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私とジェンダーと多様性とマニュフェストと今

この話はまだまだ続く予定のアラサー女子日記だ。
きっと何度も添削して文章が変わっていく事だと思う。
何度もこのページに戻ってきてくれれば嬉しい。

まず私について話そう。
名前;星屑のパーシアス
性別;女
性的指向;パンセクシャル

昨今多様性やジェンダーの話題が流行っている。
だが、私にはそれがよくわからない。
今更何を言い出しているのだと思うのだ。
声をあげてくれた方々に敬意がないわけではないし
確かに誰かが声をあげなかれば苦しんでいる環境も存在するのだろう。
ただ、わざわざそんな当たり前のことをマニュフェストとして掲げている
政治家をたいへん恥ずかしく感じるのだ。

と言うのも、小さい頃から芸能界を志していたおかげで
様々な年齢層の人や物事と触れ合う機会があった。
それを私はすごく誇りに思っているし、
その環境はとても生きやすい性格へ導いてくれた。

当たり前のように私は多様性の中で生きてこられたのだと思う。

自分の親は生まれつきの身体障害者だし
同級生にパラリンピック選手もいる。
同性愛者というジャンルがあることは恥ずかしながら高校生くらいまで知らなかったが
自分自身物心ついた頃から女性に惹かれることが多かった。

知らないということと気持ちがないということは
別のことなんだと身をもって実感した。
無知が恥ずかしいと言うのはこういうことなんだろう。

この件で私は3つのことを学んだのだから。
同性愛者の存在・自分の性的指向・知っている事しか共感できないという恥

その後、体と心のフェンダー不一致について知った。
そうなると、FTMの人とバイの女性が恋愛した時同性愛者の括りに入らないのでは?と
私は感じたし今もこれについては解決していない。

年齢においてもイケオジがサーフィンしてるのを見るとカッケーって思うし
ご婦人がアフタヌーンティーを嗜んでるのを見ると「ああなりたい」って思う。

私は私のなりたい私になるためだけに忙しいのでよその人が不幸かもとか思えないし
よその人がよその人なりに頑張っているのを見て「負けてらんねぇ」って思う。

誰も可哀想じゃないし、自分の知らない世界を不幸だと思うのはおかしいのだ。
いじめているやつや蔑んでる奴がいたらそれこそ「お前、そんなにつまらなそうで可哀想だね」って思う。

話は戻るが、昨今流行っているジェンダー問題だの、多様性だの
言われる前から根本「人の嫌がることをするな」「想像力を養え」という事なのではないだろうか。

時代は科学の発達で視野が広がったがそれに私たち人間の想像力がついていってないのだ。知らないことと感じないことは別だ。

最初の記事にしては難しそうな長文で書いてしまったが、
このブログは私と私の好きなことと私のことが好きな人と
今を誰よりも面白く生きているという発信ブログにしようと思う。

ノンフィクションだからよくないこともたくさん起きる。
でもそれは、誰のせいでもなく私だけの責任でそんな苦難も人生のスパイスとして
楽しんでしまっているところを読者の方には楽しんでもらいたい。

これからよろしく頼むぞ。

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