盲点の話

自分の耳は鈍感なのだと思って生きてきた。小さい頃に中耳炎に好かれ、何度も治療で切られて傷ついている。メスが入るのが痛いあまり、よく泣き喚いた。切らずに治せる医者を母が探してきてくれるまでは、ずっとそんな感じ。耳によくないから、近くで音が鳴る楽器はできない。音楽方面には向いてないだろう。そう思っていた。

だけどつい最近「違うね」と言われた。「耳が繊細だから、やられやすいってこと。鈍感なんじゃない、反対よ。あなた声がとっても小さくて、聞き取ってもらえないことが多いんでしょ。それは人よりも、音が耳に響いているからそうなるの。自分で十分だと思うボリュームで話しても他人に聞き取ってもらえないのは、耳が繊細だからよ」。

専門家の意見ではないものの、それなりに説得力がある。確かに「声が小さい、聞き取れない」と言われる。そっか、鈍感なんじゃなくて繊細なんだ、だから壊れやすいのか……。些細なこととは言え、今までの見解が180度変わった瞬間。

日頃、どれだけのことを決めつけて生きているんだろう。自分は○○だ、あの人は△△だ、彼は彼女はこういう性格だ。そして決めつけたが最後、それを補強する形で現実を見てしまう。「私は耳がよくないから、楽器はできない。ほら音楽の成績だってよくない(実際には普通だった)」「あの人は自分を嫌いに決まっている、ほらあの態度(本当は気に入ってくれていた)」。現実を見ているつもりでも、その現実(と思っているもの)それ自体が、思い込みの影響を受けているので修正が難しい。

「思い込みは外れることがある」と頭ではわかっている。だから断定を避けるようにはしているつもりだけど、自分の耳のことまでは疑ってはいなかった。「聞こえが悪い、鈍感だ」と信じて生きているから「それならなぜ、自分の声は小さいのか?耳が悪い人の多くは声量が大きくないか?」を見落としている。盲点ってやつだ。矛盾する現実を見ていながら、言われなきゃ思い込みに気づかない。

できることなら、たくさんの見解を逐一ふるいにかけたい。ひとつひとつ、それは本当かどうか顕微鏡で精査したい。だけど間違った信念は自分では意識できないから、見つけることすら難しくて……。悩ましいな。こういうジレンマを、人はどうやって解決しているのだろう。手当たり次第精査するしかないのだろうか。

家に居る時間が長くなっているので、考えるにはいい環境。だけど、何を考えればいいかをまず考えないと。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。