているだろう。僕の住んでいる目黒の、品川・武蔵小山寄りにも「平和通り商店街」という、八百屋や魚屋や肉屋などの生鮮食品売り場を中心とした市場が残っていて、我が家の食材の大事な購入場所だ。「平和通り」という名前が示すように戦前のものではなく、戦後、復興の中で平和という言葉に希望をたくした時代の名残である。しかし、そこも、すこしずつ、老人の歯のように抜けていく。建築基準法の厳密な適用が、こうした戦後の匂いを消していく。

 安藤組がバッコした戦後渋谷は清潔にクリーニングされ高層ビル街になりつつある。僕は高校の3年間、麹町の旧・日本テレビの近所のアパートに住んでいた。麹町4丁目は、今では綺麗なオフィス街と、残された古いお屋敷の町だが、昔は4丁目の交差点のところに、やはり市場があり、生活臭のある地域の人たちが生活していたエリアである。四ツ谷駅にも、大きな生鮮市場があった。

 そうした戦後文化が消えていく。消えていくのは時代の必然であろう。しかし、僕は、戦後遺産として残すべきは残すべきだと思っている。世界遺産の獲得運動に莫大な予算を投じるのなら、日本各地の「戦後遺産」の地域保全のために、小さな予算を振り分けるべきだと思う。時代の必然は古い文化を壊して進む、それはそれで結構。ただし、僕たちの文化は、数百年前のものだけではないはずだ。それらを残した上で、前へ進み、その進路が何かの壁にぶつかった時に、記憶されている文化遺産に立ち戻ることが出来るようにしておくべきだ。文化とは新しい世界を切り開いていくことだけではなく、時代を創るために懸命に活動した行為を、愛情をもって忘れないためのものでもある。

 横浜の野毛小路や、歌舞伎町のゴールデン街に、若い世代が向かうのも、そうした「立ち戻り」の行為のように思う。

2.雪朱里さんの新著「34人の名工の肖像」

 雪朱里さんの著作「34人の名工の肖像」(グラフィック社)が発行された。文字や組版、紙を作る職人、製版・印刷のエキスパート、製本・加工を手掛ける人たち。大量印刷を可能にした印刷文化は、明治開国による近代文化によって幕が開いたが、戦後の印刷文化の急速な発展は、さまざまな人の創意工夫により、大きな文化的土壌を作り、その上で、眼識ある戦後の名編集者たちが無頼の作家を発掘し、縦横無尽に企画を振り回し、戦後出版文化を成立させた。

 僕が社会に出る直前の高度成長の時期に、さまざまな本や雑誌に触れた。書店や古本屋や図書館が一番の遊び場だった。特に雑誌は、時代の潮流を生々しく伝えてくれるメディアだった。「話の特集」「ガロ」「COM」「日本読書新聞」「平凡パンチ」「少年マガジン」「ヤングコミック」「漫画アクション」「メンズクラブ」「山と渓谷」「現代時手帖」「パイデイア」「試行」「無名鬼」など、思い出すだけで、さまざまな雑誌の表紙が思い浮かべられる。(「日本読書新聞」は雑誌ではなくて週刊新聞だったが。あとプロレス情報の東スポも新聞)。

 そして、自分たちでも雑誌を創刊し、印刷の世界が現実のものとなり、日暮里の小さな写植屋に弟子入りを願い、写研の3RYという写植機で学んだ。ちょうど、写研が「PAVO8」という、新しいコンセプトのマシンを発売したところだったので、それを購入し、東中野の駅前で「たちばな写植」を開業した。そういう体験があるので、本書に登場するさまざまな印刷職人たちの顔に愛着を覚えるし、とりわけ、今でも写植屋を続けられている駒井靖夫さんには、格別のシンパシーを抱いた。杉浦康平さんとの幸福な出会いが羨ましい。

 さまざまな印刷職人の皆さんの現在の顔写真の表情がまぶしいぐらいに素晴らしい。ここには、逼迫した出版業界の中で、消え去りつつある仕事だが、戦後出版文化を支えた自分の人生に対する矜持と感動に満たされている。

 戦後文化は消えていくだろう。手動写植は、電算写植に駆逐され、プリプレスのDTP作業にシフトしていった。消えていくが、そこに生きた人間と技術は、何かしら戦後文化の遺産として残されるべきだ。

 雪朱里さんは、その作業を行った。本書は、「デザインのひきだし」という雑誌で、10年間コツコツと取材し、書き溜めたものがベースになっている。実は、10年前、仲俣暁生くんが、僕の事務所に雪朱里さんを連れてきて、印刷文化について話したことがある。彼女の純粋な執筆への意思は、それこそが、戦後出版文化の、貴重な遺産であると思うのだ。

 若き諸君、世界遺産なんかいらないから、さまざまな領域の、日本戦後遺産保存会を作ろうではないか(笑)

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