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「超都市」(前編)

カンファレンス最後となる本セッションでは「超都市(メタシティ)」をテーマに、建築家の豊田啓介さんと茶人の松村宗亮さんにご登壇いただきました。

前編となる今回では登壇者2人の自己紹介を通して、いかにして都市を捉え直す実践を行なっているのかを見ていきます。

本記事は、2019年1月に開催した『METACITY CONFERENCE 2019』の講演内容を記事化したものです。その他登壇者の講演内容はこちらから
・TEXT BY / EDITED BY: Shin Aoyama (VOLOCITEE), Shota Seshimo
・PRESENTED BY: Makuhari Messe

青木:最後のセッションは、「超都市」すなわち「メタシティ」そのものがテーマです。建築家の豊田さんと、茶人の松村さんとともに議論をしていきたいと思います。

豊田さんは、大阪万博の会場アドバイザーをされている新進気鋭の建築家です。また自然的、生命的なものをコンピューターでつくる、コンピューテーショナル・デザインの専門家でもあります。他方で、松村さんは450年前に生まれた茶の湯の文化を探究しておられる。一見異なるふたりですが、コンピュテーショナル・デザインと茶の湯には、抽象度を高めて物事を捉え直す行為という共通点があると思っています。

どちらも精神的なものや情報空間と、物理的な空間とを行き来するものですよね。ふたりの掛け合わせから、メタシティの骨格みたいなものが見えたらいいなと思っております。流れとしては、お二人それぞれから自己紹介とプレゼンテーションをしていただきまして、それから討議に移れたらと思っております。まずは松村さんから、よろしくお願いします。

SHUHALLYができるまで

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松村:松村です。まず簡単に自己紹介をします。私はSHUHALLYという屋号で、お茶教室をやっております。SHUHALLYは、「守破離」からきている名前です。守破離というのは、先生の話をよく聞いて守る段階、それに自分のアレンジを加え破る段階、そして自分なりの型をつくる離れる段階という、茶における稽古の発展段階を表現した言葉です。

千利休も「規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本ぞ忘るな」という言い方で、同様のことを述べています。利休さんも、若いときはいわゆる室町時代の当時のお茶をやり、60代くらいに自分なりのお茶室をつくり始め、そして死ぬ直前ぐらいに初めて樂茶碗や竹の花入、いまでいう侘茶をはじめました。これが日本の美意識に多大な影響を与えているわけです。私自身も、お茶の先生になるうえで大きな影響を受けました。

私は、お茶の世界では珍しいタイプだと思います。というのも、お茶というのは、三代続けていなければ認められない、などと言われるような業界です。それにもかかわらず、私は家族一同誰もお茶をやっていないなかでこの世界に飛び込んだからです。京都にある裏千家茶道専門学校という全寮制の学校で3年間学び、お点前から茶の歴史、茶室の建築、あるいは工芸や懐石料理のつくりかた、お花のいれかた。いろいろなことを学びました。そうしてお茶の先生の資格をとり、2009年に横浜に帰ってきて教室をはじめました。

しかし、先生になることができても、まだ問題はあります。教室の運営の仕方は誰からも教えてもらうことができないため、どうやって生徒を集めていいかわからないのです。そこで私は、自分が生徒だったときのことを思い返してみました。すると、お茶の世界には、それなりの意味があることだとは思いますが、師弟制や料金制度に昔ながらのやりかたが残っていたことを思い出しました。

私は門外漢として、こういうところを思い切って変えてみようと考えました。ホームページをつくったり、料金を明確化したり、払った金額に対して到達できる目標を明示化したり、いろいろなことをやりました。「茶の湯をもっと自由に!もっと愉しく!」、そんなキャッチコピーもつけました。自分が20代の半ばにお茶にハマったので、同年代の方からも興味を持ってもらえるかもしれないと考えたのです。

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お茶室も工夫しています。まず、場所はマンションの506号室。照明はLEDで、露地はベランダです。ここはメディア曰く、「サイバー茶室」として話題になり、Yahoo!のトップニュースにも掲載され、かなりバズったようです。そして、おそらく茶室としては初めてだと思うのですが、グッドデザイン賞をいただくこともできました。

