感情表現は、私が生きているために必要なことなのだ

「幸せなら態度で示そうよ♪」という歌詞を書いたのが誰なのかは知らない。だけど、いいこと言ってるなと思う。だって私たちの思いは、心の中にあるだけじゃ伝わらない。最後には体を賭して示すことが、相手に何かを伝える一番の方法だ。

でもこれって、自分に対してもすごく大事なことなのかもしれない。

感情は、きっと行動が伴わないと自分のものにならないのだ。どれだけ感謝していても、お礼の言葉ひとつ言わず、手紙やメールで「ありがとう」と文字に落としたりもしなければ、自分が感謝の気持ちを持っていたっていう、その事実すら薄れて消えてしまいそうで。

だから私たちは、気持ちを表現するのにイベントの力を借りることもあるんだろう。母の日に花を贈り、バレンタインにチョコレートを渡すのは、ある意味、商業イベントがくれた感情表現を可視化する手段だとも言える。

嬉しいときには喜んで、悲しいときには泣くような、そんな当たり前のことをしなくなると、ひょっとして感情っていうのは徐々に細って死んでいくのかもしれない。そうして喜怒哀楽の薄れた先に待っているのは、感情の動かない無機質な生活になるだろう。それは嫌だ。

絵を描くのでも文を書くのでもいいけど、日々感じたことを表していかなければ、自分の思いを表現するというとても大事なことが、なおざりになってしまう。嬉しいことは嬉しいと、困惑したら戸惑っているのだと、理不尽だと感じたら不条理だと、きちんと言葉で身体で訴えられる人間でありたい。

そう言いつつ、やっぱりうまく好意を受け入れなかったり、きっぱりと拒否できなかったり、不器用な行為を続けるだろうけど、それでも諦めるわけにはいかない。大げさなことを言えば、自分の感じていることを表現する、その営み自体が生きている証明だからだ。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。