見出し画像

自民党宮崎議員が育休を提案して、自民党内部でバッシングを受けている理由を考えてみた。

 アメリカでは昨年暮れに、facebookのマーク・ザッカーバーグCEOが、2ヶ月間の育児休暇をとると宣言して話題になった。先進国の先進的な企業は、事業の効率を高めることと、従業員のライフ・ワーク・バランス(労働と生活の調和)が大きなテーマになっている。ただがむしゃらに突進するだけでは、企業の持続的な発展はないということを感じているからだろう。

 一方、日本では、自民党の宮崎謙介議員が、育休宣言をして、先輩議員に叩かれ、議員のところにも非難のメールが多数届いているようだ。どうも近頃、自民党の内部の価値観が、グローバル・スタンダードの価値観と少しずれた、独自の価値観が支配しているように思う。「私は政治家として仕事一筋でやってきた。男の育休なんて、もっての他だ」というような長老の意見が、内部で諌められることなく、公然と語られている。政治家というのは、現実の最先端の課題に取り組まなければならないはずなのに、ライフ・ワーク・バランスの中心的なテーマの男の育休みたいな、時代が要求している課題を、なぜ、理解しないのだろうか。

 そうか、分かった。男の育休が必要になってきたのは、イデオロギーでもなんでもなくて、昔は、祖父母まで含めた家族形態で、地域や親戚の付き合いも強くて、出産・育児ともなれば、周辺に助けてくれる関係があふれていた。しかし、戦後、都市化が進み、地域や親戚コミュニティが崩壊し、核家族(夫婦と子どもだけの家族)が大きく広がってきたのだから、子育ては、夫婦で担うしかなくなってきている。家族の現場で必要に迫られているから、先進的な企業は育休を推進しているのだろう。

 それに対して、自民党というのは、世襲議員が多い。安倍首相をはじめとして、有力議員は、祖父の代からの議員である。つまり、核家族以前の、古い家父長制の共同体家族の中で生まれ育ち、地元の後援会や家老たちに囲まれて、政治家という稼業を継いだ人たちなのだろう。だから、核家族の夫婦が置かれている問題が想像出来ないのだろう。

 すでに米ソ冷戦の時代は、とうに終わり、イデオロギーで右だ左だと選別する方法そのものが時代遅れだと思う。これからの時代は、古い家族組織に育てられた価値観(この人達は、少数でも、群れて動くエネルギーに満ちているので選挙に強い)と、そうした価値観から切り離されて、孤立している圧倒的多数の個人や夫婦のような立場のネットワークとの対立になっていくのではないだろうか。こういう人たちは、群れるのが苦手だから、選挙にいかない。

 先日、宮崎議員も参加して、緊急フォーラム「どうなる? 議員の育休? 永田町が変われば、日本の子育て・WLBが変わる」(NPO法人ファザーリング主催、代表・安藤哲也)が行われていたが、宮崎議員も、どうやら、現代の家族が置かれている状況を理解しての行動ではなく、奥さんへの愛情から育休を申し出たようだ。それは大切なことだが、政治家であるなら、多くの国民の家族が置かれている状況を見透して欲しいものである。

 このシンポジウムで、文京区長の成澤廣修さんの「育休の問題は介護にも直結している」という発言は、なるほどと思った。家族の形が変わって、子育てだけではなく、家族の内部の負担が大きくなってきている。僕の知り合いでも、親の介護のために仕事を辞めた人間は少なくない。民主党の寺田議員は「子育ては人生に潤いをもたらします」と発言したが、会社で仕事するだけが自己実現の道ではないことは、過酷な戦いにあけくれる政治家でも、分かっているはずだ。自分一人の幸福を追求出来なくて、社会の幸福を追求出来るわけがない。

 かつて民主党は、「世襲立候補規制」の法案を検討したが、憲法の理念から否定されたが、議員が世襲というしがらみで選ばれるのではなく、純粋に個人への評価で選ばれるような仕組みは、検討の余地があると思う。

▲前列、中央にいるのが主催者でファザーリング代表の安藤哲也くん。本好きなら誰もが知ってる往来堂の初代店長。橘川とはその前からの知り合い。新しい時代に即した新しい考え方と方法論を探っている。

橘川幸夫の無料・毎日配信メルマガやってます。https://note.com/metakit/n/n2678a57161c4