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こうした取り組みの甲斐があって、いまでは生徒が100人ほどいます。若い生徒が大変多いこと、男性が40%いることも特徴的で、F1のルイス・ハミルトン選手やビートたけしさんがいらしたこともあります。自分が首相公邸に出向いて茶の湯をやらせていただいたこともあります。

あたらしい茶の湯をつくる

守破離ということで、利休さんのブレイクスルーに学びたいと思っています。利休さんが提案したコンセプトのひとつに、「市中の山居」という考え方があります。これは、お茶室というものは、当時の大都会である堺や京都、奈良といったところにありながらも、この世の生活から離れて遁世者になることができる場所だということです。現代において、都会のなかに非日常をつくるにはどうすればよいでしょうか。そのことを考えたいと思って、私はいろいろなジャンルの方とコラボレーションしてきました。

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たとえば、千葉県でやったBEACH茶会です。これは千葉の南の方の海岸でやっている、海の家をつかったお茶会です。国道を渡っていくと、バナナボートに乗って水着で音楽をかけながら踊っている。そんな海の家の風景は、現代においてかなり非日常的だと思ったんです。

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次に、NYOTAIMORI茶会です。これはNYOTAIMORI TOKYOというアーティストの方と一緒にやった女体盛りの茶会です。文字通りといいますか、NYOTAIMORI TOKYOの方に菓子器になっていただいて茶会をやるというものです。原宿のギャラリーでやったのですが、若い方々を中心に100人ぐらいのお客さんが来てくださいました。

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そして、千葉のソウルプレイスとして有名なゆめ牧場での茶会。これは建築家の菅原大輔さんと一緒にやったもので、お客さんはヤギやヒツジです。懐紙を食べられてしまうこともありました(笑)。和気あいあいとした雰囲気でした。

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さらに、デコトラ茶会。最近ではなかなか見なくなりましたが、デコトラは世界に誇る日本の伝統芸能だと思っています。けれども、ルールが厳しくなって、ああいう車で運搬できなくなってしまったようなんですね。それで、デコトラで救援物資を運ぶ活動をしている方々と一緒にお茶会をしました。これもサイバーな感じで、非日常感のあるお茶会になりました。

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続いて、緊縛お茶会です。緊縛というのもまた、日本が世界に誇る文化のようですね。もともと緊縛というのは、罪人を縛るところから派生しているそうなのですが、ただ痛めつけるだけではなくて、国から国に渡るときにほどけるような縛り方になっていて、そういうところから縛りとしての美しさを見ていこうという文化になっていきました。そこで緊縛お茶会では、緊縛師の方に来ていただき、ショーをしたり、お茶や茶道具を、重要度に応じて縛ったりするということをやってみました。麻縄でいろいろ縛りつつ、お茶を飲んでいただいたり、和菓子を食べていただいたりしました。

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それから、舞踏お茶会ですね。舞踊家の麿赤兒さんが率いる大駱駝艦と一緒に、増上寺で開いたお茶会です。日本の現代舞踊は、とりわけヨーロッパで人気があります。私自身もレッスンを受け、舞踊の動きを教わりながら、舞踊の身体性とお茶の身体性をどのようにリンクさせるかを考えました。


また、AYAKASHIというプログラムを、日本橋三越でやりました。これはヒューマンビートボクサーのKAIRIさんを中心に、書家の万美さんや陶芸家の金理有さんと一緒に、ヒューマンビートボックスと伝統をミックスしたものです。KAIRIさんが口でビートを鳴らし、その前でろくろを回したり、書を書いたり、お茶を差し上げたりしました。日本橋三越はかなりお客さんが高齢化しているので、若者を呼び込もうという狙いもあったようです。朝はショーウインドウのなかでお茶会もして、いろいろなお客さんがいらっしゃいました。

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ほかには、愛本店茶会。愛本店というのは、歌舞伎町にあるクラシックなホストクラブです。そこでホストの方をお招きして、お茶会をやりました。

