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「ポストコミュニティ」(前編)

本セッションは、アーティストの和田永さんと、僧侶の松本紹圭さんにご登壇いただき、これまでコミュニティの求心力を担ってきた音楽と宗教を軸として「ポストコミュニティ」についてお話いただきます。

前編となる今回は登壇者2人の自己紹介です。廃棄物の新たな価値づけと、その共有のための身体的経験としての音楽。働き方、ひいては思想のレベルで、既存の宗教のシステムから解放されようとする動き。これらの実践を通じて、コミュニティにおける自立共生(コンヴィヴィアリティ)の重要性が見えてきました。

本記事は、2019年1月に開催した『METACITY CONFERENCE 2019』の講演内容を記事化したものです。その他登壇者の講演内容はこちらから
・TEXT BY / EDITED BY: Shin Aoyama (VOLOCITEE), Shota Seshimo
・PRESENTED BY: Makuhari Messe

青木:次のセッションは、ミュージシャンの和田永さんと、未来の住職塾・塾長をされている松本紹圭さんの対談です。和田さんは、古い家電を楽器に改造し、そこに生命性を見出しています。アルス・エレクトロニカでも評価を得ていて、世界の多様性を表現する、文化的な活動家でもあるとぼくは思っています。松本さんは、コミュニティの中心としてのお寺という認識が時代とともに薄れつつあるなかで、お寺のイメージを拡張する挑戦をされています。それでは、最初に自己紹介と簡単なプレゼンをお願いしたいと思います。まずは和田さんからお願いします。

コンヴィヴィアリティと現代の付喪神

和田:アーティスト/ミュージシャンとして活動しています、和田永です。ぼくは10年間に渡って「楽器でないものを演奏する」という活動をやってきました。近年は電化製品を楽器にして演奏しています。

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去年の11月には、鉄工島フェスという、鉄工所でライブを行うイベントに出演しました。このときは、扇風機とブラウン管とエアコンによる音楽バンドに挑戦しました。約1カ月間、東京都の京浜島にある鉄工所に滞在してメンバーを集め、楽器を開発し、奏法を編み出しながら、曲をつくって練習する。そういった過程を経て、ライブを行いました。

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こうしたプロジェクトを、ぼくは「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」と名づけて2015年から取り組んでいます。いろいろな人とコラボレーションしながら、役割を終えた電化製品を新たな電子楽器として蘇らせる。それを一種の妖怪と見立て、合奏し、祭典をつくるというプロジェクトです。

江戸時代には、捨てられた桶や傘が妖怪となって出てくるっていうビジョンがありました。そのことを考えていたら、現代における妖怪は、廃棄物となった電化製品なんじゃないかという妄想が膨らんできました。利便性という意味ではオワコンになってしまったテクノロジーであっても、楽器として見出した場合はまだ生きているのではないか。その向こうには、廃棄物から生まれる新たな土着の音楽や、電気・電波・電子・電磁の奇祭が待っているのではないか。そんなファンタジーを思い描いたところから、このプロジェクトはスタートしました。

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2015年、墨田区にアトリエを設けて、いらなくなった家電を集めて楽器にしていこうと呼びかけを始めました。続々と家電が集まってくるとともに、さらにエンジニアやデザイナーの方も集まってくるようになり、アイデアを出し合うコミュニティのようなものができてきました。現在は日立と東京、京都の三箇所の拠点で、だいたい60~70人がゆるやかに関わりつつ活動して、日々あらゆる家電を楽器化しています。

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これまで生まれてきたいくつかの楽器を紹介したいと思います。代表的なのは、ブラウン管をつかったものです。足に取りつけたコイルをギターアンプにつなぐことで、手で拾ったブラウン管の静電気を音として鳴らすものや、「砂嵐ンバル」という、砂嵐をシンバルとして鳴らすものがあります。そしてブラウン管でドラムセットも組み上げました。Google画像検索で出てきたブラウン管がゴミ捨て場に積み上がった画像を見ていたら、いくつものブラウン管テレビがガムランアンサンブルのようにオーケストラしている妄想が浮かんできました。地デジ化によって役割を終えた大量のブラウン管テレビによるオーケストラ、というファンタジーが広がったんです。

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2016年に茨城県の芸術祭に参加したとき、この妄想の実現に取り組みました。廃れた商店街の一角でひたすらブラウン管を叩き続けていると、通りがかりのおばあちゃんが電磁音で踊りだし、ある子どもは踊りながら服を脱ごうとし始めました。噂が噂を呼び、地元の人たちがぼくにブラウン管を寄付してくれるようになりました。そうして集まったテレビを全て楽器として音が出るようにして、地元のミュージシャン達とバンドを組み、曲をつくり、コンサートを実現しました。

