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質問箱への回答①「こどもは悟っているのだろうか?」

質問箱を設置しています。以前はTwitterで回答をシェアしていたのですが、Twitter アカウントが永久凍結されてしまっています。そこで、今後はいただいた質問とその質問への回答を、noteでシェアしようと思います。

今回いただいた質問はこちらです。

note 記事のタイトルには、いただいた質問をわたしが要約したものをテーマとして記載しています。

そして、回答が以下になります。

スナフキンさん、ご質問ありがとうございます🙂 わたしも子供の頃からムーミンの世界観が好きで、いつかフィンランドに行ってみたいなと思っていたりします。

さてご質問の件ですが、これはなかなか興味深い内容ですね。このテーマについては、実はわたしも色々と考えてみたことがあります。ホーキンズ博士の邦訳されている2冊の書籍において、人の一生と意識レベルの推移についての言及は、お書きになっているとおり生涯で平均5ポイントしか上がらないということくらいしか見受けられないんですよね……。それでは、いっしょに考えてみましょう。

まず、子供の頃に自他が曖昧な時期はたしかにあります。それは概ね、物心がつく前と言ってよいと思いますが、物心がついてしまうと、それ以前のことはほとんど思い出せなくなりますね。それが意味しているのは、物心とは理性のことであり、経験した事を時系列と論理に沿ったエピソードとして記憶するのはこの理性の働きによるということです。

理性を左脳の機能だとするなら、理性が一定の水準にまで育っていない子供は、主に右脳の機能に頼って生きていると仮定できます。右脳の働きは、対称を焦点化し、それと一体化すること「なし」に知覚することと言えます。

一方で左脳は対称を焦点化し、これと一体化することによって知覚します。右脳の知覚を「直感(直接感じる、ありのまま感じる)」とするなら、左脳による知覚は「分析、把握」と言えるでしょう。また、直感とは五感を通さずに感じることです。一方、分析や把握は五感を必ず介します。本来、右脳のそれも左脳のそれもやり方が違うだけでどちらも「知覚」なのですが、わたしたちが普通に知覚というときは、左脳の知覚のことを指して言っていることがほとんどです。

外のところで何度も書いていますが、二元性はこの左脳の知覚が生みだす錯覚です。非二元論とはこのこと、つまり二元性は錯覚ですよということを言っているわけですね。

ご質問のポイントはここまでの理解から現れてきます。つまり二元性に囚われる以前の子供は、言ってみれば二元性を超越した覚者と呼ばれるような人たちと同じくらい意識レベルが高いのではないか? という疑問です。

たしかに言われてみればそんな気もしますよね。しかし、実際はそうではありません。これは、動物について考えてみれば分かるでしょう。種にもよりますが、総じて動物は人間のそれに匹敵するような理性は持ち合わせていませんね。人に飼われている犬や猫などの一部を除くと、理性どころか、個の意識もほとんど持っていません。そういう意味で、動物たちは二元性に囚われていないことは事実です。しかし、動物の意識レベルはほとんどが200以下です。草食獣の一部が200を超え、飼い猫や飼い犬が240くらいです。

そして、ヨウムのアレックスやゴリラのココなどの極稀なケースで、意識レベル400を超えることがありますが、アレックスもココも、それぞれのやり方で、人間の子供と同じくらいの言語的コミュニケーションをとることができました。これはつまり、彼らの左脳は理性を宿すほど発達していたということです。

これはいったいどういうことでしょうか? ここでホーキンズ博士の意識のスケールの表を思い出してください。欲望のレベルは125、プライドは175、意欲は310というように書かれていますね。そして、理性は意識レベル400となっています。

この表の見方には注意が必要で、たとえば意識レベル310の人には理性はない、というわけではありません。その人の本質的なパワーが理性として現れている場合、その人は400台で計測されるという意味です。したがって400の人に多少の欲望やプライドがあってもおかしくはありません。

なにが言いたいかというと、この表におけるレベルはすべて「左脳」の発達のステージを表しているのです。欲望も勇気も意欲も理性も愛も喜びも平和も悟りもすべては、左脳の発達度合いの表現といえます。右脳は生まれつき高次の自己や集合意識につながっていますが、それは基本的に発達、成長するものではありません。右脳のもつスピリチュアルな能力を引き出すのは、実は左脳なのです。

人間が動物と違い、精神的に成長していくことができ、最終的に覚醒や悟りといった領域にまで到達できるのも、人間の左脳が動物のそれとは比較にならないほどのポテンシャルを秘めているからなのです。

わたしも便宜的に左脳と右脳の機能の違いを単純化したモデルを使って悟りとはなにかを説明することがありますが、それはあくまで方便であって、ある程度のレベルまでは、こうした説明のほうが理解しやすいからそうしているに過ぎません。左脳を黙らせれば右脳が優位になって悟れる、などという話は本質から外れた稚拙なロジックです。しかし、意識レベル200台や300台の下部にいる人々にとっては左脳を統御できないことこそが人生の問題を生みだしている原因といえますので、それは対機説法としては嘘ではないのです。

人は左脳(理性)なしでは生きていけないだけでなく、精神的に成長していくこともできません。左脳によって人は意識の進化を経験し、やがて悟りと呼ばれる領域にまで到達することができます。ノイズのような思考と一体化したまま延々と連想し続けるしかできなかった左脳は、いずれ澄み渡った明晰な理性によって自らの能力と右脳の能力を統合するところまで成長する可能性をもっています。これが意識レベルが高まるときに起きていることなんですね。

結論からいうと、一般的に人は、はじめからカルマにもとづいて定まった意識レベルで生まれてくると思います。ただ、物心がつくまでは、その意識レベルが言動に表現されることがほとんどないため、子供はみな無垢に見えるのです。

その後、理性が育ってくると二元性に囚われるわけですが、それは意識が成長するために不可欠なことです。人がスピリチュアルな存在なのは、左脳によって二元性に囚われ、左脳によって二元性を超越することで進化できるからです🙂

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