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名古屋工業大学大学院工学研究科の田中由浩研究室協力のもとHAPTIC茶会というイベントもやりました。私が私がシャカシャカとお茶を立てる動き自体を、お客さんも指で感じられるという茶会です。

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このように、挙げていけばきりがありませんけれども、The TEA-ROOMという、利休がもし現代に生きていたらどんな茶会をやっているか想像して、アーティストともにそれを実現する活動。ハロウィンのパーティーと連動した茶会や、寺田倉庫の船のなかでやった茶会、人工生命の学会でやった茶会など、本当にいろいろやってきました。

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こうした活動を経て、いま一番関心をもっているのは、茶の湯をどれだけポップ化できるかということです。最近はお店を展開し始めていて、お抹茶を目の前で立てたり、有機の抹茶を練り込み、豆乳クリームを挟んだグルテンフリーのどら焼きと提供したりしています。床は鉄でしつらえて、茶の湯の精神性を新しいかたちで皆さんに感じていただけたらと思っております。

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最後に、とりわけ茶の湯と都市のつながりが強い事例を紹介したいと思います。利休さんの時代には、北野大茶会という大きなフェスティバルのようなものがありました。もともと茶会は少人数でやるものですが、このときばかりは千何百人という人を集めます。しかも、外国人であっても、身分の低い人であっても、誰でも参加できるのです。そして、当時の絵を見る限りですが、二畳の茶室を北野のどこに置いてもいいというものだったようです。これに影響を受けて、私も四国の三津浜で天空のお茶会を開いたり、新潟の田んぼの中で四畳半のお茶会を開いたり、鉄工島では鳥かごの中でお茶室もやったりという活動をしてきました。このように、都市のあらゆるところで開くところができるという点が、茶の湯を通じて都市について考えるときのヒントになるのではないかと考えています。

人間と機械が相互認識するCommon Ground

青木:松村さん、ありがとうございました。次に、豊田さんお願いします。

豊田:はい、よろしくお願いします。ぼくは「noiz architects」という建築事務所をやっています。コンピュテーショナル・デザインという分野で、建築のつくりかたや設計のありかたがどのように変わっていくか、ひいては、建築という概念そのものの変化に挑戦しています。

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具体的には、デジタル技術を使いながら、実際にビルや建物、住宅をつくっています。たとえば、渋谷でやった仕事では、天気によって見え方がわかるパッシブ・ダイナミックな建物外装をデザインしました。これは生き物のように見える設計になっています。あるいは、法規的に実現できなさそうな設計をコンピュータを通じて解決したり、3Dモデルをつかってふつうではつくれないかたちを実現したり。

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ほかにおもしろいものとして、縄文の火焔土器にフォーカスしたプロジェクトもあります。3Dモデルをスキャンしたデータがオープンソース化されているのを活用して、そのデータをDNAのひも構造のようなものとして解析し、縄文のDNAがスケールも用途も異なる現代建築として現れてきたらどうなるか、というようなこともやっています。

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それから、ほかの領域とのコラボレーションですね。たとえば、BAO BAO ISSEY MIYAKEさんとのコラボレーションでは、やわらかくてふにゃふにゃ伸びるディスプレイを使ったインスタレーションをつくりました。このディスプレイは開発中のものだったので、まだ解像度は低いし発色もよくない。正直言って使いにくいものなのですが、BAO BAOのロゴがちょうどこの低解像度のディスプレイにぴったりだったので、それを自律的に変化させるようにしました。さらにディスプレイの下にはファンが仕込んであり、ランダムなタイミングでぶわあっと風を打ちます。そうしてディスプレイが暖簾のように揺れるのに合わせて、画面内のグラフィックも風を受けたタイミングで飛ばすようにしています。ただの情報であるデジタルの画像が、風を受けて実際のモノのように飛んでいくわけです。常識的には、情報は情報、モノはモノですが、これをみると、情報とモノの境界があいまいになります。デジタル技術を使うと、情報に物性や質感を与えるデザインを生み出すことができるのです。

