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「どんなに幸せだったか」

華やかな仕事が舞い込んできた。
それは、女性向けファションブランドのプロモーション動画に出演するというもので、日頃から「自分ではお気に入りだけど、とてもとんちんかん」な格好で出歩いているわたしにとっては、本当に本当に慣れなくて申し訳ない仕事であった。

「ご迷惑をかけないように……」
「ちょっとでもマシに映るように……」
前日の夜には、こんなわたしでもフェイスパックをしたりしてみた。
「よし、いつもよりいい感じや……」
それなりに満足したので歯磨きをして寝ようとしたところ、口をゆすぐときに奥歯が痛むことに気づく。
「虫歯……?」
鏡に向かって大きく口を開けて奥歯を覗いてみると、そこには「ぽっかり」と穴が空いているのだった。
「奥歯に穴が空いてる……!!」
今まで気づかなかった。こんな穴、いつから空いていたのだろう。
只事ではないと、急いで歯医者さんを検索した。
引っ越してきたばかりのこの街に、馴染みの歯医者さんはない。診察時間や家からの近さを考慮して、ようやく
「ここに行ってみようかな」
という医院を見つけた。
けれども時間は深夜0時を回っている。仕方がないので明日の朝に電話をしてみることにして、その日はプロモーション動画と虫歯のことで不安でいっぱいのまま眠りについた。舌の先で穴の大きさを何度も何度も確かめながら、うとうとと眠りに落ちる。


そして翌朝。電話で連絡すると、
「今から来てくださっても大丈夫ですよ」
「お昼過ぎのご予定までに間に合うと思いますよ」
と歯医者の受付の女性が丁寧に答えてくれた。
助かった……! 週末の朝だがキャンセルが出たらしい。
一刻も早く穴を塞ぎたい気持ちでいたから、走ってその医院に駆けつけた。
もちろん奥歯なんて動画で見えるはずがないのだけれども、何しろおしゃれなファッションブランドの仕事なのだから。その前に処置をしておきたい。
歯に穴が空いている女の出ている動画より、穴なんてない女の動画の方がきっといいように思えた。


歯医者であんぐりと口を開けると、
「これは、古い詰めものが取れただけなので、大丈夫ですよ」
先生がそう言ってくれるので安堵した。
なんだ、そうだったのか。
「すぐに処置はできます。また埋めておきますね」
ちょっと削る必要もあったから、先生は手際良く麻酔をして、穴の処置をしてくれる。
「麻酔が切れるのには数時間かかると思いますけど、もう大丈夫です」
「だけど、汚れや歯茎の状態もケアした方が良さそうに思うのですが、どうでしょう?」
先生にそう言われたけれど、私は歯の穴を埋めたことで充分満足だった。
それにこのところ何かと忙しいし、歯医者さんで休日の予定が埋まってしまうのはあまり面白くないように思える。
「……大丈夫です、何かあればまた来ます」
そう答えて、わたしはやり過ごす。
実際その歯医者さんであれば、何かあればまたすぐにお願いしたいと思えたし、処置は「また何かあれば」でいいだろう。
麻酔はまだ効いているけれど、気分が軽くなって鼻歌まじりで飛び跳ねるようにして帰った。


けれども、「ファッション動画の撮影」ではちょっとしたハプニングがあった。
「ライターである中前さんが、カフェでお仕事されている様子を撮らせてください」
そう提案され、言われるがままカフェでカフェオレをストローで飲んでみたところ、麻酔が切れていなかったせいで口からカフェオレが滝のようにダラダラと漏れ出たのだ。
「すみません……!」
申し訳なくって、わたしは謝る。
「大丈夫ですよ、カメラで映している左側からはこぼれていません」
「そんなものですか」
「ええ、問題ありません」
わたしにも「プロ意識」のようなものがあるようで、動画を確認してみると、たしかにカメラに映っている左横顔はなかなかの「おすまし顔」だった。
映っていない右側からは、ダラダラダラダラと滝のように漏れ出ているけれど。
頭の中ではミスチルの『Tomorrow never knows』が流れていた。
本当に「とどまる事を知らない」とはこのことだな、と思うぐらいの量のカフェオレがこぼれたから。
そんなわけで、「これでいいんやろうか……」と内心は不安であったけれど、撮影は1時間ほどで無事に終了した。
歯医者さんと同じく手際のいいスタッフさんに感謝だ。


