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その「手」の使い方。 ー ものづくりメディアを壊して作り直した話

わたしの母はその昔「編み物の先生」をしていました。

娘のわたしには、淡いピンクのケーブルニットや、立派なカウチン、チロリアンのワッペンがあしらわれたワンピースなど、
手編みの大作をいくつもこしらえては腕を通させ、「よう似合うねえ」とそれはそれは満足そうでした。

わたしはわたしで、色とりどりの洋服にはしゃぎながらも、一生懸命編み続ける母を傍でじっと見つめていたものですから、
子どもながらに「きれいねえ」「かわいいねえ」とちゃんと褒めてみせ、その度に母は「この服はどこにもないんよ。世界にひとつよ」ともっともっと嬉しそうにしていました。
20年以上も前のことです。

時は流れ、わたしは今、作り手が自由に作品を売買できる「minne」というサービスで物書きをしています。
ここで売られているものは、服飾品から、家具、器、雑貨、食品、と多岐に渡ります。
自由に飛び回るような生活をしていたフリーライターが、なぜ「企業」へと再び収まることを考えたのか。
それは、この「minne」が、読みものを通して全国の作り手や作品を紹介する「メディア」をつくると知ったことにはじまります。

それはつまり、「ものづくりの手間暇を語る仕事」ですから、自惚れ屋のわたしは「わたし以上の適任がいるわけがない」ように思いました。
持っていた仕事をすべて整理して、わたしはずいぶんと弾んだ気持ちで入社したことを覚えています。
それから早いもので3年の月日が流れ、こうして今に至ります。

はじまりは「minne mag.」

当初、メディアの名前は「minne mag.」といいました。その名の通り、「minne」のことについて発信するマガジンです。
人気の作品を紹介したり、人気の作家さんを取材したり、作家さんが催したワークショップのレポート記事を書いたり。
はじめの1年はそんな調子でのんびりと、「サービスブログ」のような、「オウンドメディア」の端くれのような、宙ぶらりんなものだったと思います。

わたし自身、プロモーションやイベントごとの企画にはじまり、あれやこれやと手をつけて忙(せわ)しなかったものですから、
「時間も頭もあまり割かずに細々と運用する」というやり方で、
いま思えば「minne mag.」は望まれて生まれた割に、ずいぶんとみすぼらしく可哀想な幼少時代を過ごしていたかもしれません。

しかし、その頃も心で願っていたのは
「ひとつでも多く、作品が誰かの手に渡りますように」
「一生懸命つくった人が報われますように」

ということであり、根っこは何ら今と変わりのない想いでした。
素敵な作家さんにも多数出演いただき、
時間が許す限り、なんとか合間を縫うように取材にも出向きました。

そして、ものづくりの現場に足を運んで、その制作を傍で見せてもらうことを繰り返すうち、わたしは毎度「はっ」と息を飲むような一瞬が必ずあることに気づきます。

それは、絵付けをする一筆目であったり、ガラスに切り込みを入れる刃の接触であったり、丁寧に紡いだ手刺繍の最後の糸をパチンッと断つ瞬間であったり。
場合によって、工程はさまざまです。
しかし、そのときばかりは姿勢の悪いわたしも、すっと背筋をのばして、
次の瞬間「ほっ」とする。
そして「ああ、このまま全てうまくいきますように!」といつも心から願うのでした。

「つくる」と「プロ」と「ハンドメイド」

「つくる」とは非常に手間です。

集中と緊張、そして我慢や、時として思い切り。
そしてそれらをひっくるめた「鍛錬」の先で、作品は完成するのだと、わたしは作り手のみなさんに何度も何度も教わりました。
だれかの時間と知恵と精神を注いだ「手間」を超えてつくられた「もの」に囲まれ、わたしたちはこうして豊かに暮らしています。

「ハンドメイド」という言葉。
そこには、なにか「プロではない誰かが、申し訳程度に自作してみたもの」のようなイメージを与えられてしまうシーンがあることも、わたしはよく知っています。

しかし、それはとんでもないことです。

有名ブランドのデザイナーも、三つ星をとるシェフも、デジタルを駆使して制作を行うクリエイターも。
みな一生懸命に動かしているのは同じ、その「手」です。
頭と心を「これでもか」と絞り、手を使って形にする。
「手=ハンド」はアウトプットの必須道具であり、この文章もこうしてパチパチと手で打ち込まれていきます。
「手」で「手間」をかけた工程を含むものは、なんだって「ハンドメイド」に違いないとわたしは常々思っています。

そして、人様からお金をもらうということ。
そうやって仕事として営んだなら、認めたのは自分ですからその覚悟を決めたのであれば、それはもはや立派なプロです。
ですから、「ハンドメイド」の反対語は「プロの仕事」でも「機械を介したもの」でも何でもなく、「この世にまだ形のない、作られていないもの」なのではないでしょうか。
どんなものだって、1つ目は、あたたかなハンドから生まれているに違いないとわたしは考えているからです。