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ところで、ぼくは検見川浜という、すべてが人工的で直交している千葉市の埋め立て地にあるニュータウンの出身です。それもあって、どんなものでももう少し有機的にならないかと思っているところが根本にあります。そこで、ボロノイパータンという有機的なパターンを用いて、畳をデザインしました。これは松村さんのお茶の話と関係しそうな事例です。ボロノイパターンとは、てきとうに打っていった点の間に垂直二等分線を引いていくとつくられるパターンで、ランダムにいろいろな形をつくることができます。これを用いると、各部屋に世界でひとつずつ、オリジナルなパターンでできた畳がつくれるのではないかと考えたのです。岐阜県にある國枝という畳屋さんと一緒に制作して、今年の3月くらいからこの世界でひとつだけの畳をオーダーできるウェブサイトも立ち上げます。

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さらに、そもそも畳やそれを入れる部屋が四角である必要もないなと考えるようになりました。どんなに変なかたちの部屋であっても今なら3Dスキャナで正確にその形を取得することができるので、現地に採寸に行く必要もなくなります。その部屋がニューヨークにあっても南アフリカにあっても、ウェブサイトでオーダーしたらFedExで届いて敷くことができたらいいなと思ったのです。直行する90度の畳以外のものをつくることができたら、畳の目地の形はいろいろな方向を向くので、鉱物が変なふうに反射してぎらぎらしているような、表情豊かなものになるんじゃないかと。いま、全国のイグサ農家や畳の製作者はどんどん減ってしまっています。そのため、もしこのプロジェクトがうまくいき、デザインやテクノロジーの力で新しいバリューを乗っけて世界中に販路を拓くことができたら、国産のイグサ農家や畳職人はまた誇りを持って仕事ができるのではないかとも考えています。実は、松村さんがいらっしゃるということで、茶室にボロノイパターンの畳を敷いてはどうかというアイデアを持ってきました。ただ画像を合成してみただけなので、縁のところに人が座ってしまっていますけど(笑)。ただ、いまのインターネットの時代には、あらゆるものが常に、ランダムに動き続けるわけですから、茶席での座り方が人間関係を表すという視点で見た時、直交系のグリッドのなかに座らなくてもいいのかな、こういうほうが自然なんじゃないかなということも少し思っています。

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さて、こうしたプロジェクトを経て、少し大きな話になりますが、建築家というものは、三次元以上のあらゆる次元を扱う仕事なのではないかと考えるようになってきました。三次元の物理空間だけではなく、時間という次元も扱うし、コストや構造、人間同士の関係も次元として扱えるのかもしれない。さまざまな次元を混ぜて扱う必要があるのではないかと思うようになっています。

少し具体的に説明しますね。最近、筋電義手というものが出てきました。ある程度トレーニングすると、動きをイメージするだけで、体表に張り付けた筋電センサーを経由して、ロボット義手を動かすことができるのです。もともと腕がない方であっても、水を取ってふたを開けて飲みたいと思ったら、それができるわけです。さらに人間の脳の冗長性を考えると、3本目の腕をおなかにくっつけて動かしたり、4本目の腕を首の後につけて動かしたりもできますよね。そもそも、人体についている必要もなくて、ステージにつけたり、玄関につけたりもできます。あるいは、人間のいわゆる手の形をしている必要があるのかもわからない。まったく別のものを動かすこともできるわけです。そうなると、どこからが自分の身体で、どこからが環境なのかという、これまで自明だった問いがテクノロジーによってどんどん曖昧になっていきます。建物の玄関をみんながリモートで操作できるのであれば、それを開ける主導権は誰が持つことになるのか。現実的には、早々に建物自体にOSのようなAIがインストールされ、それが多くの人の群としての行動を制御するようになっていくのではないかと思います。空想のように聞こえるかもしれませんが、Amazonの倉庫では、ルンバのようなロボットが何百台、何千台と入っていて、これらが全体として系として合理的に動くAIのようになっています。

