見出し画像

ひとり暮らしレポート 自分にfitするとは

誕生日の喜びがまだ、醒めない麻酔のように残っている。ありがたい。しかしそれを維持するための反動なのか、また買い物ばかりしてしまう。主に服と美容。先日も古着屋をめぐって、ワンピースやブラウス、アウターを買ってしまった。悔いなし。今日もネットで大好きなフォトグラファーさんのコラボワンピースを買ってしまった。悔いなし。わたしはファッションが好き。自分を着飾って幸せな気分にしてくれるから好き。試着しているときはずっと「好き!好き!」と言いながら店員さんを苦笑いさせている。鏡に映る、非現実的な自分が好き。服を脱いで、もともと着てきた自分の服に戻る時間がほんとうに嫌い。コロナ禍のなか、服を買いに行く頻度は、これでもかなり減った。ひとり暮らしを始めて痩せた身体に布を纏うと、いままでとは違った感覚になる。良く通っていたお店の店員さんは痩せたことにも気づいてくれて、しかしそれに対して「いいなあ」と言う。わたしにとって「痩せた」ということはけして自慢でもなければ喜ばしいことでもない。日本の女の子たちにとって、痩せていることが可愛さ、美しさの条件のように思われているが、それは一概にイエスとは言えない。マルタで、様々な国の女の子とたちと接して、自分の中でそれはしっかりと輪郭を帯びた。そもそも痩せていることの何が羨ましいのか。太っている人たちは知らないかもしれないけれど、痩せていても着られない服はたくさんあるのだ。痩せすぎていて似合わない服なんて山ほどあるのだ。こちらにはこちらの悩みがあるのに、手放しに「痩せていていいなあ」なんて言わないでほしい。もっと胸があったらきれいに着られたのに、もっとおしりがふっくらしていたらシルエットが美しいのに、と泣く泣くあきらめた服がたくさんある。そういうときに、わたしはわたしでしかないし、わたしの持っているものの中で満足いくように工夫して生きていかねばならない、と痛感するのだ。それを踏まえての「ヘルシーに生きる」という目標。せめて冬が明けるまでに、浮き出ている骨たちをなんとかしよう。