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FGMについておもうこと

Twitterを眺めていたら、ライブドアニュースで流れてきたスーダンのFGM禁止のニュース。

お恥ずかしながら、FGMが何のことか知らなかった。でもたぶん極東島国で比較的平和なこの国に住んでいる人のほとんどは知らなかったと思う。と、勝手に思ってる。
FGMとは女性器切除のこと。女性割礼とも言われるそうで、特に赤道付近の国で行われてきた慣習である。

www.unicef.or.jp

何故こんなことをするのか、気になって調べてみた。宗教的儀式ではないこと、女性の処女性の象徴だということ、女性の性欲抑制のための処置だと言われていること、それが麻酔なしで行われることもあるということ、男性にされるというわけではなく、それらを施されてきた女性たちが、少女たちを取り押さえて処置をするということ、多くが不衛生な場所で処置されるため、病気の一因になること…。書き出すときりがない。これらを読んで感じたことは、残虐だということよりも、それらを社会的に押し付けているのは、もしかしたら女性たち自身なのかも、ということ。もちろん、強姦したり、少女で結婚させられた、まだ身体が成熟してない子供たちを孕ませるのは男性の方なのに何が女性の性欲抑制だよ笑わせんな、と思ったけれど、それよりも、少女たちに処置するのが女性たち、ってところにひっかかりを覚えた。自分たちが受けてきた嫌なことを、嫌だけど仕方ないから少女たちにも施すのか。きっと自分たちもそうされたときに、なんだか分からなくても泣き喚いて、痛くて痛くてたまらなかったと思う。なんでこんな目にあわなくちゃいけないの、ってかみさまを憎むくらいの気持ちだったと思う。でも大人になって、仕方ないから、わたしもしてきたから、あなたは女の子なんだから、と見えない大きな手で抑えつけて少女たちのたいせつなところに刃をたてる。なんだかそれって、方法や手段を変えて、どこにでも存在しうることなのかも。その国々の女性たちにとっては、FGMという最低のカタチで、わたしにとっては、うん、今回は言わない。でもたしかに、世界中の女性たちに存在している、女性による見えない手が、今日も頭を抑えつけている。