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しかし、ぼくたち建築家や都市計画家は、いまお話したようにな、全体が曖昧で生き物のようになっている都市をうまくデザインする技術はまだありません。そこで、まずは都市をデジタルに記述し、機械もぼくたちも対等に認識できる環境をつくろうと考えています。たとえば、芸大のキャンパスを全部スキャンしてデジタル化してみたり、ゲーム業界に学びながら、いろいろなキャラクターを動かしたり相関図を考えたり、いろいろな取組をやっています。そのなかでわかってきたことは、いわゆるぼくのような建築家や都市計画家が扱う物理的な都市と、機械が認識するためにデジタルに記述された情報的な都市とが相互に認識し合える仕組みが必要だということです。たとえば、いまぼくが持っているペンはデジタルなデータとしては存在していないですよね。これを機械が認識できるようにデジタル記述をしてあげて、人間と機械とが相互に認識できるような仕組みをつくる必要があるということです。

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ぼくはこのこれまでの物理レイヤともデジタルレイヤとも異なる第三の共有レイヤとして、Common Groundと呼んでいます。これからのコミュニケーションは、人間同士だけでも国同士だけでもない。人間とデジタルエージェントのコミュニケーションが求められます。そのような新しい世界は、Common Groundがなければうまく機能しないようなのです。

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最後に、大阪万博の話を少しします。ぼくたちの事務所では、大阪万博の会場計画に誘致段階のコンセプトづくりからずっと関わってきました。これを先ほどお話ししたボロノイパターンで設計しています。なぜそうしているかというと、計画の途中でどんどん参加国が増えていったり、この国はこの国と隣同士はいやだというような話が出てきたりしたときに、どんどん動的に変化させることができるなど、より動的でさまざまなスケールの変化を許容する都市の新しい現れ方を体現したいと考えたからです。これから変わってくる都市や建築の構造を実験するというのは万博の役割のひとつですから。

NEXT:「超都市」後編はこちらから!


登壇者プロフィール

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松村 宗亮|SORYO MATSUMURA
茶人/裏千家茶道准教授/The TEA-ROOM メンバー
学生時代ヨーロッパを放浪中に日本人でありながら日本文化を知らないことに気づき、帰国後茶道を開始。
「SHUHALLYプロジェクト」として”茶の湯をもっと自由に、もっと楽しく”をモットーに、茶道教室やお茶会を主宰。
茶の湯の基本を守りつつ、今の時代に合った創意工夫を加えた独自のスタイルを構築。今までに海外10カ国や首相公邸などから招かれ多数の茶会をプロデュース。
コンテンポラリーアートや舞踏、ヒューマンビートボックス、漫画等、他ジャンルとのコラボレーションも積極的におこなっている。
裏千家十六代家元坐忘斎に命名されたオリジナル茶室「文彩庵」がグッドデザイン賞を受賞。
http://thetearoom.jp/

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豊田 啓介|KEISUKE TOYODA
建築家。東京大学工学部建築学科卒業。1996-2000年安藤忠雄建築研究所。2002年コロンビア大学建築学部修士課程修了(AAD)。2002-2006年SHoP Architects(New York)。2007年より東京と台北をベースに、蔡佳萱と共同でnoizを主宰(2016年より酒井康介もパートナー)。建築を軸にデジタル技術を応用したデザイン、インスタレーション、コンサルティングなどを国内外で行う。2017年より建築・都市文脈でのテクノロジーベースのコンサルティングプラットフォームgluonを金田充弘、黒田哲二と共同主宰。東京藝術大学芸術情報センター非常勤講師、慶応大学SFC環境情報学部非常勤講師、台湾国立交通大学建築研究所助理教授、情報科学芸術大学院大学 IAMAS非常勤講師。東京大学生産技術研究所客員教授。

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青木 竜太|RYUTA AOKI
コンセプトデザイナー・社会彫刻家。ヴォロシティ株式会社 代表取締役社長、株式会社オルタナティヴ・マシン 共同創業者、株式会社無茶苦茶 共同創業者。その他「Art Hack Day」、「The TEA-ROOM」、「ALIFE Lab.」、「METACITY」などの共同設立者兼ディレクターも兼任。主にアートサイエンス分野でプロジェクトや展覧会のプロデュース、アート作品の制作を行う。価値創造を支える目に見えない構造の設計を得意とする。
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