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坂本冬美「ブッダのように私は死んだ」歌詞(桑田佳祐)を味わう

サザンの桑田佳祐さんが坂本冬美さんの新曲を作詞作曲、先日のラジオ「やさしい夜遊び」で初オンエアされた。

「ブッダのように私は死んだ」

ブッダのように…?

タイトルが、既にインパクト大。

どういうこと?!と思わせる。

曲に描かれている世界を確かめ、味わってみよう。

※全歌詞は坂本冬美さんのサイトで公開されている。


♪目を覚ませばそこは土の中

…と冒頭でいきなり女は殺され埋められて死んでいる。早い。

しかし…本当に死んでいたら目を覚ますことはないはず。

この「死」は、精神的、社会的なもの。

そして、男とのこれまでの人生の終わり。

※追記(R3.1.1)
…と私は捉えるのだけど、
紅白歌合戦での坂本冬美さんの歌唱で桑田さんが語った“口上”によると、
歌の中のヒロインはやはり殺められている設定だった。
その方向の解釈は後述。


♪所帯持つことを夢見た

ということは結婚には至らなかったのね…。

だけど、チラチラその気はあるような素振りをされ期待して、ここまで来てしまった。…悲しい。

彼女の方は彼に惚れていて、その弱みを利用され、

♪危ない橋も渡った

と身を捨ててずいぶん尽くしたようだ。


♪嘘だと気付いた時には捨てられたのね

彼の甘い言葉は自分を利用するための方便。真の愛などないと悟った時、

彼から「利用価値なし」の烙印を押され、あっさりバッサリ捨てられた。

彼女のこれまでの献身など全く顧みることなく。


♪お釈迦様に代わって殴るよ

それは殴りたいわ!殴って良いと思う。

しかし、「お釈迦様が殴る」ってこちら側のイメージになくて「え!?」となる。

通常、仏が絡むなら「バチが当たる」とか「天罰を下す」という言い回しになるのよ。

「月に代わってお仕置きよ!」はセーラームーン。


「仏の顔も3度まで」という言葉もあるね。

グッと耐え忍んだ怒りが爆発したら…仏も怖いんだろうなぁ〜。

座した大仏様が腰を上げて、拳を振り上げ殴りかかってきたら……

ひええっ…!これは覚悟しちゃうな!


この部分の歌詞朗読を桑田さんがした時、

これ、どんなふうに歌うんだろうな…?すごく歌いにくいんじゃないのかな…と思ったが、坂本冬美さんの歌唱はそんな心配を凌駕する素晴らしさで、深い情念を絶妙に表現していた。


二番の冒頭で、女がそれなりの妙齢であることが歌われる。

♪もう見た目を気にする歳じゃない

…いや、そうなんですけどね。

気にしても、もう取り繕いようもない見た目なんですけどね…

実際、年になればなるほど、見た目を気にするんですよ~~~~

気にしなければ、えらいことになるんですよ~~~


♪私、女だもん

これも大胆な歌詞よねぇ…。

ここも、どうやって歌うんだろうって思ったけど、坂本冬美さん…上手いわ!

女性が聴いても、厭らしさを感じないのが良い。


♪何食わぬ顔でテレビに出ている ねぇ、あなた

えっ!?相手の男って有名人なの?


♪世間は本当の事など なんにも知りゃあしない

この二行で、業界のドロドロした深い闇や、それにまつわる隠された事件があるのだろうと想起させられる。


ただ箸の持ち方だけは 無理でした

…この歌詞もすごいよね~…。


この男は、嘘も平気でつくし、他人を見下す性格の悪さに加えて、

服のセンスも最悪…。

でも、それは彼女は赦せたというのよ。

「箸の持ち方」だけは受け入れられなかった、と。


子どもがヘンな箸の持ち方をしていると、大抵、人から注意される。

持ち方が多少おかしくても、別に食べられるんだから問題ない、と人の助言を聞かずにそのままでいると、もう誰からも何も言われなくなる。大人にわざわざ注意する人はいない。

注意されて素直に聞き、直そうと努力すれば二週間もしたら自然と正しい箸の持ち方が身につく。

長年の癖になっている持ち方を直すには、それなりの辛抱がいる。

だが、そこを乗り越えれば一生ものの所作が獲得できるのだ。


箸の持ち方が悪い彼は、

人の助言に耳を傾けることなく、

自分がより良くなるための努力をせず、開き直り、

もはや自分に助言をしてくれる人さえ失っている。

…って、めっちゃ悪口を並べてる!?