しかし帰りの電車に揺られながら、わたしは振り返っていた。
「なんで大事なときに限って、わたしはいつも歯の問題を抱えているんやろうか」
本当にそうなのだ。
頭の中には、いくつもの「歯」との思い出が蘇ってくる。

小学生の頃、はじめて愛を告げようと企んだバレンタインデーの日に虫歯が痛かったこと。
たのしみにしていた三重旅行の最中で、親知らずがとても痛んだこと。
憧れの人のオフィスにお邪魔することになって、みんなでルームツアーを回っている最中に、前歯が痛すぎて階段の手すりを掴んで耐えていたこと。(これは、歯の神経の問題だった)
数年前、入院当日の朝に虫歯が見つかったこと……。

そして何よりも思い出深いのは、まだテレビ局に勤めていた時代のことだった。

その頃、わたしは慣れない仕事に振り回され、とても疲労困憊で。特に、毎週木曜日に開催される「定例」という3時間の打ち合わせがとても辛かった。
会議の内容は、資料に書き込んである「共有事項」を皆で読み上げるというもので、正直言って退屈だった。
こらえてもこらえてもアクビが出てくるし、毎週後半はどうしても意識を失ってしまう。居眠りだ。
けれど大事な会議で居眠りをしているのは、やはり良くないことだろう。それに周りの目もある。
そこで毎週試行錯誤を繰り返した結果、わたしが編み出したのが「ペロペロ大作戦」だった。
誰もが知る有名な「国民的ソフトキャンデー」の青りんご味を、上の前歯の裏に貼り付け、休むことなくペロペロペロペロと舌を動かして舐め続けるというものだ。するとどうだろう、わたしは眠気に襲われないのだ。
「舌を必死で動かしていると、居眠りしなくて済む」
世紀の大発見をしたような気分だった。

これで怖いものはない。
わたしは毎週ソフトキャンデー4パックを用意し、途切れることなく前歯の裏に貼り付けては、3時間ペロペロとキャンデーを舐め続けた。
毎週毎週3時間、飽きることなくずっとずっと舐め続けた。

そしてその結果、睡魔から開放されたのと引き換えに、わたしは大事なものを失ってしまった。

なんと前歯の真ん中に大きな大きな穴が空いたのだ。

穴の位置は、こんな感じ。

上の前歯の中央、2本をまたがる形で大きな穴が空いた。歯を閉じていても、向こう側がのぞき見える。喉の奥の暗い闇が見える。
予兆はなく、本当に突然のことだった。気づいたら空いていた。
会社で発見したのだ。
はじめて鏡に映したときには、衝撃のあまり手が震えた。
「とんでもないことをしてしまった……」
前歯に丸く穴が空いている顔というのを想像してみてほしい。
本当に本当に「間抜け」だ。これ以上の言葉はない。
どんなに真剣な目をしてようと、眉をキリリとさせていようと、2本の前歯に穴が空いていたら台無し。おしまい。ふざけているようにしか見えないのだ。
「大変や、どうしよう……」
消しゴムでも詰めておきたい気分だったが、なんとか思いとどまり、どこかの歯医者さんを予約しようとした。
けれどもその日の夜に限って、とても大事な予定が入っていた。
「しばらく距離を置こう」と距離を置いていた恋人と久々に会って話し合うことになっていたのだ。
まずい。これは、まずいことになった。
というのも、その話し合いとはほとんど負け戦で。つまり、ほぼほぼ「別れることにしよう」と決まりかけている、その圧倒的な別離の雰囲気の中で、「やっぱり別れたくないのですが」とわたしは意見しようとしていた。
「よーくよーく考えてみたところ、やっぱり上手く続けていく方法があるのではないかと、わたしはそう思いました」と言おうとしていたのだ。
時刻はもう17:00を過ぎていて、約束までにあまり時間がないし、「急遽、キャンセルさせてほしい」とは、とても言いにくい。
それに二人の関係について、あまり日を置いてはいけないという実感がわたしにはあった。
けれども、どうすればいい。
わたしの前歯には今穴が空いている。2本ともだ。
しばらくぶりに会う彼女の前歯にトウモロコシの粒ほどの穴が空いていたら、男性はどう思うだろうか。
考える間でもない。別れるだろう。
絶対にないが、もしも彼も「やっぱり別れたくないのですが」と言おうと決めていたとして。いや、それでもやっぱり別れるだろう。
前歯に大きな穴が空いている姿には、それくらいのパンチがあった。
前歯に穴の空いた女が「やっぱり、やり直しませんか」と提案している姿。滑稽だ。実に滑稽だと思った。
けれども全ての非は自分にある。キャンディーを貼り付けて延々と舐め続けるだなんて。歯に悪いとすぐに気づくべきだった。本当にどうしようもない。いつもそうだ、なんでも後になって気づく、どうしようもない人間なのだ。