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去年のアルス・エレクトロニカでは、ブラウン管の静電気を拾い、手を繋いで電気を伝えることで音を出すという体験展示をやりました。手を繋ぐと、繋いだ人も音を出せるので、その場にいる人たちがどんどん手を繋ぎ始めます。最初は3人だったのが20人になり、最終的に夜のコンサートでは500人くらいが手を繋ぎました。ちゃんと鳴らすにはタイミングが重要になるのですが、国境を越えて静電気で繋がり合うというカオスな状況になりました。

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今日は扇風機を使った楽器を持ってきています。扇風機は2年前に寄付いただいたもので、どんな楽器にできるか考えていたのですが、もしエレキギターの神様のジミ・ヘンドリックスが扇風機を弾くとしたら、どう弾くのだろうかと発想してみました。ジミヘンの画像に扇風機の画像を切り取ってコラージュしてみたら、ぴったり合ったんです(笑)。この楽器は、扇風機に電球を取りつけ、羽根の回転によって点滅する光をセンサーで電気信号として拾うことでギターアンプから音を鳴らします。扇風機だけでバンドを組み、ライブをやったこともありました。次は電気屋の扇風機コーナーばりの納涼オーケストラをやってみたいと思っています。

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こういった活動を3年間くらいやって、いろいろな楽器ができてきました。2017年には、これらの楽器を使って盆踊りをやりました。どういうものかというと、古くなったテクノロジーの供養と蘇生のために、電化製品で祭りばやしを奏で、盆踊るという奇祭です。。東京タワーのふもとのスタジオに巨大なやぐらを立て、レーザー光ビカビカのなか、まず高野山のお坊さんが家電供養のお経を唱えてくださいました。音楽はすべて家電楽器だけで生演奏し、ゲストで民謡歌手の方が参加してテクノロジーの歴史を音頭に乗せて歌い、人々が踊り狂うという奇祭が立ち現れました。

お経からはじまり、ブラウン管の低周波ノイズを拾って音を鳴らすブラウン管大太鼓の音が轟きます。「電電音頭」というオリジナルの盆踊りをつくったり、「人工知能、人工知能、知能で負けても阿呆なら負けぬ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊りゃな損損」というAI節をつくったりしました。電化製品とは、電磁民族楽器なのではないか、そしてその先に新たな民族音楽があるのではないかと妄想しています。それを実際に創作して、そのパラレルワールドをみんなでのぞき見てみようということをやりました。

最後に、文明批評家のイヴァン・イリイチが言った、「コンヴィヴィアリティのための道具」という言葉を紹介したいと思います。どういう意味かというと、テクノロジーは利便性や産業に資するという目的で使われるものだと思うのですが、実はそれとは別の使い方があって、それは想像力によって環境を豊かにする最大のチャンスを与えるようなものなのだというのです。いま思えば、家電楽器をやろうと思ったのは、大学時代に知ったこの言葉のおかげかもしれないと思うところがあります。ご清聴ありがとうございました。

フリーランスのお坊さん

青木:では続きまして、松本さんに自己紹介をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

松本:よろしくお願いします、松本紹圭と申します。私は神谷町の光明寺というお寺に所属しています。お坊さんは、寺生まれの人が多いのですが、自分は寺出身ではありません。北海道で両親共働きの普通の家に育っています。ただ、母方の祖父がお寺の住職をしていたので、じいちゃん、ばあちゃんの家がお寺という環境です。

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はじめにお寺というものを意識したのは、幼少期のことです。人は誰しも必ず死ぬ、死亡率100%ですよね。ここにいる人も、100年後にはひとりもいません。そういう現実を知ったとき、死ぬのがめちゃくちゃ怖くなりました。しかし、親を見ていても、特に焦った様子はなく、これはどういうことなんだろうと不思議に思いました。一方で、住職の祖父を見ると、なにやらお経を読んでいる。南無阿弥陀仏で人間が生き返るわけではないけれども、これはなにか人の死に際して役立つことなのだと思いました。一方で、高校生の頃には、オウム真理教の地下鉄サリン事件がありました。人の心を豊かに、幸せにするはずの宗教が、どうして殺人やテロ事件を起こしてしまったのかと。世界を見渡してみても、宗教は戦争の原因になったり、カルトを生み出したりしている。宗教には興味があるし、仏教に共感するのだけれども、問題も多いのだと思いました。