箸の持ち方だけで、そこまで言われる!?って叱られそう…。

この曲の歌詞考察として、この言葉の並びで出てくる表現として、

曲中で描かれる男の人となりが集約された箇所だと思う。


♪この世から出て行くわ

終盤の締めで決別を示す。

「この世」というのは、彼と生きた世界、つまりは芸能界なのだろう。

本当に死ぬわけではない。

だけど彼女にとっては、彼に尽くした自分自身を葬るという意味合いかもしれない。


♪ごめんね お母さん

親に謝らなきゃいけないようなこともしちゃったのかな…。

或いは…親には元々反対されていたか。

逆に、親の期待に報いることができなかったか…。

死ぬとか殺されるとか言ってる時点で親不孝よね…。


♪みたらし団子が食べたい

美味しいよね!みたらし団子。私も食べたい!

…じゃなくて~


お母さんに甘えるようなこの一節、彼女の可愛らしさが良い。

きっと彼女が子どもの頃、泣いたりした時にお母さんが

「これでもお上がり。」

と出してくれたんだろうな。

そうしたら、彼女はたちまち笑顔になったんだろう。

死をも思うつらい局面で、母の面影が浮かび、想い出が巡る。

その想い出のおやつを草餅でも串団子でも、おはぎでもなく、

トロンと琥珀色の蜜が垂れる艶やかなみたらし団子にし、色気をプラスしたところに桑田さんのセンスを感じる。

柔らかく、甘辛い…彼女の魅力が投影されている。


♪お釈迦様みたいにはなれない

えっ!?タイトルが「ブッダのように私は死んだ」なのに、

ラストに至ってタイトル回収どころか撤回!?


「お釈迦様のように」というのは、悟りを開く、全てを赦すってことかな。


彼に騙され利用されたことに気付き、捨てられ傷ついて…

これまでのいろんなことを思い返して…

ある程度、自分で諦めに近い納得もできたけど、

かと言って、全てを赦せるかというと…

そんなに心広くないわよ!

あいつが悪かったってことだもん。



改めて…

曲名「ブッダのように私は死んだ」はどういう意味なのか。

ブッダの死の場面は涅槃図として具体的なイメージがある。

沙羅双樹の花の下、横たわる仏陀の周りで多くの弟子たちや動物たちが嘆き悲しむ。

この曲は坂本冬美さんをイメージし、桑田さんが作詞した当時ハマっていた海外ドラマなどから着想を得て書かれたという。

曲中のヒロインは、華やかな世界の舞台に立ち、多くのファンを持つ。

その彼女が亡くなったりしたら…

或いは、いなくなってしまったら…

(芸能界から引退してしまったら)

どんなに多くの人が深く嘆き、大きなショックを受けることか…。まさに涅槃図…!


だけど、ここで彼女は「私はまだ死ねないわ!」と起き上がる。

(お釈迦になる=死ぬ
 ↓
 お釈迦になれない=死ねない)


♪やっぱり私は男を抱くわ

もう恋はしないなんて思わない。

もっと良い相手は私の周りにいくらでもいる。


「男に抱かれる」でなく「男を抱くわ」と主体的な言葉。

最後に彼女がこの痛手に打ち負かされることなく力強く進んで行く姿を見せる。

しなやかにしたたかに。


※追記(R3.1.1)
桑田さん自らの口上
「深く愛したあの人に、気づけば捨てられ、殺められ。この世を去った今もなお、女の業を抜け出せず…」
がこの曲の物語。

♪やっぱり私は男を抱くわ

の意味は上記と大きく異なる。

死んで尚、男という愚かで愛しい存在を菩薩のような広く温かい心で抱きしめる…


うぅ〜ん…
私は捨てられ殺されてまで相手を愛せるかしら…

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この曲を坂本冬美さんが大事に歌い続けてくれるだろうことが、発売日前から既に嬉しい。

NHKの歌番組とかでも聴けそうよね。

桑田さんがラジオ「やさしい夜遊び」のラストに

「坂本冬休み」って言ってて、「へ?」と思ったけど、モノマネタレントさんなのね!!

桑田さんの気遣いが全方向に広い…。


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坂本冬美さんの歌詞解釈は、上記の私の読解と異なります。こちらのインタビューをぜひお読みください。↓

【インタビュー】坂本冬美「全てを賭ける」、桑田佳祐書き下ろし曲に込めた思い 2020.11.30


歌詞は聴く人それぞれへ色を変えて届くもの。

正解も間違いもないのですが、桑田さんの曲を聴くといろいろ考えてしまうのが私の癖…。

他にも、あれこれ桑田作品について考察しております。

良かったら読んでみてくださいね~!

読解・曲解講座〜『LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜』

歌詞を読む【読解】桑田佳祐 新曲「金目鯛の煮つけ」

桑田佳祐「明日晴れるかな」【読解】歌詞を読む

…他にもあるよ~

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