「わたしの仕事」はこれでいいのか。

話を少し戻して、わたしのことをお話しすると、
2年ほど前からでしょうか。
わたしの心には次第にモクモクと悩みのようなものが芽生えはじめました。
「では、わたし自身のものづくり」はこれでいいのか、ということです。

もっと具体的には、
「わたしの仕事は、いったいどのくらいの数の出会いを生み出せているのだろうか」
という悩みを抱えるようになります。

つくられた作品(=もの)は、誰かに見初められ、誰かの持ちものとなり、暮らしの中に馴染み、大切にされていきます。
それはそれで、とても素敵で大切なことに間違いはなく、それが作り手の願いでもあると思います。

しかし、わたしはその作品のひとつひとつが「あまりにも尊いものである」ことを、目と心で思い知ってしまいました。
ところが、そこで行われているのは、「作り手」と「買い手」のみの価値観の共有。
その共感と心の通い合いは、たしかにとても素晴らしいもので、「運命」のようなときめきも覚えます。
しかし、「ひっそりと売買が完結されること、の支援・応援」だけを行なっている限り、作り手の「もっと大きな夢」を叶える手伝いはできないのではないか、とも考えるようになりました。

そしていつからか、「昨晩、丹精を込めてつくられた作品」だけでなく、同じように、作り手の「次に生まれる作品」の支援もしたいのだと考えるようになりました。
そこでわたしが使いたいと思ったのが、やはり「読みもの」という、わたしがいちばん得意な道具です。

「minne mag.」を壊して作り直そう

考えたことは3つです。ひとつは、
「あの、minne mag.に掲載された作品だ」
「あの、minne mag.に取材された作家だ」
ということ自体が、“ステータス”になるようなメディアに成長させること。

もちろんメディアのファンを増やせば、それだけたくさんの人に作品や作り手を知ってもらえることは言うまでもありませんが、
メディアがそこまで成長すれば、
「あの人は、minne mag.に掲載された作家らしい。この企画のデザインを頼んでみようか」
と、肩にカーディガンを巻きつけたどこかのプロデューサーが、仕事の依頼として作家さんに声をかけてくれるかもしれません。

そのために、まずは1度、扱うトピックスを大幅に拡大し、間口を広げました。
メンバーには「オウンドメディアだということは、この際忘れてみたい」という相談したほどです。
地域の伝統工芸、素材や道具を開発する企業、著名なクリエイター、人気のタレントさん、器を活かした調理のレシピ…
ものづくりに関わることであれば、小さく括らず、さまざまなコンテンツに挑戦するようになりました。

おかげで、まだまだではありますが、これまで以上にたくさんの方に興味を持ってもらえるようになりました。
これからさらに、大きなメディアに育てていきたいと考えています。

「minne」に閉じない

そしてもうひとつは、「名前」を改めること。メディアを大きくするためには、「minne」の中のことだけを発信しているマガジンのままではいけないと思いました。
「minne mag.」という名前は「.(ピリオド)」で閉じられているのです。
「minne」に閉じず、「ものづくり」というテーマで、ものづくりに関わるすべての人の「叶えたいこと」をつないでいく、
そういった想いを込めて、メディアを
『minneとものづくりと』
という名前に改めました。2つ目の「と」の先に続くのは、「作り手」であり「買い手」であり「企業」であり、あらゆる「あなた」です。

終わりのない問答に最後まで付き合ってくれた阿部さんに心から感謝します。きでりんさんも素敵なロゴをありがとう。


作り手の新たな「仕事」を生めるメディアに

そして3つ目。
最後は、「minneとものづくりと」がたくさんの企業から仕事を獲得してきて、「このコンテンツに出演してください」と作家さんにギャランティをお支払いして出演いただく、
つまり「作家さんの仕事を生むことができる」メディアになる、ということです。

これは、なかなかおもしろいものづくりを思い付いたと思いました。

記事を使ったプロモーション、つまり広告記事にもいろんな形があります。
たとえば、とても簡易なものであれば、
企業に、売り込みたい商材の「写真」と「セールスポイント」の情報をもらって掲載するような記事。

もう少し工夫を凝らして、タレントさんに出演してもらったり、編集部で素敵な企画をこしらえて掲載するメディアもとても人気です。

しかし、わたしたちがやりたかったのは、依頼されたその「プロモーションの仕事」を、作家さんと一緒に完遂する、ということでした。

それは、たとえばこんな流れです。

1、企業からプロモーションの仕事を引き受ける
商材は、なんでもいいわけではありません。わたしたちもその価値観に賛同したり、試しに使用して心から気に入ったもののみを扱っています。

2、今回は、どの作家さんとものづくりをするか、編集部で決める
58万人の作家さんの中から、その商材の魅力をひき出すのに、最も適した作家さん、つまり「一緒にものづくりをしたい作家さん」を検討します。

3、作家さんに相談し、つくるものを一緒に決める
商材をアピールするための「ものづくり」を作家さんと一緒に考えます。

4、作家さんに作品を制作してもらいます。
実際にご自宅やスタジオで、納得がいくまで制作を行っていただきます。

5、その商材と作品が、最も魅力的に映るよう撮影します。
頭をひねり、心を込めてコーディネートします。
そして、その商材と作品がいちばん素敵に伝わるよう撮影をします。
(内緒ですが、うちのカメラマンの真田は天才なんです。)

