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あるロシア人の母親の物語 親に棄てられた私が難聴の子供を授かった意味

シベリア鉄道に乗ってロシアを周り、いろいろな人の話を聞くプロジェクトМесто47。今回は列車の中で出会ったある女性の話です。母親である彼女は幼いころ両親のネグレクト(育児放棄)にあい、施設で育ちました。自らも一児の母親となった彼女は、経済的な困難を抱えつつも難聴を抱える我が子と日々向き合っています。他人の数倍は困難な人生を歩んできただろう彼女の口からは、しかし、世間への恨み言ひとつも出ることはありません。
彼女は愛する我が子のため、すべてを捧げると心に決めています。

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母は18歳の時に私を産みました。でも彼女は子供なんか欲しくなかったんです。人生を楽しく生きることが目的のような人だったから。私をほったらかしにしてよく自分の仲間と遊びに行っていました。父は母が勝手に子供を産んだと言って私のことを拒絶しました。今も酔っぱらった男性に対して恐怖心があります。生理的に受け付けないんです。

4歳の時に児童養護施設に引き取られて、子供時代はずっと施設で過ごしました。施設では子どもたちに一つの刷り込みをします。「もしあなたがやらなければ、だれもやってくれません。誰かに助けてもらおうなんて思わずに、すべて自分でやりなさい」これは私の頭に刷り込まれ、いまだに私はすべてのことを自分でやっていますし、誰かに責任をなすりつけることもしません。施設の子どもたちは、他の子たちと同じ学校に通っていました。施設の子どもを馬鹿にするような生徒もいましたが、私は無視していました。

施設では成人すると、自分が預けられた時の状況を知ることが出来ます。誰がどんな理由で自分を施設に入れたのかが分かります。私は自分の母を探し始めました。ただ、ようやく母を見つ出したとき彼女はもう虫の息でした。2007年に自動車事故に遭っていたんです。父は生きていますが会いたいとは思いません。誰かに強制されて会うことはありません。父の方から言ってくるのであれば、会ってもいいと思っています。

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祖父に会った時は何も感じませんでしたが、祖母の時は違いました。そこには何かしら温かいつながりを感じました。彼女は私が施設で育ったことを知らなかったと言っていましたが、単純に私のことに興味が無かったんでしょう。いずれにしても血のつながった肉親であることには代わりはありません。他の親戚については探してもいません。既に私と近しい人が見つかったわけで、これ以上望むものではないんです。

夫とは同じ会社で働いていて、出会いました。4年間付かず離れずの関係でした。一緒になるには何かあと一押し足りなかったんです。ある日、私たちは一つの結論たどり着きました。もう深く考えるのはやめよう、4年間お互いに誰も見つからないっていうことは、きっとこれが運命なんだと。

私は妊娠中に気管支炎にかかってしまいました。ダーニャは妊娠7ヵ月の時の早産で、生まれたときは1,660gで43cmしかありませんでした。私自身が回復し、息子に初めて会えたのは集中治療室でした。そこには何の感動もありません。その時に感じた苦しさと痛みは鮮明に覚えています。息子はからだ中に管を挿入されて横たわっていました。その管の先には人工心肺装置がつながっています。結局息子と私は3ヵ月半もそのまま病院にいました。息子の命を繋ぐため、たくさんの薬を注射しました。私たちをおびえさせたのは、その注射に含まれる抗生物質によって、失明の可能性があるということでした。でも問題は耳の方に現れたんです。

最初は補聴器を付けていて、私たちはその状態に慣れていきました。ダーニャは幼稚園に通うようにもなり、私たちは満ち足りた生活を送っていました。でも聴力が落ちてくると、難しい手術を受ける必要が出てきました。人工内耳と呼ばれるもので、センサーを埋め込んで、それを通して脳に音が送られるんです。音はコンピュータの信号みたいになっていて、それでどんな音か判断できる仕組みです。でももう聴力が回復することはないんです。

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手術はサンクトペテルブルクで行われました。私たちの街には専門医が居なかったので。今は術後の経過観察のためにサンクトに行った帰りなんです。往路6日、復路6日の計12日の移動です。手術に関連して予想外の出費がたくさんありました。交通費、宿泊費、検査などです。手術から最初の経過観察日まで一月もなかったので、航空券を買う資金を貯めることができませんでした。往復で一枚2万5千ルーブル(約3万5千円)します。子どもに対する割引などもありませんでした。

「改善は見られません」毎回お医者さまからそうやって言われるのは精神的につらいものです。そんな時は悲しみを分かち合える人が隣にいればと思います。でも夫はそばにいません。彼は溶接工として働いていて、不規則な就労時間で一日のほとんど職場にいます。たまに夫に当たってしまうことがあります。「お願いだから手伝ってよ!」って。でも分かってるんです。夫は男性で、彼の仕事は生活のために稼ぐことで、女の問題に付き合ってることじゃないって。

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ダーニャは穏やかな性格のママっ子です。何かあるとすぐ私のところに飛んできます。彼が自立できるように、何事も彼自身に選ばせるようにしています。この子が健康に問題を抱えてしまったのは残念です。医者は二人目を作るべきだって言いますが、私はその気はありません。私は彼のためにできることは全てしてあげたいんです。今はまだ子どもですから、何をやっても許される年です。でも学校に行くようになって、難しい年頃の10代の子たちが彼をいじめるかもしれません。それでこの子が殻に閉じこもってしまうことがないように祈っています。

5年経ってもう慣れました。私はどんな状況であれ休むことは許されないんです。彼はよく病気になりますから、気が休まることがありません。この子に何も起きませんようとにと、いつも神に祈っています。私が子ども時代に経験できなかったことを、彼には経験させてやりたいと思っています。それで埋め合わせをしたいというか。この子が私のことを信頼してくれるように、私は彼にとって一番近い存在で居てあげたいんです。時々私のやっていることは到底真似できないと言う人がいます。でも母親だったら誰もがきっと私と同じことをするはずです。わたし、この子の為ならなんだってできるんです。

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