結局なす術なく、わたしは約束の時間に約束の場所に行った。
手で口元を隠して、あまりにもモゴモゴと喋るので「どうしたの?」とやっぱり聞かれた。
「実はさあ……」
けれども、その頃にはわたしは思い直していた。
考えを改めたのだ。
どうせ最後になるかもしれないのだ。暗くつまらない会話なんかよりも、前歯にトウモロコシの粒ほどの穴を空けて笑っている笑顔のほうが、きっと忘れず心に残るだろう。あとにも先にもあんな女、他にはいなかったなと心に刻まれるのではないか、そう思ったのだ。
パッと手を広げて、大きく笑顔を作る。
多少、勇気は必要だったけれど、相手は見慣れた顔。「これで終わるんだし」と思えば、大したことなかった。
実際、彼は机に突っ伏して本当によく笑った。
「最高だね」
そう言いながら。
「すごい人だよ」
目を細めて、彼は何度もそう言って笑っていた。そして言った、これまですごくすごく楽しかったと。

結局逆転は起きなかったけれど、ふたりはとても笑顔で別れた。
内心では辛かった。歯の穴にスースーとすきま風が吹く思いだった。けれども大人だもの。なんとか納得し、その思いを抱えてまた明日も生きていくしかないのだ。
「はあ〜〜〜、歯医者さん予約しよ」
駅でひとりになった途端、大きめの独り言を言ってわたしは帰った。すぐにでもやるべきことがある、とはなんと心強いことか。
そして翌日、またわたしは歯を埋めてもらい歯医者さんに救われた。歯医者さんは本当に魔法使いのようだ。
「どうですか?」
と鏡を見せられたときには、わたしの心の穴もほんのちょっと埋まったような、そんな気さえしたものだ。
「どうもありがとうございます」
そんなわけで、苦いような、甘酸っぱいような、ただただ滑稽なような。そんな複雑な歯との思い出が、またひとつ増えた。

そんな顛末を思い出していた。

***

プロモーション動画撮影から数日後、わたしは取材の現場にいた。
ほんの少しだけ年上の女性2人に、ものづくりについてインタビューしていた。そのとき、話の流れで片方の女性がこんなことを言ったのだ。
「あと30年生きれるとして。あと30年生きられると思うと長いけれど、あと30回しか桜が見れないと思うと、焦りませんか?」
本当だ、と思った。
あと30年生きられるとして。「そろそろ桜の季節だなあ」と当たり前に思うことも、「半袖じゃ肌寒いし、春は何を着ればいいのかわからないなあ」と悩むことも、あと30回と言われると、途端に貴重なことのように思えてくる。それだけしか、見れないなんて。思えないなんて。悩めないなんて。
「本当ですね、とても焦りますね。毎日を大切にしなくっちゃ」
そのときは、他愛もない話をしてその話題は流れていったのだけど、その言葉はわたしの胸にぺっとりと貼り付くようにして残った。