6、制作の裏側も含め、「ありのまま」を大切に執筆します。
作家さんの制作の裏側も含め、商材の魅力について、嘘はつかず、ありのままを、時間をかけて、わたしが執筆します。

ここに並べているのはこれまでの実績の一部です。

すると、書いていても、なんだか不思議な気持ちですが、
これまでにない企画や個性的なクリエイティブ、作家さんによる宣伝効果、ライティングが功を奏し、
広告の効果としても驚くような数字をたくさん生み出すことができ、プロモーションの依頼のリピート率は50%を超えました。

しかし、それは一方で当然であるかもしれません。
わたしたちは、作家さんも含めた「58万人の編集部」なのです。
企業にプレゼンをするときは、こんな、魔法のように心強い言葉を胸に、わたしはいつも取り組んでいます。

同時に生み出せること

こうすることで、作家さんには「お仕事」としてものづくりを依頼するわけですから、しっかりと「制作費」「ギャランティ」をお支払いすることができます。

その際に生まれたアイデアや技法は(全く同じ作品は権利の都合上、販売できないこともありますが)、普段の作品に活かしていただいて一向に構いません。

そして何より、「ニベア花王さんと仕事をした」「エプソンさんと仕事をした」という実績は、作家さんのポートフォーリオに書いていただくことができるような実績です。
企業さんとの取り組みや、コンテストを頻繁に開催するのも、作家のみなさんのポートフォーリオに書けるようなお仕事を、ひとつでも一緒に取り組むことができること、そしてそれが次の大きな仕事に繋がることを願っているからです。

願っているのは、「踏んでもらうこと」

わたしは、読者のみなさんの心に届くよう「minneとものづくりと」の記事を丁寧に想いと力を込めて執筆しています。

しかし、作り手のみなさんには、どうか「minne」も「minneとものづくりと」も、どんどん踏み台にしてほしいと考えています。

踏切台(ふみきりだい)のように、踏んで、遥か遠く遠くまで飛躍いただくことももちろん嬉しいですが、
できれば、何度も何度も踏んで、ステップアップしながら、日々の運用に使ってもらい、
「すごく居心地がいい、だけどとても踏み応えがある」
minneをそんなふうに感じていただくことができれば幸せですし、
そんなメディアであり、プラットフォームでありたいと願っています。

一緒にお仕事をした作家さんからは、後々に、個人的にお手紙やメールをいただくことも本当に多いです。
・個展をすることになりました。
・出版することが決まりました。
・テレビで少し映ることになりました。
わたしは、そのどれもが本当に嬉しいですし、週末は可能な限り、そういったものに触れに出かけます。
わたしはずいぶんと自惚れ屋ですから、人の夢が叶うことがこんなに嬉しいなんて、これまで知らなかったのです。
そんなことをわたしに教えてくれたのも、間違いなく作家のみなさんでした。

「忘れた」はずが。

そして、思わぬ効果も生まれています。
「オウンドメディアだということは、この際忘れてみたい」
とまで考えていたメディアのリニューアルでしたが、
なんと近ごろ、たとえばスタッフが記事内で紹介した作家さんの1週間の注文額が、記事公開後「200,000円を超える」、「3000%upに跳ね上がる」などの事象が起こるようになっています。
もちろんこれは「素敵な作り手さんであったから」に他なりませんが、
「minneの作品購入増に貢献しよう」とだけを考えていたころよりも、
「作家さんの売り上げ」「minneの売り上げ」にも貢献できるようになっていたのです。

これは、とても嬉しい驚きでした。

2020年も、「minneとものづくりと」は、作り手のみなさんと一緒にたくさんのことに挑戦し、もっともっとおもしろい取り組みができるよう大きくしていくつもりです。

そして、今の編集部がわたしはとても大好きです。これからも一緒にがんばろう。

その「手」は誰のために使ってもいい

ちなみに。
わたしの母は、あるとき「編み物の先生」を辞めました。
理由は、「娘であるわたしと、夫である父の洋服さえ編めればいい」と
母は気づいたというのです。

そういう「手」の使い方もあると、わたしは思います。

そして、そういった「ものづくり」にも、心から敬意を表したいです。
届けたい相手のためだけに、届けたいものをつくる。必要な相手のためだけに、必要なものをつくる。
当然ながら、決して手仕事は「派手で大きい」ことだけが価値ではありません。
そういう「作り手」もまた素晴らしく、とてもかっこいいと思います。

母は、自分が表に立ち目立つことを苦手とする人でした。
そしてたくさんの手編みの作品を残して、数年前に空に旅立ちました。
ですから、わたしは「エッセイスト」として母のことを書き続け、
いつか「こんな作り手の」「こんな生涯があった」と一冊の本にまとめたいと思っています。
そういう「手」の使い方も、わたしのもうひとつの大切な夢です。

この「手」には、無限大の使い方があるのです。

Twitter:https://twitter.com/merumae_yuka
執筆記事:https://meruco.amebaownd.com/

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