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知らなかった余波

コロナ下の運動不足……という、この話題、そろそろシャレにならない。

馴染みの雑貨屋さんに顔を出したら、恐らく50代の店主が
「こないだ駅に行ったら驚いたわ。みんなエスカレーター使てんねん。前やったら階段使う人もおったのに、もう駅はみだすんちゃうかってとこまで、エスカレーターに列なしてて」

きっとステイホームの影響だ、と彼女は言った。運動する機会が減ったせいで、みんな階段を上るのも辛くなっているんだろう、と。

「私たちくらいの歳になると、ちょっと運動したところで体は元に戻らへん。動けん人が増えるで。コロナ明けても、別の問題が出てくるわ、これは」

確かに体を動かす機会は減ったけど、それほど大きな問題だとは思ってなかった。言われてみれば、そもそも運動するチャンスがあまりない高齢者は、プラスして日々の外出も制限しているんだろう。歩く回数が減ると、体力をメンテナンスすることが難しくなるわけで……。

若ければ、まだ「ちょっと太った」程度で済むかもしれない。多少、運動不足になったところで、巻き返すのも簡単だ。だけど年齢が上がるとそうもいかないんだろう。外出がだんだん億劫になり、階段を避けるようになって、歩くのも嫌になる──。あんまり想像したくない事態だ。

そういう人が増えたらどうなるんだろう。既に「エスカレーターを使う人が増える」という形で変化が起きているけど、一部の人はそのまま寝たきりになったり、体力が落ちたまま持ち返せなかったりするんだろうか。介護の必要な人が増え、エスカレーターにできる列は日に日に伸びていくのかもしれない。

いまの時点で「健康」の定義はいくつかに分かれた。「単に病気じゃない人」と「コロナ前と同じ体力を保っている人」「コロナ前より元気な人」。後者ふたつはいいけど、最初のタイプは危ないな、と思う。「ちょっと太ったし階段も嫌になったけど、まあ病気してないしオッケー」と言っていると、後々大変なことになりそうだ。肥満になったり、そのせいで病気になったり、動かない習慣が染みついてしまうかもしれない。気を付けるべきはウィルスだけじゃないなあ、と肩をすくめてしまう。

すごく当たり前の事実として、健康はメンテナンスが必要だ。いま体が動く人は、動く習慣があるから動くのであって、放っておいたらその体力は維持できない。自分は一応、毎日散歩には出ているけど、ちょっと歩く量増やそうかなとか、そんなことを考えてる。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。