そして帰り道に、わたしは谷川俊太郎さんの詩を思い出していた。

ときどき思う。死んでからヒトは、生きていたことが、生きているだけでどんなに幸せだったか悟るんじゃないかって。

「幸せについて」谷川俊太郎

本当にそうなのだ。
行きたいところに自分の足ですぐ行けること。食べたいものを食べられること。伝えたいことを、すぐに伝えられること。
生きているというただそれだけで、人はなんて恵まれてるのか。なんて幸せなことなのか。けれどそのことに、生きている間は気づかない。気づいているつもりでも、うんとうんと少ない。感じ足りていない。こんなに幸せだということを。

だけど、「もうひとつ大切なことがあるよな」とわたしは思った。

わたしはまだ30代で。何事もなければ、運良くいられれば。桜はあと40回、50回と見られるかもしれない。
だけど母は違った。59歳で亡くなった母は、「桜が見たいなあ」「今年の桜、最後に見られるかなあ」と言いながら、病室で辛い時期を過ごし、外に桜は咲いていたのにそれを見ることもなく、10年前の4月の4日に亡くなった。
いちばん、桜が咲きしだれているときに。いちばん、あたたかくて眩しい季節に。
そうだ、生きているだけでもいけない。元気でなくちゃその年の桜は見られない、余裕がなくちゃあ桜は見られないのだ。

行きたいところに自分の足ですぐ行けること。食べたいものを食べられること。伝えたいことを、すぐに伝えられること……。それだってそうだ。
心身ともに元気でなくちゃあ、自由に動かせる体がなくちゃあ、健やかな歯がなくちゃあできない。恵まれている「今」を保てていなきゃできないのだ。

命を。残りの寿命を伸ばすことは、簡単にはできないかもしれない。けれども、この「今」を保つということに関してはもう少し努力できるのではないか、ということを思った。
足腰を鍛えること、歯を大事にすること、食事の内容を気をつけること。
「辛い」ほどには節制しなくてもいい。ただ、わたしも30代半ば。そろそろしっかりと向き合ったほうがいいのかもしれない。何年後もごきげんに桜を見られるわたしであるために。
「なにか今、できることはないか」
と思った。そして、手っ取り早くて、最近チャンスを逃してしまったことが、いちばん最初に頭に浮かんだ。
「歯医者さんや」
あのとき、先生は
「汚れや歯茎の状態もケアした方が良さそうに思うのですが、どうでしょう?」
と言ってくれていた。わたしは時間を惜しんで断ったけれど、それは未来のための提案だったのだ。わたしはいつも大きな事件が起きてから、すがるようにして歯医者さんの門を叩いていた。
あのときも、あのときも、あのときも!
半べそをかいて、それはそれは大慌てで。
だけど、日頃からケアをしていれば。予防をしていれば。そんなふうに慌てることは1mmもないのだ。それに、何より何年後も食べたいものをわたしは食べたい。そのために今やれることはたくさんあるように思った。

「すみません……先日お世話になった者なんですが、やっぱりこれからも定期的に見ていただけませんか……?」
後日電話すると、「もちろんです」と先生は改めて迎えてくれた。これからは毎月、口の中の状態を見てもらって、ケアしてもらうことになった。
歯の穴にスースーとすきま風が吹いていたあの頃。本当は、あのときにそんな道を選べていればよかったけれど、まあ何事も遅すぎることはないだろう。はじめられるものは、今はじめればいいのだ。

生きて、今を保てているだけで。
どんなに恵まれているか。どんなに幸せだったか。
そう悟る日を、少しでもほんの少しでも先延ばしにできるように、今できることはやることにした。
人生はTomorrow never knows だけど、ちょっと上向きにすることぐらいは、きっときっとわたしにもできる。




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中前結花
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