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こうした問題の解決を仕事にしたいと思いつつ、まずはなかに入ってみようということで、私はお坊さんになりました。お坊さんは、雇用形態から考えると、社長系、サラリーマン系、バイト系とおおよそ三種類に分かれます。社長系というのは住職のことです。寺の跡継ぎになる人がそれにあたります。小規模ではありますが、一国一城の主という意味で、社長系と呼んでいます。私自身はどうかというと、自分の寺を持っていませんから、社長系ではありません。最初は、先ほど申し上げた東京の光明寺というお寺に弟子入りしていたので、サラリーマン系でした。そのときは、西本願寺で行われるお坊さんになるための研修に始まり、法事や葬式、掃除、ITなどの事務周り、運転手など、いろいろなことをやりました。晴れてお坊さんになってからは、お寺はもっと頑張れるだろうと思って、いろいろなチャレンジをしました。たとえば、神谷町オープンテラスで、お寺カフェというのをオープンしました。いまもやっているので、神谷町まで来たらぜひお立ち寄りくださいね。

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そういうことをやっているうちに、お寺がいろいろチャレンジするためには、経営的な知識を学ぶ場が必要なのではないかと思い至りました。お寺は全国に7万もあります。コンビニの数より多いとよく言われるくらいですから、それが点ではなく面として変わっていったらすごいことになると思ったのです。それでMBAを習得し、経営学の知見をお寺向けに翻訳する「未来の住職塾」を始めました。宗派を問わず受け入れており、いまでは600人以上の卒業生がいるコミュニティになっています。一般的にお寺というものは、宗派に応じた縦割りがあり、横のつながりはほとんどありませんでした。この塾は、そこに風穴を開けることができたのではないかと思います。この仕事を通じて、私は新しいお坊さんの働き方、4種類目をつくることができたと思っています。それがフリーランス系です。お寺から給料をもらわず、主に研修や講演、講師や相談事に乗るといった仕事をして、個人事業主として青色申告をするわけです。お話をさせていただく相手はいろいろで、たとえば、企業に呼ばれて仏道とリーダーシップに関してお話をさせていただくということもあれば、先ほどお話ししたお寺の住職塾では、お坊さんはもちろん、お寺の奥さんもいらっしゃるので、女性にお話をすることもあります。

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こういった活動を評価いただいて、ヤンググローバルリーダーズという世界経済フォーラムのメンバーにも選んでいただいたきました。超ローカルなお寺という現場と、グローバルな世界のネットワークに放り込まれることと、両方の間でいろいろ見ているという感じです。

religionからの解放──実践としてのBuddhism──

海外を見ていると、日本におけるお寺離れと同じように、欧米でも教会離れが進んでいます。つまり、グローバルに宗教離れが進んでいるわけです。こういう現象をもって、若者が心を大切にしなくなったというようなことをお坊さんは言うのですが、そうではないと私は思います。たとえば、ヤンググローバルリーダーズの集まりで話を聴くと、みんなが“I’m not religious at all.”という言い方をします。私は宗教や宗教組織からは距離をとってますよ、と。けれども、必ず“But I appreciate spirituality.”と言います。私は心や精神性は大事にしている、というわけです。そして、“So I’m interested in Buddhism.”だと言われる。だからこそBuddhismに興味があるのだ、と。これは欧米の人もそうですし、アフリカとかイスラム、中東の人もそうです。

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religionではなく、Buddhismというのは、どういうことでしょうか。昨年、市民が運営する仏教の場、ロンドン仏教センターに初めて立ち寄ったときに、これがどういうことを意味しているのか示す印象的な出来事がありました。たまたまそこにやってきていた女性と話していたら、私の家はクリスチャンだし、仏教徒に改宗しようというわけではないけれども、今日は話を聞きに来たのだとおっしゃったのです。そして、私にとって仏教というものは宗教ではなくて、哲学や思想、実践と生き方の話だから、と続けました。いわばその方は、メタ宗教のような感覚で仏教に接していたのです。仏教に限らずとも、こうした感覚で宗教に接する人が増えているのだと思います。世界中どこでもそうだとは思いません。しかし、国を問わず、都市部においては、かなりそうなってきていると思います。

もともと、religionという言葉の語源には、結ぶ、固く縛るというような意味があるそうです。つまり宗教離れというのは、縛りから離れたいということ、具体的に言ってしまえば、宗教団体から離れたいということではないかと思うのです。直接的な意味では宗教団体ではなくとも、会社や国が宗教組織のような感じになっていて、そこから離れたいという場合もありますね。社長が作詞した歌を毎朝朝礼で歌わされる組織とかね(笑)。いまはそういうのあるかわかりませんけれども、よその会社に行けば、多かれ少なかれ、ここは宗教っぽいよなあというところがあると思います。

