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ひとり暮らしレポート ふゆがくる

ひとり暮らしもだいぶ板についてきたような11月。湯水のごとく買い物ばかりするシーズンを終えたかと思いきや、生来の病気である、ストレス発散の衝動買いが再発した。とくに、さむくなると新しくてあったかい服がほしくなる。仕方なし。孤独に関しては、ときより姿をちらつかせては、またどこかへ行ってしまいます。さざなみのようだ。ふと、さいきん自分自身の外見や年齢やこれからや、やってみたいことや、できなくなったことについて考える。もっと物覚えが良かったのに、さいきんはてんでだめだなあ、脳細胞が死滅していっているなあ、とか。もう年末が来るじゃん、年明けたらついにさんじゅっさいやん、とか。いまの仕事で、自分の糧になる本を読んだり、良い展示をみたりすると、将来への漠然とした不安が大きくなったり、いい意味でふくらんだり、しぼんだり、風船みたいだ、とか。わたしは自分のかわいそうな痩せた身体がどうしようもなく美しく思えて、太ろうという努力をせず、どうしようもなくこの骨の浮く肢体が好きなのは、自分の強さとか、自分が、道行く人たちよりよっぽど高尚で美しいとか、そういう一種の複雑な自己信仰のあらわれなのかなあ、とか。さいきん職場の若い子に「まいこさん、トレーニングとかしてますか?」って聞かれるのだが、まともな答えが返せなくて、なんだかもやもやして、「すまねえ」って気持ちになる。なぜなら、わたしは自己催眠的に自分を愛し、甘やかし、慈しみ、自分がずっと、自分が好きな身体で、姿でいたいと強く思うことが、わたしの身体のすべてだから、としか説明のしようがないのだが、それでいったいどれくらいの人が納得してくれるのだろう。寒い季節が来ると、骨までしみるこの季節は、わたしが身体と向き合う季節なのだ。