見出し画像

橘川幸夫の短歌

飢鴉」はこちらで購入出来ます。


言葉と出会う。

 18歳で大学に入って、本を本格的に読み始めた。多くは友人との会話で、面白そうな本や著者の情報を聞いて読んでみたり、当時は「日本読書新聞」という書評新聞を愛読していたので、そこに出てくる欧米の聞いたこともない著者の本を背伸びして読んでいた。読んでいるうちに、自分が本に求めているものは、理論でも知識でもなく「言葉」そのものだということが分かった。かっこいいフレーズを探すことが、僕にとっての読書そのものになっていった。フォイエルバッハでもマルクスでもドストエフスキーでもモーリス・ブランショでも夏目漱石でも埴谷雄高でも保田與重郎でも、ただ、その文章の中で輝いている言葉を採集していた。

 学生時代に出していたミニコミに、こんなことを書いた記憶がある。理論武装するために本を読む奴は、読めば読むほど自分が鋭利で凶暴な武器になり、相手を傷つけ自分も傷つける。万巻の書を読む奴は読んだ知識の分量で相手を圧倒しようとする。それに対して、本の中の言葉は、単独であり、それが故に単独の自分とつながっていく。

 本というのは、すべて詩集なのだと思った。詩集だと思うようにして本に向かった。そしてやがて詩集そのものに出会うことになった。ランボーから始まりポール・ヴァレリーに至る回路は、僕にとって生涯の方程式である。逸見猶吉から石原吉郎へ、そして清水昶につながる孤立の道は、忘れられない暗闇である。

 新古今和歌集に出会い、定形の日本語の心震わされた。西行のロジカルな詩心に圧倒され、自分でも短歌を書いてみた。寺山修司や春日井健の現代短歌も、10代の歌であり、短歌というのは、若い時に書くべきものだという気持ちがあって、19歳から数年の間だけ書いた。書いてから35年してから、まとめたのが「飢鴉」(きあ)という歌集である。「飢鴉」という言葉は、どこから拾ったのだったか、たぶん、漱石の漢詩の中にあった言葉だと思う。

 22歳でロッキングオンの創刊に参加して、創刊2号には、僕の短歌が掲載されている。それが掲載されて以後、僕は短歌を書いていない。以後は、主に評論的な散文を書いてきたが、本を読むのと同じく、ただ言葉(フレーズ)を書きたくて、前後の文章でとりつくろった。

 50歳もすぎた頃から、言葉だけを追求して、出来たのが「深呼吸する言葉」という流れである。「深呼吸する言葉」とは、もちろん「新古今する言葉」のダジャレである。

 全てを失っても、生きている限り、言葉だけは、常にてのひらに握りしめていられる。病室で動けなくなっても、監獄に幽閉されても、言葉だけは、自由だと思う。

この歌は、三島由紀夫の切腹の時に書いたものだな。



『深呼吸宣言2 飢鴉』 橘川幸夫(写真+テキスト)四本淑三(音楽)


ここから先は

0字

橘川幸夫の無料・毎日配信メルマガやってます。https://note.com/metakit/n/n2678a57161c4