ただし、縛るものから離れたいとは言っても、結局は自分で自分を縛っているのではないかということもあります。その根底にあるものというのは、私は恐れだと思っています。攻撃をする人もなにかを恐れているし、守りに入る人も恐れている。その結果、平和な世界は訪れないということになってくる。仏教のなかには、布施という言葉があります。お布施の布施ですね。布施のなかでも重要なのは、無畏施(むいせ)というものです。無というのは、単純に「無い」という意味で、畏というのは、畏敬の念の畏です。つまり、無畏施というのは、恐れを取り除く、お互いの恐れを軽くしてあげるための布施という意味です。私は、これこそが今の時代において一番大事なのではないかと思っています。

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このように考えたとき、なにかそれを象徴するようなアクションがないかと思って、最近では「掃除」に関する活動に力を入れています。掃除というとなにかと思われるかもしれないですが、私が書いた『お坊さんが教える心が整う掃除の本』は、いま世界15ヶ国語に翻訳されています。お坊さんと掃除というコンテンツは、海外でもヒットしているわけです。どういうことを言っているかというと、まず掃除をすると実際に気持ちがいいし、マインドフルネスのような効果がある。実際、お坊さんの修行では、座禅以上に掃除に時間をかけます。掃除に関係のない人はひとりもいないし、日常生活のなかに必ずある。つまり、掃除は日常のなかでできるマインドフルネスなのです。

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そして、誰かと一緒にやるときの掃除は、チームワークでもあります。私は最近、いつでも掃除ができるように、組み立て式のジョイント竹ぼうきというものを買いました。こういうものを使ってなにをしているかというと、いろんなお寺の掃除をやっています。勝手によそのお寺に行って、ゲリラ的に掃除をやることもあります。言葉の上では、宗教間対話が大事だと言われるのですが、頭で対話をしても、概念的な違いが出てきてしまったり、結局はうちが一番いいよねという話になったりします。しかし、和田さんのお話でも身体性というのがひとつのキーワードだったかなと思うのですが、物理的に同じ場に身を置くことが大切かなと思うのです。たとえば、東本願寺の人にとっての聖地を、西本願寺のお坊さんが掃除することで、東本願寺の人とつながることができるわけです。一緒に掃除しようよと呼びかけたら、そうだよね、となりますし、誰も傷つくことがありませんからね。私はこれをバチカンとか、ほかの聖地にも広げていきたいと考えています。今月末は、天理教の方々と一緒に掃除をする予定になっております。掃除で巡礼をしている、というのがいまの状況というわけです。私の話は以上です。ありがとうございました。

青木:ありがとうございます。

NEXT:後編はこちらから!

登壇者プロフィール

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和田 永|EI WADA
ミュージシャン/アーティスト。1987年東京生まれ。物心ついた頃に、ブラウン管テレビが埋め込まれた巨大な蟹の足の塔がそびえ立っている場所で、音楽の祭典が待っていると確信する。しかしある時、地球にはそんな場所はないと友人に教えられ、自分でつくるしかないと今に至る。大学在籍中よりアーティスト/ミュージシャンとして音楽と美術の間の領域で活動を開始。オープンリール式テープレコーダーを楽器として演奏するグループ「Open Reel Ensemble」を結成してライブ活動を展開する傍ら、ブラウン管テレビを楽器として演奏するパフォーマンス「Braun Tube Jazz Band」にて第13回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞を受賞。各国でライブや展示活動を展開。ISSEY MIYAKEのパリコレクションでは、11回に渡り音楽に携わった。2015年よりあらゆる人々を巻き込みながら役割を終えた電化製品を電子楽器として蘇生させ合奏する祭典をつくるプロジェクト「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」を始動させて取り組んでいる。その成果により、第68回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。またアルス・エレクトロニカが主催する世界最大のメディアアート賞Prix Ars ElectronicaとStarts Prize ‘18にて栄誉賞をW受賞する。

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松本 紹圭|SHOKEI MATSUMOTO
1979年北海道生まれ。ひじり。東京神谷町・光明寺僧侶。未来の住職塾塾長。世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leader、Global Future Council Member。武蔵野大学客員准教授。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院(ISB)でMBA取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講し、8年間で650名以上の宗派や地域を超えた若手僧侶の卒業生を輩出。『こころを磨くSOJIの習慣』(ディスカバートゥエンティワン)他、著書多数。noteにて定期購読マガジン「松本紹圭の方丈庵」配信中。

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青木 竜太|RYUTA AOKI
コンセプトデザイナー・社会彫刻家。ヴォロシティ株式会社 代表取締役社長、株式会社オルタナティヴ・マシン 共同創業者、株式会社無茶苦茶 共同創業者。その他「Art Hack Day」、「The TEA-ROOM」、「ALIFE Lab.」、「METACITY」などの共同設立者兼ディレクターも兼任。主にアートサイエンス分野でプロジェクトや展覧会のプロデュース、アート作品の制作を行う。価値創造を支える目に見えない構造の設計を得意とする。
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